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紙の本
結局のところ、差別に正面から対峙できるのはこの著者のような態度でしかないのではないだろうか——そんなことさえ考えさせてくれる良書である。
2002/08/10 11:21
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
一般の方は読んで驚かれるのかもしれないが、同じ放送業界に籍を置いている僕にとっては、この話は別に目新しいテーマではない。むしろ以前からモヤモヤとして釈然としない気分であったものを、よくぞここまで紐解いてくれたという感じがする。
論旨は明快である。特に序盤は明快すぎてややつまらない感じさえする。
著者は「放送禁止歌」という現象を糸口にまず差別という問題にぶつかる。そこから彼なりにさらに掘り進んで辿り着くのは「自主規制」という看板を隠れ蓑にした責任放棄であり、事なかれ主義の思考停止でしかない。
著者は所謂「東」の人であり、「西」の住民であった僕のように少年期に「差別」の洗礼を受けていない。僕のクラスの中では明らかに差別があった。小学校で「同和教育」を受け、ある日校区内に「解放会館」なる施設が建った。著者はそういう経験も知識も全くないまま、この問題に取り組み始めたわけであるが、そういう人である故に却って何の先入観もなく非常に虚心坦懐なアプローチができている。もちろんそういう人であるが故の混乱や苦悩も見える。
この本の良いところは、そんな著者の人柄が見えるところである。
こういう本はともすれば大上段に振りかぶって「社会を糾弾する」とか、「問題点を抉り出す」とかいうトーンになってしまって、読まされたほうは「それじゃお前はどうなんだ」と言いたくなってしまう。
この本の場合は著者がそういう第三者的立場に陥ることなく、丹念に問題点を辿って行く姿がよく見える。著者の悩みも思い違いも、その都度隠すことなく披露されている。僕らは読みながら、著者が歩いたと同じ旅路をなぞることになる。
結局のところ、差別に正面から対峙できるのはこの著者のような態度でしかないのではないだろうか——そんなことまで考えさせてくれる良書である。
紙の本
考えないことの怖さ
2006/03/01 13:42
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
どうしてこんな歌が「放送禁止」になったのか?という疑問から作成されたドキュメンタリー番組があった。この本はそのドキュメンタリー番組の制作秘話、といった形で番組の背景を明らかにしていくのだが、その書き方はこれ自体が「ドキュメンタリー制作のドキュメンタリー」といったおもむきである。
ある世代にとっては懐かしく思い出される、いつか聞かなくなってしまった歌。今は知らない世代の方が多いかもしれない歌。これらの歌が消えた事実の背景を探るというドキュメンタリーの、謎解きのような面白さの中、引っ張り出されてきたのは「考えないことの怖さ」という大変一般的な結論でもあった。
結局は「放送を禁止された」というよりは「放送を自粛した」というのではないかというところから、「問題を起したくない」というメディアの体質が指摘されるのは当然の論旨であろう。しかし著者はさらにそこから「考えずに従っていく」、後に続くものの自覚のなさにも問題を指摘する。「異論や反論も提示することをしない」自分たちが実は一番問題なのだ、と。
エピローグで指摘される「マスメディアは実は規制を望んでいるのではないか?」は反語的で鋭い。確かにはっきり「誰かに」規制されれば、自分の判断も責任も必要なくなるだろうから。「楽にいきたい」。メディアだけではなく、全ての人がどこかそう思っていないだろうか?
