ウィトゲンシュタイン、そして哲学の入門書
2001/10/28 13:00
8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:某亜 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ウィトゲンシュタインって、名前は聞いたことあるけどよく知らない」そんな人にお勧めするのがこの本です。ウィトゲンシュタインの主張を通じて「哲学とは何か」をわかりやすく解説しています。
最初からウィトゲンシュタインの本を読むよりも、こちらを先に読む方がいいでしょう。でないと独断で解釈してしまったり、理解できなくなって読むのが億劫になってしまう危険性があるからです。原文は統括的かつ抽象的に書かれているため、初心者には全く理解不能であると考えられます。しかしこの著者はふんだんに例示を交えて帰納的に理解させてくれます。
初心者だけでなく、ウィトゲンシュタインを読んだことのある人も一読の価値があります。また新しい発見があるかもしれません。
今ここにいるこの私
2014/02/16 18:21
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぽんぽん - この投稿者のレビュー一覧を見る
読んで思ったこと。
独我論
私(一人称代名詞)を含む言説の発話行為は、その行為を行っている時点に於いて、倫理・認識・存在に関して、決定的に重要。
比較。
過去。発話したこと、言われたこと。記述したこと、書かれたもの。
過去の時点では、記述の優位
現在。発話している、話していること。記述している、書いていること。
現在の時点では、発話の優位
発話行為に於いて、私という言葉を騙ることはできない。
目の前の人が「今、私は発話しています」と言った場合、疑うことはできない。疑う場合、「今ではないのではないか?」「私ではないのではないか?」「発話していないのではないか?」このような疑問が妥当ならば、それは人とはみなされない。
問い。
或る人物が30分前に「リトマス紙は、酸性で赤くなる」と言い、その後「リトマス紙は、酸性で青くなる」と言い直した。
後者の発話内容は誤りだか、この変化を知ることに、意義があるか。その一般的意義といったものは、あるか。
裁判はなぜ公開することが、求められるのか?
生中継、生放送、ライブといったものに共通する価値とは?
時代的変化。神話的な記述の優位→政治的な発話の優位
感覚Eを書き忘れたり、書くのを躊躇したりすることはないのだろうか。
或いは、書き忘れたかもしれないとか、ひょっとしたら感覚Eだったかもしれない、と言うことはできるのか。できる?できない?それは、なぜ?
もっと言えば、他人があなたは感覚Eについて書き忘れたり、書くのを躊躇したことはなかったですか、本当にないですか、と聞いたり、当人がそれに答えたりすることができるだろうか。
『形而上学者ウィトゲンシュタイン』vs.『ウィトゲンシュタイン入門』
2002/03/30 21:04
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
細川亮一氏の『形而上学者ウィトゲンシュタイン』を読みながら、これはひょっとすると永井氏の『入門』を批判しているのではないかと思われる箇所がいくつかあった。
細川氏は、ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で「Die Logik ist transzendental」「Die Ethik ist transzendental」と書き記すとき、そこに出てくる「トランスツェンデンタール」(超越論的)は「超越的」や「形而上学的」と同義であって、すなわち『論考』は論理(本質・必然性にかかわる「である」をめぐる)と倫理(実在・偶然性にかかわる「がある」をめぐる)という二つの「トランスツェンデンタール」なものに関する形而上学の書であると書いていた。そして『論考』に出てくる独我論は、というより反独我論は「論理」の側に(世界の条件=本質に)属していると。
一方、永井氏によると「トランスツェンデンタール」には「先験的」(経験的な事実に先立ち、世界と言語の形式を示すもの:「語りえないもの1」)と「超越論的」(世界を超越し世界の外にあるもの:「語りえないもの2」)の二つの訳語があるのだが、ウィトゲンシュタインにとって「論理は先験的である」が「倫理は超越論的である」。そして『論考』の独我論はこの両者を、つまり論理と倫理という二種類の語りえぬものをつなぐ役割を担わされている。
《第一の先験的な語りえぬものと、第二の超越的な語りえぬものとは、…[「哲学的自我」とか「形而上学的主体」とかいわれているもの]…の存在を媒介にして、いわば神秘的に結合されているのである。そのことがこの「哲学的自我」を超越論的(先験的)主観[素材としての世界に形式=形相=意味を賦与することによって世界を意味的に構成する主観]と混同させることになった。
