投稿元:
レビューを見る
長編。
中山さんは女性同士の恋愛を描く方です。
正直、あんまり好きじゃなかった。
これは中山さんだからではなくて、私自身恋愛小説自体が好きじゃないからかも。
投稿元:
レビューを見る
この愛の為になら死んでもいい。
言葉にすると嘘臭いのに、どうしてこの人の手に掛かるとこんなにも息苦しい熱を感じるんだろう。
手に入れるため、我が物とするために全身全霊をかけて打ち込む姿には男とか女とか些細なことに思えてくる。
死に向かう者が見えない手で優しく送り出す想い。とげとげしく荒々しい、それでも混じりっ気なしの愛で、生きたいと叫ぶ者はそれに応える。
ホント純粋に私はいいお話だと思います。
投稿元:
レビューを見る
これはちょっと自分の好みじゃあなかったんだけど誰も私の好き嫌いなんてきいてないやね。なんとなく、自分がもうちょい年くったらもっと楽しく読めそうだと思う。気になったら読むべし。
投稿元:
レビューを見る
いつか殺されるかもしれないと思っても、逃げようとは思わなかった。稚児は武将と運命を共にするものだ。この人が破滅するなら一緒にだめになろうと思っていた。しかし梅ばあは、いよいよ城が陥落するというとき、稚児を裏門からそっと逃がしてくれる武将であった。車もマンションもシャガールも手放し、借金取りのたたくドアに背を向けて、ただ目だけをぎらぎらさせてモーツァルトを聴いていた。
(中略)外ではヤクザがドアを壊しにかかっている。ハンドスピーカーから彼らの垂れ流すごみのような悪口が聞こえてくる。(略)梅ばあはびくともしない。モーツァルトのヴォリュームを上げるだけだ。
「この音を聴け。たった今、ドツボの人間を救っている。こんなすごいことが、おまえにできるか」
投稿元:
レビューを見る
数年前に(確か)この作家の「猫背の王子」という作品を読みました。メル友のHが勧めてくれたのだ。
その作品を読んだ時に、自分的には熱狂して読んだというわけではなかったかと思う(おそらく、ヒロインのミチルのキャラが好みじゃなかったかと思うんだけど(苦笑))。
それでも「もうこの人の作品は読む気はしない」とまでは思いませんでした。
非常に私的な感想だけど、その点が昔読んだ「ナチュラルウーマン」とは違う所だと思う。
そういうわけでこの文庫を購入して、札幌へ講習に向かう道すがら読み始めたわけですが。
正直面食らってしまいました。ワタシ、この本を読んでる最中ずっと泣きっぱなし!(笑)
汽車に乗っている間に読み切ってしまったのですが、それでもずっとぽろぽろ涙が止まらなかったですね。隣が空席で助かりました。
内容的には、ピアニストでゲイの「ガリ」こと石狩響子が、最愛の人成島透子の忘れ形見である息子の桐人を引き取り、桐人の遺伝子上の父親に当たる男の元恋人高橋照光(照ちゃん)と三人で家庭を作るまでの話。
‥こう書くと身も蓋もない?(苦笑)つか、これだと「三人で家庭を作ってからどういう事がおこったか?」と思っちゃうかもしれないけど、本編では「三人で暮らすことにした」で終わっている。
本編は、ガリがどれだけ透子の事を愛しているか、その感情が綴られており、そして透子自身も大変魅力的に描かれている。そうして、でも簡単に「一緒に暮らしましたとさ。めでたしめでたし」とならない問題もちゃんと描かれている。
ワタシ自身、透子の想いに「そうだよな‥」と納得するところがものすごくあった。
それでいてガリの欲求もすごく判った。
個人的には、ガリのスポンサーであった梅ばぁ(梅林という人)と、ガリとの絡みの部分がすごく好きだったりします。梅ばぁは全盛期は「赤坂のジャンボ」と呼ばれるような実業家で、女性ながら常に男装をしている人でした。
この人がガリのピアノの才能を見抜いて、援助し続けてきました。
最初は体の関係もあったみたいだけど、今はそういう所は越えてしまっていて、精神的にものすごく「許し合っている」「信用することさえも意識していないほど信用している」というのが感じられる関係。それだけじゃなく、梅ばぁをかばってガリはその左指に傷を負い、第一線から退いてしまう事になったという過去もあったりする。そういう二人のシーン‥。
特に、透子が亡くなって、ガリが入院している梅ばぁの所へ行って、ただただ泣いてしまうシーンと、ガリがピアニストとして第一線にカムバックするコンサートへ、病院から正装して(でも点滴の袋はぶら下がっている)梅ばぁが駆けつけてくるシーン。
もうワタシは号泣でした。
多分非常に個人的な事だけれども、その当時の自分の精神状態とシンクロする部分がものすごくあったのではなかったか‥と今になってみるとそう思えます。正直せつなくてしょうがなかったですね。
