紙の本
「考える人」
2009/11/29 08:02
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「考える人」といえば、ロダンである。
腰かけて、右手をあごの下につけている、男性の像を見た人は多いにちがいない。
でも、本当にあの像は「考える人」だろうか。
まず、彼は裸である。たぶん、サウナにはいっているのだろう。しかし、サウナであの格好はない。
では、どこでならあのポーズはいいか。
それは、トイレである。
彼はここ何日も便がでなくて、苦しんでいる。
だから、あれは「考える人」ではなくて、「便通に悩む人」なのである。
それでは、本当の「考える人」はどんなポーズをとるのか。
ついにそれを発見しました。
これは世界の美術史の通説をみごとにひっくりかえす大発見なのだ。
だから、あまり大きな声ではいえないのであるが、作者は東海林さだおである。
どこで見ることができるかといえば、『ワニの丸かじり』という美術本、ちがった、食べ物エッセイに所蔵されているのだ。
あまりにも意外な感があるが、これはなにぶん世紀の大発見なのであるから、この本を持っている人は押入れのなかでこっそり拝観していただきたいものだ。
しかし、この話をしないことには先に進めないので、私は声を大にしていいます。
それは、『ワニの丸かじり』のなかの「スーパー百景」という文章のなかの挿絵として、見事に、華麗に描かれているのです。
天才東海林さだおは、その絵の脇にこう書いている。
「考えこむ人は必ず頬に手をやる」。
どうだ、まいったか、ロダン。
「考える人」はあごに手をやらないのだ。
「考える人」は頬に手をやるのだ。
日本の東海林はあっさりとアンタ(ロダン)を超えちゃいました。
ローダン?(どうだ、が訛った)
しかし、これは歯痛のポーズではないかという疑惑もないではない。
ところが、どっこい、この人は小首をこくび(こくり、が訛った)と傾げているのである。
これこそ、考える時の世界統一角度である。
しかし、この絵は女性である。女性は考えるか。
ああ、言いましたね。そういうのは男女雇用機会均等法の精神に反します。きんとうね。(きっとね、が訛りました)
男性なんて考えているのはフリです。
考えるのは女性。
今月の家計はどうしよう、子どもの教育はどうしょう、姑はどうしてあんなに元気なの、亭主の給料はあがるのかしら。
女性には悩みがいっぱいあるのです。
だから、便秘になりやすい。
そうしたら、トイレでロダンの「考える人」になっちゃうな。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でご覧いただけます。
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1/31読了
興味しんしんで、観察力がするどくて、あるあるある。。。なところが面白い。
松坂牛に、ほか弁に、カレーうどんに、QE2のランチ。やっぱ食べ物は生きる基本だよね。
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「ワニの丸かじり」4
著者 東海林さだお
出版 文藝春秋
p170より引用
“高いのや安いのや、派手なのや地味なのを、
なるべく数多くにぎやかに盛りつけてドーンと出しておけば、
あとはなんにもしなくていい。”
漫画家でありエッセイストである著者による、
食べものに関するエッセイをまとめた一冊。
アイスキャンデーから9,500円のステーキまで、
幅広い食べ物について楽しい文体で語られています。
上記の引用は、
某深夜から朝まで放送される討論番組と、
舟盛りの似ている所をあげた一文。
私はその番組を最初から最後まで通してみた事がないので、
なんとも言えませんが、
この分析は人数の多いバラエティー番組にも、
当てはまるのではないでしょうか。
p199では著者が「あまりいい物を食べていない」、
と言われていると書かれていますが、
9,500円のステーキなどを食べないと、
いい物を食べた気分になれないのは、
大変損な気質のような気がします。
著者の様に何を食べても何かを発見し、
美味しくても不味でも何かを得られる方が、
毎日が楽しそうだと思います。
ーーーーー
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図書館の本
内容(「BOOK」データベースより)
ほか弁を買うと、なぜ心がウキウキするのか、一本のアイスキャンディーから人生の教訓を学びとる、クイーン・エリザベス号の昼メシを食べる、青春の思い出ニラレバいため、陰の実力者大根を讃える、懐かしき運動会のお弁当…ショージ氏の食べ物への愛は深まるばかり。ついにはワニまで食べてしまいました。
うん、おしょうゆってすごいと思う!そうそう、ビールは冷えててなんぼでしょ?赤飯って男の人たべないっけ?