「放送禁止歌」を取り上げると避けては通れない「差別」の問題の、その微妙さや小さい日本の中でも「東と西の温度差」があることなどが、本の後半では描かれる。その中で「被差別」の人たちの中にもまた違った受け取り方が現われてきていることに著者が新鮮な驚きを感じたところには、良くも悪くも状況は動いている、動くのだ、と未来に少し望みをつなぎたくなった。
以前著者の書いた「いのちの食べかた」の書評に「差別にまで結びつけるのはちょっと」と書いたのだが、そこに結びついている著者の体験がこの本を読んで理解出来たように思えた。監修のデーブ・スペクターも、著者との対談にはテレビなどではみられないシリアスな面がにじみでている。
フォークソングがまた人気を盛り返しているという。こういう歌、こういう問題ももう一度日の目を見ても良いと思う。
紙の本
事なかれ主義による自主規制が、文化をつぶす
2002/05/29 18:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:uwasano - この投稿者のレビュー一覧を見る
フジテレビの深夜ドキュメンタリー番組「NONFIX」で放映された、「放送禁止歌」の企画が生まれてから放映されるまでの経緯をまとめた本である。著者は演出家の森達也氏で、オウム真理教を題材にしたドキュメンタリー映画『A』の監督として知られる。
「放送禁止歌」という、テレビで放映することが禁止された歌がある。その実体を求めて、その歌の歌い手や放送関係者に話を聴きに行き、その歌を直接歌ってもらおうという趣旨である。なぎら健壱『悲惨な戦い』、高田渡『自衛隊に入ろう』、泉谷しげる『戦争小唄』、赤い鳥『竹田の子守唄』等の歌は、なぜ「放送禁止歌」とされているのか? 調べていくと、民放連=日本民間放送連盟の、「要注意歌謡曲」というガイドラインにたどり着く。このガイドラインは単なる目安であって、民放を縛っている規制は何も無いということがわかる。
テレビ局が「世間から見て危ない歌」をピックアップし、放映の自主規制をしてきた、というのが「放送禁止歌」の正体だったわけだ。なぜこのようなことが起きるのか? 著者は『竹田の子守唄』を追うことで、部落差別の問題をクローズアップしていく。
「部落は恐い」という都市伝説から、その問題を語ることさえタブーとなってしまう。それが、テレビ局で「放送禁止歌」という自主規制の形となっていく。トラブルになりそうなことには関わらないという「見ざる、聴かざる、言わざる」という事なかれ主義の日本人に多く見られる生き方である。これが、多くの表現者(上記のなぎら健壱・高田渡等)の作り出す文化を廃棄してしまう。この本の監修者であるデーブ・スペクター氏の「大切なことは知ることだよ。見て、触れて、感じることなんだよ」というセリフは重い。
ありもしない規制で精神が呪縛されてしまう表現者と、事なかれ主義による番組を垂れ流すテレビ局と、その影響で貧弱な文化に馴らされる視聴者、そんな構図が思い浮かぶ。
視聴率のために、様々な過激な番組を作っている日本のテレビ局だが、たいして危険でもない歌謡曲を自主規制しているとなると、その他の調査報道等のレベルは推して知るべしである。日本はタブーだらけの国だと思うが、問題に立ち向かう勇気が欲しい。自主規制の殻をぶち破れば、番組の質は高くなる。デーブ・スペクター氏なんかに馬鹿にされない放送を目指してほしい。
紙の本
自分自身のお役所体質にガツン!と
2000/10/09 12:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ほの字屋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は「放送禁止歌」というドキュメンタリーを制作する森達也氏を、森氏自身が密着取材して、ドキュメンタリーにしたものと言えるだろう。一人称「僕」として登場する森氏。そしてちょっと離れたところで構成・演出をするもう一人の森氏。「僕」に向かってもう一人の森氏はこう言ったにちがいない。「主張したいことがあるなら身をもって示さなきゃ伝わらないよ」。
そこで「僕」はあくまでも自分が実際に会った人、見たこと・聞いたことにこだわって、自分で考え、語ろうとする。「放送禁止歌」をめぐるマスメディアの官僚的な自己規制、触れないことによって温存されつづける差別──。こうした問題を打開するのに必要なのは、まさに「自分の頭で、自分の言葉で考えること」だからだ。
仕事や時間に追われて、前例がないことに手をつけたがらないのはマスメディア関係者だけではない。ラクな方に流れてゆくのは人の常。大きいものには巻かれとけ。大人なんだからそういうややこしいこと言い出さないでよ、という調子で続けてきた果てに、そごうや雪印のような企業の問題も噴出したのだろう。もちろん明日は我が身。思考停止のあげく、地雷原のように「放送禁止歌」がゴロゴロ埋まっている。それが私たちの社会の現状なのだ。
本書を読むと、自分の頭で考えられる「僕」を取り返さなければ、と焦燥感に近い思いに駆られる。「まだ間に合う。遅過ぎることは決してない」という森氏の言葉にちょっと勇気も湧いてくる。
紙の本
自主規制(心)の奥にある差別問題
2000/09/19 21:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:伊藤克 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本のタイトルと、監修“デープスペクター”のキャラクタから、この内容について軽薄本であると誤解する方が大勢いるかも知れない。私自身、半分誤解してこの本を購入した。しかし、それは誤りである。
この本で述べられている事の半分は、事なかれ主義が生み出す(明確な主張のない)“"自主規制”であり、残り半分は、部落差別問題である。人種差別が無い(と公言されている)日本国内の隠された差別問題について真摯に取り組んでいる事に好感を持った。
「うちが何ぼ早よ起きても お父ちゃんはもう 靴とんとんたたいてはる」
この本で取り上げられている様に、岡林信康の名曲であるこの歌は、現在TV・ラジオで聞くことはない。
実体のない檻、意味のない“自主規制”を乗り越えて歌い継がれる事を望みたい。
紙の本
放送を禁止された歌とは何か.なぜか.
