紙の本
いまある平和の礎
2016/03/15 10:24
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投稿者:szk - この投稿者のレビュー一覧を見る
15歳の少年兵。軍服を支給された時は、これで大人になれたと気持ちが高揚し、おれが祖国を守るんだと何よりも堅い意志で軍隊の一員となった。しかし現状は違う。そもそも少年が兵隊にかり出されることの意味とは?戦局は日増しに厳しくなっていく。軍隊と行動を共にしていたとき、彼はずっと負傷兵を野戦病院へ運ぶ役を与えられ、戦場に赴けず歯がゆい思いをする。隊をはぐれた後、彼は一人で逃げ惑う。ただ朝と夜を繰り返すままに。生命が持つ運はあるのだ。彼はよく生き延びた。いまある平和について、我々は真摯に考えなければいけない。
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実にたんたんと、無味乾燥とした文章で話は進んでいく。
沖縄戦の様子をたんたんとたんたんとありのままに書き連ねていく。
読み手はたんたんとは話を受け取れない。
死体、死体、死体。
死体になれてただの物体と化していく世界。
あるのは恐怖の世界。
絶対に体験したくない。
戦争怖い。
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最前線で武器を手に取り戦うことだけが戦争じゃない。
いつもながらの緻密な取材、淡々とした文体、壮絶な描写。
歴史に埋没してしまうような
一少年兵の経験した第二次世界大戦を
圧倒的リアルさをもってこのような小説に出来るのは
さすが吉村昭氏といった感じ。
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吉村昭らしい文体に、主人公の少年がしと戦争の惨さに慣れてしまう様が迫力をもって綴られている。少年の見たものに対する思考の巡らせ方が実に哲学的で、時々読むのをやめて考え込んでしまった。例えば転身に続く転身の末に始めて敵兵を目撃した時に少年が人間を相手に戦っていたことを驚いている。
妙に感傷的にならず、自虐的にも被害者的にもならない文体が、かえって読者を考えさせる感じがする。
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描写がすごーく丁寧なので、蛆が肉を食む音が聞こえてくるような。
死体からにじみ出る腐敗の液が匂ってくるような。
蠅の羽音が耳元でうるさく、暗い壕内で、押しつぶされていくような。
読んでいるだけで錯覚する。
沖縄戦ということで、古処誠二も読んだけど、どうもすっと入ってこない。むしろ何かしら振り払いたくなってしまうんだが、殉国は気がつくとその場にいるような感覚に捕らわれる。
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沖縄決戦を迎える中学3年生の比嘉真一「二等兵」の複雑な心の中が極めてリアルです。誇らしげな気持ちで、日本人としてお国の役に立ちたいと言う純粋な気持ち、米軍に恐れを感じることなく、戦闘の現場に出たいと思いつつ、それが帝国陸軍の兵士たちへの失望など、経験を通して成長していく姿を見ることが出来ます。著者のいつもの淡々としたリアルな描写が生々しく正に映画を見るような現実感があります。沖縄戦の悲惨さを改めて知らされました。
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記録文学。
確かに沖縄戦で現実にあったであろう情景が、ある意味では抑揚の無いタッチで描かれています。
英雄的な人物や、戦場の恋が出てくるでもない。
映画化には程遠いと思います。
それでもほぼ一気に読みきりましたし、読後に胸にせまるものがあります。
圧倒的に「リアル」だからだと思います。
もう少し他の作品も読んでみます。
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昭和二十年三月、中学三年生(14才) で召集令状を受け、鉄血勤皇隊に所属することになった比嘉真一という少年兵を通して見た沖縄戦の実態。
私自身、吉村昭の著作は「熊撃ち」「炎熱隧道」に続いて3冊目だが、ある種の極限状況に立ち向かう人間を描いている点では共通している。感傷に流されないリアルな眼差しが好きだ。
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中学(旧制)を繰上げ卒業し(ただし、本人の主観はともかく、客観的には卒業させられという印象が強い)、召集令状を受けた少年が、砲弾飛び交う沖縄戦のただ中で体験したことは何か。
短いので読破にさほどの時間はかからないだろうが、戦時下、批判精神の欠片もない自己陶酔の中で始まる物語が、死体の腐敗臭に塗れつつ重苦しい雰囲気のまま終始する小説である。殊に戦傷者の模様が生々しい。
正直、ここ数日、重い作品ばかり読んでいて、少し疲れ気味である。
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徴兵された十四歳の少年の沖縄戦の記録小説。
祖国防衛のために純粋な忠誠心、女性や子供を問わず、死と蛆が隣り合わせる、本当の戦場を体験させてくれる。腐敗した死体の臭いがしてくるようだ。