この点に関連して、その後の思想展開を、あらかじめ少々図式的に要約しておこう。前期、中期、後期を通して、ウィトゲンシュタインは、倫理、宗教、形而上学、独我論、といった超越的な語りえぬものについての直観をほとんど変えなかった。どのように語りえないか、その位置づけ方に変化があっただけである。しかし、世界の形式である先験的な語りえぬものについての見解は、前期、中期、後期を通じて、大きく変化・進展した。ウィトゲンシュタイン哲学の展開過程とは、実のところは、もっぱらこの部分の進展なのである。「論理」「文法」「生(活)」にそれぞれ「形式」という語を付与したもの──論理形式、文法形式、生活形式──が、それぞれの時期の語りえぬものを示している。》(27-28頁)
『論考』における独我論(あるいは反独我論)をどう位置づけるかが『形而上学者ウィトゲンシュタイン』と『ウィトゲンシュタイン入門』の二つの世界の相貌の違いを規定している。少なくとも『論考』の読解に関しては、アリストテレスやカントやハイデガーとの接続を意識した細川氏の著書の方がコクがあって斬新で刺激的だったのだが、永井氏の独我論(そして他者)をめぐる議論にはやはり棄てがたい魅力がある。
どうにもならない「哲学する」渇望
2023/04/26 07:54
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:マーブル - この投稿者のレビュー一覧を見る
ウィトゲンシュタインは手強い。そして、彼を理解しようとする他人を簡単には受け入れてくれない。「かくあらねばならない」という理想を追い求めた哲学。その思想の出自を探すことに意味は大してないのかもしれないが、ウィトゲンシュタインの孤独、罪悪感から生まれてきたように思える。どうにもならない「哲学する」渇望。そのままならない欲求を持って哲学の道を歩む者は、はたして幸福なのだろうか。現実社会を「まともに」「上手に」「しあわせに」生きていくことができる人間は、そんな哲学への渇望に苛まれることなどないのではないか。
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実践的哲学者、永井均による明快なウィトゲンシュタインの解説(にかこつけて、私的言語や独我論を展開する)本。
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哲学について語れる知識も素養も持ち合わせていないが、読んでいる間退屈しなかった。難しかったけど。入門書として成功なのでは。内容的には、前半で引用されている「論考」のきれっぱしが気になる。追求の仕方が論理的で無駄がなくエレガントな感じ。いつか読みたい。
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ウィトゲンシュタインの生涯は、なかなか波乱に富んでいて、興味深い。が、さて肝心の論理哲学は…残念ながら難しすぎて消化不良。哲学の専門的学習をある程度積んでいないと、これは無理だ。
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ウィトゲンシュタイン哲学について入門書。一読してみての感想。「ウィトゲンシュタインの問題意識」に照準を合わせて、それを読者に伝えるということについては成功していると思う。ただ、新書かつ入門書という制限があるため、ウィトゲンシュタインの議論を詳細に説明し尽くしているわけではない。この点には筆者も自覚的であり、より詳しくウィトゲンシュタインについて学びたい場合には、巻末の読書案内が役立つだろう。入門書としての役割は果たされていると思う。ここまでで★4つ。
★追加要素は、「ウィトゲンシュタイン入門」でありがながら、きちんと「永井均の本」であるという点。永井均が好きなら読むべき。それが本書が「他の入門書との相違点」すなわち「持ち味」でもあると思う。逆に言えば、永井均が嫌いな場合は、読むに耐えないかもしれない。
わたしは、永井均が好きだ。彼の本を読むと、その真摯な姿勢に胸を打たれる。その点を加味して、★5つ。
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文芸誌上の企画「哲学とわたくし」で川上未映子さんが対談した永井均さんの入門本。そもそもわたしって?そんな方にオススメです。
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巻末の読書案内が優れる。
Key concept; 規則、
ウィトゲンシュタインに関する書物
ノーマン・マルコム ☆読みたい
黒田
アンソニー・ケニー
藤本隆志
滝浦静雄
AJエイヤー
ACグレーリング
クリスティアンヌ・ショヴィレ
ウィトゲンシュタインを含む書
シュテークミュラー『現代哲学の主潮流2』第9章 入手
黒田 『経験と言語』の? ☆
飯田隆『言語哲学大全?』の第1,2章 ☆
本格的な研究
PMSハッカー
『洞察と幻想』
ウィトゲンシュタイン的な考えを展開し直接さまざまな問題にアプローチ
古典
心 ノーマン・マルコム『心の諸問題』 ☆
科学 Nハンソン『科学理論はいかにして生まれるか』
社会 Pウィンチ「社会科学の理念』 済
より最近
クリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドックス』 古典のウィンチと読み比べて「規則」理解の違いは後期ウィト的問題の中核 ☆
クリプキ以降のウィト解釈を社会理論への適用例
落合仁司『保守主義の社会理論』 クリプキ以降のウィト解釈の社会理論への適用例 済
Wittgensteinと分析哲学との関係
