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帯にはこう書かれている。
『極限状態における人間の愛と死を描く現代の寓話。限りなくゼロに近づいていくことによって何が見えてくるのか』
読み始めた時、小川洋子さんの『密やかな結晶』にそっくりで驚いた。あらゆるものが消滅していくという発想と、書き出し方がとてもよく似ていた。
でも、似ているという感覚はわずか数ページで消えてしまう。小川さんの「物語」とは全く異なる質の「小説」へとあっという間に変わってしまう。そう、いつものオースター作品。作り話の物語ではなく、精神論的考察。小説としてのおもしろさを備えながら論じるべきこと(生とは何か)を伝えていくスタンスへ。
文章の形式はアンナという女性が手紙で語るという形をとっている。私が読んだオースター作品で初めて主人公が女性の話。
人々はつぎつぎに死んでいき、赤ん坊は一人として生まれず、物もどんどんなくなり、それとともに言葉も消えていく世界。現実にあるどこかの場所という設定ではなく寓話的なそして現実にどこかで起こっている(もしくは起こった)話。
訳者の柴田さんがあとがきで仰っているように、素材的には明るくない(それ以上にひどく過酷で残酷で暗い)のに、オースター作品の中では最も「希望」のある作品だと私も思う。
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マッカーシー「ザ・ロード」小川洋子作品と似ている。「こうしてあなたに手紙を書いているのは、あなたが何も知らないからなのです」
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オースターはスモークもブルーインザフェイスも好きだけど、リヴァイアサンが一番面白いと思ってた。
でもこの話、地震の後に読んだら、
ファンタジーじゃなかった・・・
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[ 内容 ]
人々が住む場所を失い、食物を求めて街をさまよう国、盗みや殺人がもはや犯罪ですらなくなった国、死以外にそこから逃れるすべのない国。
アンナが行方不明の兄を捜して乗りこんだのは、そんな悪夢のような国だった。
極限状況における愛と死を描く二十世紀の寓話。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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1977 年の村上龍の 2 番目の作品
「海の向こうで戦争が始まる」にどこか近いイメージを感じた。
まさに鍵のかかった部屋に囚われたアンナの手紙・手記という形式の物語。
遠くの世界との間に立ちふさがる蜃気楼に目を凝らすうちに、
気が付けばいつの間にか、自分がその鍵のかかった部屋に引き込まれている驚き。
すべてのもの・人・社会が無に向かって崩壊・収束しようとしている世界。
怯えや喪失感だけではなく、僅かな希望も見えた気がした。
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物資が著しく欠乏し、確実なものは何ひとつない、ゆっくり崩壊していく世界。そこは未来の見知らぬ国のようでいて、今現在、地球上のどこかで起きている現実にほかならないという気がしてならない。語り手が出あうラビは、自分たちが最後の世代だと信じるユダヤ人たちについて話していたが、この世界はワルシャワゲットーを思い起こさせもする。いずれにしても私たちは、この小説をただのSFとして読みすごすことのできるような世界に住んでいるわけではない。
人間を人間たらしめているものがすべて奪われてしまったあとに、残るものは何なのか。語り手がどこかで書いていた問いに答えるものは、あと1日生き延びることだけが望みだという語り手自身が、読み手を得られるかどうかもわからぬまま精魂傾けて書き遺したこのノートそのものなのだろう。
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恐ろしく暗い。
失踪した兄を探しにその国へ踏み込んだ女性は、兄と同じく、その国のあらゆるものたちと同じく、失われ損なわれて行こうとする。
ただ一歩一歩を倒れずに歩むことがこの国では重要なのです…
ただ失われず損なわれないために、ただそこに踏みとどまることが困難な国のなかで、その手紙を書くに至までの彼女の歩んだ経緯と国の上京を書き記したものとして全編が記述されている。
その街で、あるものは内的な創作活動に没頭し、あるものはひたすら善意で持って尽くすことに生き、またあるものは未来への希望としての果てしない作業に没頭する。
どれがましというわけでも正しいかたちとして示されるわけでもないけれど、芸術家は作品でなく自らの醜悪さによって寿命を縮め、善人はAとBへの善意が矛盾した時に選択をせまられ、未来への作業としての記録はその記録が失われ作業が中断したときに力を失う。
主人公であり語り手である女性は、若く美しかったこと、体力などいくつか有利な点があったこと、それにそれは物語としての運のよさによって、誰かしら何かしらに必要とされ続けたことで、死にとらわれずに生きながらえているように見える。
物語の最後まで、誰が救済されるわけでもないし決着もつかない。
同じように絶望的な世界を描いていても1984とまるで異なるのは、ビックブラザーのような、戦うべきシステムがあるわけではないということ。
過去に存在した悲惨をモデルとしながらも、従ってどの時代、どの政治を批判しようという意図によって書かれているわけではないからだと思う。
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語りかけてくるような、「言葉」と「言葉」の彩を感じる。
訳し方の問題なのか、原本を読んでみようかなと思わせる。