でも、この作品の‥というかこの作家の好きなところは、同性の関係でありながらも、その向こう(将来とい���べきか?)にはポジティブな空気を感じるところなのではなかろうか。
どんなにつらくてもなんでも、自分は明日も生きていく。生きて、何か(幸せ?)を感じて生きていくのだ。
そういう雰囲気を感じられる所が本当にすきだと思う。
多分、自分の中での受け止め方で、ナチュラルウーマンとの違いが、これなのではなかろうか。
そういう風に感じながら泣けたので、個人的には読了後落ち着くことが出来て、とてもありがたかったです。そうして、中山可穂の作品をしばらく読み続ける事になってしまいました‥(笑)。
投稿元:
レビューを見る
薦めていただいた。
ひさしぶりに女性作家の恋愛小説をがっつり読んだーという感じ。腹に溜まるかんじがする
きれいな言葉で組み立てた繊細すぎない文章がいかにも女性らしい濃厚さで作品の内容にぴったりな感じでした
投稿元:
レビューを見る
こういう家族の形も、良いかもしれない。
テルちゃんもさる事ながら、何と言っても梅ばあの粋な人柄には痺れた。特にタキシードでコンサートに駆けつけてくれた場面が、良い。
ゆっくりと温かなピアノの旋律が聴こえてきそうな物語。
投稿元:
レビューを見る
著者の他の本に比べ、甘くて優しい・・・かもしれないけれど、大好きです。
気高く上品な感じがするのはなぜだろう。
登場する音楽を聴いてみたくなります。
投稿元:
レビューを見る
なんかケッヘルよんでしまったら長編でもものたりない!
えっおわり?みたいな 読んでるときも、もうおわってまうー!ってなる 読み終わるのがさみしい
でも中山可穂の話にはいろんな知識がつめこまれているので もういっかい辞書片手に読む これがすきだ!醍醐味だ!
いままで本は一回読んだらそれでおわりやったのに 一冊を何回も読む面白さがわかりました いやこれケッヘルの感想やん
投稿元:
レビューを見る
中山可穂さんの作品は、身を切るような切ない恋愛小説が多いけれど、今回はいつもと違い、切なさを癒す、深く穏やかな愛のある作品です。
すごくお気に入りの本で、再読。
血の繋がらない他人同士が、恋愛関係でもなく性別をも越えてただ愛だけで繋がる様に胸打たれます。
もう何度も読んだ作品なのに、毎回感動してしまう。
新しい「家族」のかたち描いた物語です。
投稿元:
レビューを見る
今まで読んだ中山さんの本の中では一番穏やか?なかんじのような。
性愛の描写が少ない…、愛ゆえの憎しみがないから?読むのにそこまで気力を使わなかった。
シングルマザーを批判するわけではないけど、ひとり親の場合自分が死んだら子どもが一人になっちゃうんだよね。それを考えると不安。
投稿元:
レビューを見る
家族になるまでの話。
レズビアンのピアニスト・響子と その元恋人・透子、その子ども桐人、父親の元恋人でゲイの照光で変な形の家庭を作ろうとする。
それぞれが性に奔放で、色々な人からの様々な愛を享受している印象。
最後まで読むとタイトルの「サグラダ・ファミリア」の意味が分かる気がする。
多様で有機的な部品を持って作り続けられている所とか。
投稿元:
レビューを見る
中山可穂の作品で一番好きかもしれない。
穏やかな気持ちになった。
ゲイとレズビアンの夫婦っていいなあと思った。機能的というか。
子を育てるって目的がはっきりしてるから、収まりがいい。
本当に性なんて多様で、他人が口を挟むのはナンセンスだ。
投稿元:
レビューを見る
ガリことピアニストの響子が生涯でただ一人強く無条件に愛した相手、透子。その彼女の口ぐせは「ガリの子供を産みたいな」だった。響子の前から姿を消した透子が再び現われたとき、彼女は未婚の母となり、その腕には桐人という赤ん坊が抱かれていた。幸せそうな透子に対し、響子は恋人の子供の存在を受け入れられず当惑する。
レズビアンで女によくもてるという設定は「猫背の王子」と同じだが、こちらの方が主人公のキャラクターにイヤミがなく、受け入れやすかった。しかしまとめ方には絵空事的な感じが否めない。レズビアンを扱った小説を読むたび、展開や結論が限られてしまうテーマだという気がするんだけど、どうなんだろ。
投稿元:
レビューを見る
ゲイの父親にビアンの母。そして、それぞれが愛した相手の間に生まれた子ども。あぁ、こんな家族、いいですね。中山さんの小説にはセクシャルマイノリティの人びとがたくさん登場して、誰もが自然と受け入れられているので、読んでいると偏見とかもうないのかな、なんて思う時があります。また、猫もよく出てきますねー。かわいいですね。猫より犬‼ 揺らぐはずがないと思っていたこの気持ちもだんだん変わって…今はネコが飼いたいなぁ。わがままなネコを甘やかしたい。猫好き精神的に…なんでもないです。