マイケル・ダメット『真理という謎』 済 中央
リチャード・ローティ『哲学と自然の鏡』 直接読む 済 ICU
現代思想全体との関連
Hステーテン『ウィトゲンシュタインとデリダ』 ウィト哲学になじんでいる人向けにデリダとの関連を説く
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永井、ヴィトゲンシュタイン、両方とも魅力的であるが、この本を読む思考力が不足しており十分に味わい尽くしていない感がある。
論理学の理解は、自分には限界かな
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初期のウィトゲンシュタインは、言語は世界の「写像」だと考えたが、後期にはぼくたちはある規則を持った「言語ゲーム」の中に閉じこめられていると考えた。ずいぶん違うわけだ。その過程がわかる。(石原千秋『未来形の読書術』156頁)
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(2004.08.14読了)(2003.05.09購入)
「この本は、ウィトゲンシュタイン哲学の入門書である。第一に、この本は「哲学」の本であって、人物紹介の本ではない。第二に、この本は入門書であって、解説書や概説書ではない。」
「哲学にとって、その結論に賛成できるか否かは、実はどうでもよいことなのである。重要なことはむしろ、問題をその真髄において共有できるか否か、にある。優れた哲学者とは、すでに知られている問題に、新しい答えを出した人ではない。これまで誰も、問題があることに気付かなかった領域に、実は問題があることを最初に発見し、最初にそれにこだわり続けた人なのである。」「ある哲学者と問題を共有した時、それによって世界の見え方が変わり、人生の意味が変わる。」「もしウィトゲンシュタインがあなたにかかわりを持つとすれば、それを知らずに人生を終えることは、無念なことではないか。」
永井均の疑問 「私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか」「なぜこの子が自分であって、隣にいる子が自分ではないのか」「無数にいる人間といわれる生き物の中に、自分という特別のあり方をしているやつが一人だけいて、こいつがそれである、ということが不思議でならなかった。」(このような疑問を持っている方は、ウィトゲンシュタインを読むといいということです)
ウィトゲンシュタインの独我論 「私だけが存在する」「もし私が存在しないとすれば、ある意味でそれは、何も存在しないのと同じである」「私に見えるものだけが真に見えるものである」「私の意識だけが唯一本当に存在するもので、他の一切は私の意識への現れである」
(これだけ読むと、自己中心主義、世界は自分を中心回っており、この世界では自分が主役であり、他は脇役でしかない。自分がいない世界など考えようがない。と言うことみたいに見えるような気がするけど、そういうことではないらしい。)
ウィトゲンシュタインの「論考」の主題 「言語の可能性の条件を明らかにすること」「ウィトゲンシュタインは、言語が世界について何事かを語りうるのはどういう条件の下でなのか、を問題にした」
「「論考」の最初のページを開くと、世界がどのようにできているか、ということに関する独自の見解が、何の説明もなしに、あたかもご託宣のように述べられている。」(これは、現代数学の影響を受けたものであろう。現代数学では、最初に公理を述べて、その公理を元にすると、どのような数学世界が可能かを導いてゆく、というスタイルで記述するようになっている。ウィトゲンシュタインもその記述スタイルを真似て、最初のご託宣に沿って論じると、どのような世界が構築可能かを論じたのかもしれない。)
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はじめに
序章 ウィトゲンシュタインの光と陰
第1章 生い立ち
第2章 像―前期ウィトゲンシュタイン哲学
第3章 復帰
第4章 文法―中期ウィトゲンシュタイン哲学
第5章 言語ゲーム―後期ウィトゲンシュタイン哲学
第6章 最期
終章 語りえぬもの―光と陰、再び
おわりに
文献案内
(目次より)
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[ 内容 ]
世紀末のウィーンに生まれ、20世紀初頭の英国ケンブリッジを舞台に活躍した天才哲学者ウィトゲンシュタイン。
ユダヤ系の鉄鋼財閥の裕福な家庭に育ちながら、その後たどった数奇な生涯と一風変わった人となりによって、彼の思想の全貌はいまも神秘的な色彩を帯びている。
彼が生涯を賭けて問いつづけた「語りえないもの」とは何か。
初期の写像理論から中期の文法理論、後期の言語ゲーム理論へと展開する独特のアイディアにみちた思想の核心にわけ入り、読者とともに考える、清新な魅力にあふれた入門書。
[ 目次 ]
序章 ウィトゲンシュタインの光と陰
第1章 生い立ち
第2章 像―前期ウィトゲンシュタイン哲学
第3章 復帰
第4章 文法―中期ウィトゲンシュタイン哲学
第5章 言語ゲーム―後期ウィトゲンシュタイン哲学
第6章 最期
終章 語りえぬもの―光と陰、再び
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