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紙の本
娘に伝えたいこと
2002/05/19 17:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
お父さんが大江健三郎さんの小説を初めて読んだのは、多分16歳くらいの、高校生の頃でした。それからたくさんの水が橋の下を流れ、大江さんはノーベル賞作家になり、お父さんは君たちの父親になりました。大江さんも、お父さんも、幸せな大人になったということでしょうか。(笑)もっともお父さんの方は大江さんのように熟した大人になったとはいえませんが。
そんなお父さんが君たちに伝えたいことは、この本の中で大江さんが書かれている言葉の一つひとつが、やはり現代の僕たちにとって最良の思想であり、日本語だということです。ここに書かれていることのすべてが君たちに理解してもらえるとは思わないですが、大江さんの文章はいささかまわりくどいですし、でもここに書かれているのは良質の大人の意見です。そして、これからの君たちの時代をあかあかと照らす、たいまつだと思えばいいでしょう。
紙の本
「書く」ということ
2002/12/03 14:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は、大江が初めて、子どもに向けて書いた作品です。けれど、子ども向けとしては難しすぎるかなあ、と感じました。「大人」の私に、丁度いいくらいかも(私の読解力の無さ過ぎ?)。
大江が子ども向けに書こうとしたのには、自らが年齢を重ね、自らの蓄積を次の世代に伝えておかなければ、という切羽詰った気持ちからでした。そのことが、本全体を通して、強く伝わってきます。
それは、昨年夏、小澤征爾と語る中で生まれてきたそうです。
小澤は、「もう時間がない、セッパつまった気持なんだ」[31]と大江に語ったそうです。けれど、実に楽しそうに若い人を教えているように大江には見えたそうです。その姿は、「自分の心臓の鼓動がとまった時、これらの若い人たちの胸に新しい命がやどって動き続けるようにと、それを心からねがって教えている」[30]と表現されています。
まだ私にはわからないけれど、自分一人の人生の成功ではなく、人類が類的存在として成功を願って、それをつないでいく気持ちなんでしょうね。私はまだ、自分一人を自立させることで精一杯。私も、彼らの年齢になれば、そう思うようになれるのでしょうか。
(余談ですが、実は私は小澤征爾のめっちゃファンです。音楽はもちろんですが、人柄、生き方も。偶然、誕生日が同じで。その日には、何度も小澤指揮のオペラを聴きに行きました。小澤のことは、また改めて書きたいと思います)。
大江は、子どもたちと関わるツールとして、子どもたちに事前に作文を書いておいてもらい、それを大江が、添削・推敲(大江は、どちらの言葉も良くないとして、elaborationという言葉を好んで使っています。なぜ、添削・推敲では良くないのかは、本を読んでください)し、それを手がかりに子どもの前で話すということをしたそうです。
そのエラボレーションに込められた思いは、「相手と同じ場所に立って、一緒に文章をみがき、相手と自分とを人間として少しずつでも高めていっている」[27]と書かれています。
ここで私が、個人的にアクセントを置いて紹介しておきたいことは、文章を一緒にみがくことは、「相手と自分とを人間として少しずつ高めていっている」という点です。「書く」ということは、ただ「書く」ことではない。しかも、ただ書きっぱなしではなくて、他者(あるいは、優れた指導者?)と一緒に表現をみがくことを通じて、人間としての高まりがあるということ、とても共感します。
私自身は、更に、人間的な成長につながらない表現は、意味がないのではないか、と考えます。つまり、「書く」ことには、それぐらいの厳しさを伴わなければいけないのではないか、と。
私は、ついだらだらと、長文を書いてしまいますが、そこに、どれだけ、厳しい表現があるのか、自省します。そして、少しでもそういう表現ができるようになりたいと思います。
紙の本
「自分の木」の下で
2001/07/02 19:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:193 - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜ子供は学校に行かなくてはならないのか?という疑問に大江健三郎氏が丁寧懇切な言葉で答えている。
大江氏は二度、なぜ学校に行かなくてはならないのかと考えたことがあるという。そのきっかけは敗戦直後の教師の態度の豹変から、もう一つは光さんが生まれてからだという。大江氏はこの時悩み、ある答えを導いている。そして、その答えはこの本のなかに書かれているし、大江氏にとっても大切なものだという。
紙の本
学ぶこと、生きることが子供たちに伝わる
2001/07/16 00:36
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小林育子 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」という問いに、格調高い答えを期待して手に取ったのが、大江健三郎のこの一冊。
期待通りの本である。小学校高学年から中・高校生ぐらいの子供に向けて、学ぶことや生きることについて語りかけるように書かれている。でも、子供だけではもったいない! 大人にもぜひ。大人なら心静かに自分の生き方を振り返る、読んだ後にそんな気持ちにさせられる。
空想癖があり読書好きだった著者の子ども時代、父親や母親からなにを学んだか、学校生活の思い出など、エピソードは個人的なことに求めているけれど、単なる回想録ではない。戦争体験や、障害を持つ息子を育ててきた経緯、小説家としての観察眼から、ひとつひとつのエピソードに、子供たちへのメッセージが込められている。
一言で言うなら「人間としての誇りを持ち、自分を大切に生きなさい」ということだろうか。そしてその生き方を支えるために、学校教育もある。これがまた、大江健三郎らしい。まず、子供を一個の人間として信頼しているのである。
こういったメッセージについて、「荒れる子供たち」の現状を憂える人々から未熟な子供に誇りなんてあるか、子供の人格を認めたうえでなんて理想論すぎるという批判がときとしてある。著者はそれを承知で「でも私は言い続けたい」と、本著のなかで強調している。
そうそう、つまりこの本には、「学校へ行かねばならない理由」として損得だの、人生の成功・失敗だのということは書かれていないのである。ましてや、私たち凡人がつい答えてしまうような「とにかく行っておけば、将来後悔しない」とか「行くのが当たり前じゃないか」なんて答えはどこにも見当たらないのである。だからある意味、格調高い。
私がこの本からひろった子どもたちに贈りたい言葉は「取り返しのつかないことは子供にはない」。そして、親としてささやかな励ましとして受取った言葉は「ある時間、待ってみてください」。この2つのフレーズは、著者のある思い出とともに語られている。追い詰められたと思う場面が、親子ともども多いのがいまの学校かもしれない。そのとき、この言葉は強い支えになるはずだ。