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詩集
2012/06/28 17:08
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:K・I - この投稿者のレビュー一覧を見る
はじめて、
江国さんの作品を読んでみました。
詩集ということで手にとったのですが、
女の性みたいなものが強くでていて
よかったです。
親しみやすい詩集でした。
だれのものでもない、江國香織の詩。
2007/09/30 23:08
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:トマト館 - この投稿者のレビュー一覧を見る
読む前にこの本に抱いていた感情をばらします。
小説のイメージが強い著者だけに、
小説の片手間です、という感じの、
すこし粗い詩なんじゃないかと思ってた。
読んでみた感想。
江國香織の詩は、
小説の片手間っぽい詩ではなく、
江國香織らしい詩にしていました。
少女と女性が同居する空間がひろがる詩集。
わたしは、
なくなった父に対する詩が、
いちばんいい詩だと思っています。
たとえば呟くように
2003/11/10 21:43
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オクヤマメグミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者らしい、ゆるやかな言葉で編まれた詩集。
子供時代の風景の中に、現在の大人の世界が見え隠れしている。
ひらがなの多いページゆえ、なんだかエロチックな雰囲気が漂っていた。
子供のように語りながら、時折残酷なことを呟いたりする。
もしこの詩集を朗読するとしたら、大声で観衆に向かうのではなく、隣に腰掛ける誰かにぽそっと小声で喋る感じだ。
「うしなう」という一篇が胸に残っている。
甘い世界のかすかな痛み。
そういう曖昧なものを表現するのがとても上手な著者だと思う。
すみれの花の砂糖づけは甘いのだろうか?
私はまだ口にしたことがない。
江國香織の本音が見える詩集だね
2002/07/09 11:16
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:武蔵野詩人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この詩集を読むと江國香織さんを知る手がかりになりますね。
「すみれの花の砂糖づけを食べると」少女になるってことは
子どもの頃すみれの花の砂糖づけが好きだったのかな。
江國さん夫婦の「結婚生活」というのは「反抗期の中学生」
と「生意気な小学生」が「一緒に暮らしているみたい」なのか。
でも「あなたが泣けばあたしが抱きしめてあげる」ことや
「あたしがなにをしてもあなたはそばにいてくれる」って
いいな。
この作品を読むと江國さんの少女時代、家族のこと、夫婦の
ことがよくわかって江國ファンにはたまらないと思います。
ふだん彼女の小説やエッセイを読んでいる人には新たな
感動を与えるのではないでしょうか。
江國さんが詩?
2001/07/23 06:45
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nme - この投稿者のレビュー一覧を見る
江國さんが詩? と思った。どうしても江國さんと詩が結びつかなかった。小説やエッセイの印象が強すぎたから。まるで日本文学全集本のように古風な装丁も、江國さんには合わないような気がして、出版直後に店頭で見かけたとき、めずらしく買うのをためらったのだった。
それに、僕は実は詩が苦手なのだ。書くのはもちろん、読むのも。国語の教科書に載っているような詩を、みんなは感動したと言っていたけれど、僕にはさっぱり、ちんぷんかんぷんなのが多かった。「ふーん」の一言で終わってしまうような。僕って感受性がまるでないんだな、と思っていた。それと、強烈な詩もまた苦手だった。戦争ものとか、貧困ものとか、どうしても拒絶反応を起こしてしまう。
でも、江國さんの詩集はそうではなかった。こんなすばらしいものをどうしてもっとはやく読まなかったんだ、と、自分の不明と勇気のなさを恥じた。江國さんは、詩でもやはり江國さんらしい。
江國さんは、ことばを正しい質量で使う。重すぎず軽すぎず、そのことばのもつ質量そのままに、余計なものが一切なく。小説やエッセイでも同じことを感じていたのだけれど、これはすごい。正しい質量で使われているから、ことばが正しく伝わる。読者に負荷を与えない。僕が強烈な詩を苦手とするのは、そういった詩に使われることばは重すぎるからなんだと思う。
江國さんの詩は、水彩の絵の具で描かれているみたいだ。この淡さも、僕には合っている。ある詩は、くっきりした色で、点や線を描くように、またある詩は、ぼんやりした色で、キャンパス全体を塗るように。いずれにせよ、その詩は水彩なのである。はっきりとして強烈な油彩ではなく。余韻がある、余白がある。
いつも思うのだけれど、江國さんの日常を見る目の鋭さは圧巻だ。日常にひそむ事象やちょっとした感情を、さっとすくいとってしまう。その手つきは、金魚すくいのように鮮やか。さっとすくいとって、正しい質量のことばでぱっとかたちにしてしまう。まるで事象や感情を瞬間冷凍しているみたいに。鮮度がいいから、読む者にも「おいしく」伝わってくる。自分も確かに感じたことのある気持ち、あるいは経験したことのないことまでも。この詩集は、日常を保存する冷凍庫みたいだ。
江國さんは、詩によって何かを伝えようとはしていない。江國さんの仕事は、さっとすくい、ぱっと冷凍し、紙に並べていくだけ。そうすれば、あとは詩が自律的に伝わろうとする。「伝える」ではなく、「伝わる」。それが、僕にとってはとても好ましい。
それにしても、こんな詩集を読むと、恋愛をするのがこわくなる。特に江國さんとは(まずあり得ないけれど)。こんなに鋭く観察されて、こんなに的確にことばにされたら、男は何も言えなくなる。「うしなう」という詩を突きつけられたら、もうなすすべなしだ。女性のことばはこわい。それがたとえ愛に満ちたものであっても。ばかな男は、両手を挙げて降参するしかなくなってしまう。