最後の世界は物の形状を無くし、ある塊となる。その塊がはびこる世界は生きる希望がなくなるような世界だけど、「希望」はかすかに存在する世界なのだと思う。これは現代でも同じこと。
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例えばリンゴが一つ、あったとする。
それを食べるか廃棄するかして、残りがゼロになったとする。
残りというのは自分にとってのストックではない。
自分が身を置く一個の世界においての、である。
その「もの」がゼロ、つまり、完全に消滅したら、どうなるか。
その「もの」を指す「言葉」も「概念」も消え失せるのだ。
行方不明の兄を捜すため、
そんな悲惨な世界に足を踏み入れたヒロインから送られてきた
ノート――という体裁の小説で、受け取り人は、
どうやら『ムーン・パレス』の登場人物らしく、
ちょっとニヤリとさせられる。
が、ヒロインの「明日」に想いを馳せると胸が痛くなる。
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この小説で描かれた、
いつの時代とも、世界のどこともいえぬ奇妙な世界では、
システムに組み込まれた者たちが
そのシステムの全貌や存在理由など、知る由も無く、
誰もが、
システムが描くストーリーをただただなぞり、
今をかろうじで生きながらえている。
希望も記憶も、感傷でさえも
トランプゲームほどの気休めにしか過ぎず
人も物も時も歴史も、奪われ、消され、忘れられていくのを
絶望の中、黙って見送るだけなのだ。
息苦しいほど鬱屈とした世界。
しかし、主人公アンナ・ブルームの、
異形をしたシステムにすっかり飲み込まれながらも、
誠実に美しく今を生きようとする姿に、
ほんの少しだけ救いと光を見出す事ができる。
たった一つのアイデアにも拘らず、
各エピソードにおける
徹底したディテールの描きこみで
一気に読ませきってしまう力量はすごいの一言。
とか言いながら
読み終わるまでに一月ほどかかってしまった・・・。
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ニューヨーク三部作に続く、オースター4作目の小説作品。
「語ることへの不信感」「ある種の事柄は決して語り尽くすことができない」という著者の作品に共通するテーマは本作でも相変わらず健在だが、本書が他と異なるのは、その一見悲観的なテーマが希望に繋がる仕掛けに使われているところだ思う。
共通のテーマから、味わいのまったく異なる作品を生みだす手腕は見事としか言いようがない。
短いがとても味わい深い作品で、一度では到底味わい尽くせないように思う。
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気が狂いそうになりました(笑)
極限の状況で人間のありとあらゆる面が暴き出されていく快感と不快感の
狭間みたいなところで、
思わず先を読み進めたくなり、
手が止まらなくなりました。
でも確かに、その中で逆に人間の明るい部分や、
希望を提示しているんだろうな、と感じる作品でした。
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未来を描いた作品かと思えば、作者によると20世紀のどこかで起きたことが下敷きになっているという。崩壊した世界を描いた寓話。
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絶望が集約されたような世界。
20世紀を集約したような、架空の世界。
オースター自身は、架空の未来ではなく、実在する現在乃至は過去として、描いたらしい。
単純に、アウシュビッツ、ペスト、を想起させる。
「ペスト」が淡々とした文体で、世界の不条理性を表現されたものであるのに対し、「最後の~」では、友人に訴えるかのようなアンナの語り口によりその世界で生きざるを得ない彼女の絶望感、緊迫感が、現在進行形の悲劇として読者に迫る。
既知の物が未知となる、ゼロへの進行。肉体的ゼロ感覚。ハムスンの「飢え」に対する彼の言及からも、「空腹」という感覚に対するオースターの関心の強さは印象深い。
前半は、自身以外に寄る辺もなく、静謐な絶望感が漂う中、ゆっくりと彼女も世界に飲み込まれ、このまま何の救いもなく消えていくのではないかという感覚に陥る。
そんな状況の中で、彼女は数々の些細な僥倖に出会う。
偶然が、アンナの人間性を再び紡ぎ、消耗させ、人生を受容していく姿が、彼女の言葉に滲む。
青いノート。そこに「書く」という行為。それが彼女の日常を、今、支える中心なのかな。
「大切なのは、人を空腹から守ってくれたためしのない文化を擁護することより、文化と呼ばれているもののなかから、空腹と同じように人をつき動かす力を持つ思想を引き出すことではないか。」
国立図書館の一室で灰となったヘロドトス。
完成することのなかったサムの本。
世界を覆う文化の残骸。その暗鬱たる情景。
青いノートは、「最後の物たちの国」で、唯一の人間性を象徴したものとして、外部の世界へと届けられた。そんな印象。
確かに、このノートは、「空腹と同じように人をつき動かす力を持つ思想」、それを引き出す「文化」かもしれない。
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社会秩序が崩壊し、すべてのものが壊れ失われつつある“最後の物たちの国”に兄を探していったアンナが書く手紙というかたちを取った物語。
読んでいる間、何かが喉の奥でつっかえて泣きそうなのに泣けなかった。とことん悲惨で救いのない世界なのに、読むのをやめられない。続きが気になって読み進んでしまった。苦しかった。でもこれは悪い評価ではない。
“最後の物たちの国”は架空の場所だけれど、今の世界にも“最後の物たちの国”の片りんは見え隠れしていると思った。それでも、絶望の中に希望はあると思いたいし、思わせてくれる物語だった。
そういう意味で、マッカーシーの『ザ・ロード』と近しい場所に存在するお話だと思った。
崩壊した世界での必需品は、靴とショッピング・カート。