2000/09/09 01:56
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:(格) - この投稿者のレビュー一覧を見る
放送禁止歌というのは何なのかというのを追った書。結局、禁止歌というのはなく、自主規制だったというのが結論。要注意歌謡曲一覧というものを民放連が自主的に作り、それに従っていれば、問題が少ないということで、皆がそれに従ったということらしい。もっとも、この制度自体はもう10年以上前に停止しており、何の効力もないらしい。
考えることをしないマスコミ。それが最大の問題点だ。影響力のあるマスコミが考えることをしない。この本の最大の指摘である。これを番組として放映したという。見たかった。そういうところから、変わっていければいいのだろうが。
『竹田の子守歌』に詳しく触れている。歌の意味の矛盾。たしかにそうだ。在所が部落を意味するのなら、この歌の歌い手は部落の娘ではない。逆の意味なら…著者は断言する、と言いながら、この歌の解釈をどうだと言っているのか読み取れない。
紙の本
9月15日今日のおすすめ
2000/11/16 18:55
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「放送禁止歌」そんなものは存在しなかった!各メディアで話題騒然!ナアナアの事勿れ主義(=自主規制)が蔓延する放送業界を孤高の映像ディレクターが鋭く斬る問題作。放送に限らず全メディア関係者の、秋の課題図書とすべし!
★編集者コメント★
「放送禁止歌」は六年前に森達也が企画案を練り、テレビ各局に持ち込み、「放送禁止歌をどうやって放送するんだよ?」と断られつづけ、やっと実現したNONFIXでの番組を元に、再取材・再検討を加えた本です。
岡林信康『手紙』、赤い鳥『竹田の子守唄』、泉谷しげる『戦争小唄』、フォーク・クルセダ—ズ『イムジン河』・・・闇に消えた放送禁止歌を追おうとする森達也は、「規制したのは誰?」「解放同盟のメディアの差別表現への糾弾が禁止の理由か?」放送関係者、規制を受けた歌手、それに解放同盟を次々に訪ね、ストレートに質問をぶっつけていくのです。
「部落問題とかかわる歌は絶対にやれない」と得々と語る番組考査部、あるいは質問を受けて動揺する関係者の対応。やがて、意外な放送禁止歌の本質が姿を現してきます。それは私たち全てにとらえ返され、「規制の主体は自分自身だ」という答えであったのです。
(解放出版社・多井みゆき)
★著者紹介★
森達也(もり・たつや)
1956年生まれ。大学卒業後、自主制作映画や演劇活動を経て、番組制作会社に入社。97年オウム真理教を題材にしたドキュメンタリー映画「A」を発表。以降はフリーに。99年フジテレビ系列にて放送されたドキュメンタリー「放送禁止歌」の演出を担当。現在「A」の続編と、下山事件を題材にしたドキュメンタリー映画の撮影と並行して、超能力者を題材にしたルポと「下山事件」をテーマに執筆中。