主人公の祖国を守る美しい意思を、単なる集団ヒステリーだったと単純に断言できない。沖縄戦は、県民の意思なのか?国家としての命令?で参加したのかどうかは読者が考えなけばいけない。
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吉村昭作品は、ノンフィクション系で『関東大震災』、『蚕と爆弾』と読み、小説で『星への旅』を読んで、こんなものも書くんだ、と乾いていながら美しい文体にときめいた作家。
この『殉国』はノンフィクションとフィクションのあわいにある作品だった。
1945年、3月、沖縄。
主人公は旧制中学3年のまだ腋毛も生えていない少年だ。
サイズの合わない軍服を着させられ、戦場となった故郷で”鉄血勤皇隊”となる。
軍国教育を施され、軍人に憧れたこの時代の少年たちは、あまりにも惨い鉄の暴風のなか、どう生きたのか。
これはいたかもしれない、いや、いた、少年の話である。
吉村昭の文体はわかりやすく、そして美しいので、是非同世代の少年少女に読んでほしいと思う。
今となりにいる友だちが無慈悲に死んでいく。町の人たちが恐怖のなか何か月も彷徨い、殺された。そんな時代があったのだと。
そして、一方的に日本側からの視点だけではなく、戦った相手側からも見てほしい。
映画だったら最近公開された『ハクソー・リッジ』がわかりやすい。
誰も殺したくてきたわけではない。思想がふたつに分かれると、自分が感情移入するほうが自分にとって正義となるだけだ。
”鉄血勤皇隊”の悲劇はやましいところが大きく、看護に従事したから美しい話にしやすい”ひめゆり学徒隊”にくらべて知られていない。
今と違って一方的な情報しか得られない時代、純粋無垢な少年たちの心がどういうふうに扱われたのか、そして今現在も同じような国でどういう風に人間が育ってしまうかも考えるきっかけになるかもしれない。
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沖縄の少年兵のお話。戦争を知らない世代だからこそ、定期的に戦争関連の本を読んで、悲惨さを語り継がなければと思う。読書として読後感が爽快になる類の本ではないが、親たちに聞いていた話より、小説の方がより描写がリアルで悲惨であった。
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少年兵を通して想像を絶する戦争体験。
この過酷な状況は現在を生きる
私たちに耐えれるものなのか。
祖国を守るため、自分たちの生まれ育った
故郷と家族を守るために自らの
生命を盾にする少年、少女。
そこまで追い込めさせたのは何か?
生命を投げ出して
戦うことしか道が無かったのか?
犠牲を強いる当時の状況を今を生きる
私たちは分かる訳が無いが
日本人が持つ自己犠牲の精神は
今も変わってないんじゃないかと思う。
戦争は男が死んで女が生きる。
少年兵のこの言葉が印象に残った。
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「吉村昭」の長篇小説『殉国 ―陸軍二等兵比嘉真一― 』を読みました。
「蓮見圭一」の著作『八月十五日の夜会』に続き沖縄戦をテーマとした作品… 「吉村昭」作品は初読です。
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「郷土を渡すな。全員死ぬのだ」太平洋戦争末期、沖縄戦の直前、中学生にガリ版ずりの召集令状が出された。
小柄な十四歳の「真一」はだぶだぶの軍服の袖口を折って、ズボンの裾にゲートルを巻き付け陸軍二等兵として絶望的な祖国の防衛戦に参加する。
少年の体験を通して戦場の凄まじい実相を凝視した長篇小説。
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70年前の沖縄では、本当にこんな時代があったんだ、、、
一般常識としての知識はあるものの、住民として、その場に存在したらどのような状況に置かれたんだろう… ということをリアルに思い描いたことはなかったので、本書の主人公である十四歳の少年「比嘉真一」が、現地召集の少年兵(鉄血勤皇隊)として沖縄での凄惨な地上戦経験した日々が淡々と綴られている本書を読み、初めて当事者の立場として沖縄戦を考える機会になりました。
そこには第三者として戦争を思い描く際の勇壮さ、壮烈さはなく、凄惨で悲壮な世界しか感じられませんでしたね。
例えば、重傷者や死者に囲まれた壕での生活、、、、
暑さ、湿気、臭気(死臭・腐臭・膿汁臭… )に満ち、足元が汚濁した環境の中で、排便、排尿の処理もままならず、膿んだ傷口からはおびただしい蛆が湧き出る… 戦局が悪化の一途を辿る戦場での実情なんでしょうね。
米軍上陸後は転戦(退却)を重ね、夜間に行動し、昼間は腐敗しつつある死体の山に紛れて身を隠す… 死体が浸かり、その死体から発生した蛆の大群が水面を覆う小川の水を汲んで喉を癒す、、、
凄惨な体験の一部ですが、そんな状況下でも士気は一向に衰えず、退却の列の中で「真一」のような少年兵にすがりついてくる負傷兵に対し憤懣を感じる等、純粋無垢で強固な忠誠心や一人でも多くの敵を倒したいという使命感は、平和な現代では、想像し難い精神状態ですね。
それだけ、当時は軍国主義教育が日本国内隅々まで徹底的に浸透していたんだろうと思います。
生きていればしんどいことがありますが、当時のことを考えれば不満なんて言えないですよねぇ。
平和な日本… 護っていかなきゃいけないですね。