なんてうなづきつつ読んでしまうおもしろさ。
そうか、運動会はおいなりさんんとのりまきかぁ。わたしはおにぎりと卵焼きのイメージがある。
記憶と味って結構密接です。
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ほか弁を買うと、なぜ心がウキウキするのか、クイーン・エリザベス号の昼メシを食べる、青春の思い出ニラレバいため、懐かしき運動会のお弁当…。なぜかここに書かれていることにどうしても心惹かれます。
まず、冒頭ではワニやカンガルーを食べるという衝撃的な描写から始まります。僕個人も食べる機会はあったのですが、ついにその目的を完遂することが出来ませんでした。その話はさておいて、この本ではアイスキャンデーの中に人生の悲哀を見出し、立ち食いそばの天ぷらそばの妙味をこれでもかと言わん限りに開陳し、水のうまさに舌鼓を打つ。
そんなエッセイの中でも、僕が一番興味を持ったのはレバニラ炒めに関する記述で、彼曰く、レバニラ炒めは微妙な立ち居地を持った食べ物で、若者が一人でラーメン屋でレバニラ炒めを食べていると、青春、ひたむき、努力、希望などのポジティブなものを感じるが、中年の男性が一人でレバニラ炒めで丼飯をかき込んでいるのを見ると、孤独、家庭不和、粗大ゴミ、一時しのぎの元気、というまことにネガティブなものになってしまうというのは読んでいてクスリと笑ってしまいました、さらにおばさんになるとふしだら、じだらく、怠慢、破れかぶれという、よくもここまでいえるもんだな、という状態になると。個人的には『別に好みだからいいじゃねえか』という突込みがあるのですが、若い人間がわしわしとレバニラ炒めをおかずに丼飯をかっ込む姿は、かつての自分を彷彿とさせるようで、何かを失ったような、そんな気がしないでもないような気がしてなりませんでした。
高級グルメには一切関心が持たないのに、こういうところにばっかり食指が動く自分のことを貧乏性というのか、つつましいというのかはさておいて、自分の中にこういう『ルーツ』があるんだということを念頭において、このシリーズをこれからも読んでいこうと思っております。
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京都マラソンのための1泊に持参しました。関西うどんの話と立ち食いそばの話がありました。おつゆは関西の方がおいしいが、客寄せのにおいは関東のそばつゆの方が上と、解釈しました。そして、京都駅構内の立ち食いで関西うどんにすれば良いところ、関東から来た人間なのでうっかりそばを注文。ショージさんの本を読んだにもかかわらずちゃんぽんなことをしてしまいました。
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一つ一つが短くてでも共感できるところが沢山あって、そう思った!とつぶやきそうでした。カンガルーは日々走っているからか筋肉質で確かに硬かったし「タブーに挑もう」の責任者出てこいもツボでした。
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もう十年も前になるでしょうか
東海林さだおさんの(文春文庫の)エッセイ集を
読み漁っていて、(その当時までの)全巻を
揃えて にこにこしていたことがありました。
あんまり たくさんになってしまったので
えいゃっ と
古本屋さんに売り払ってしまいました
それから 十数年
つい先日
行きつけの 古本屋さんで
「丸かじり」シリーズが 並べてあったのです
はい 即座に 買って帰りました
そして なめるように
少しづつ すこしづつ
読み返しているところです
読み返していると
以前には気付かなかった
おっ こんなところが
おっ こんなものが
と 新しい発見がでてくるのです
改めて
東海林さだおさんの
鋭い観察眼と軽やかな現代批評に
感心してしまいます