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ガラテイア2.2 みんなのレビュー

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みんなのレビュー12件

みんなの評価4.4

評価内訳

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12 件中 1 件~ 12 件を表示

紙の本

読み終えてすぐにまた一から読み直したくなった。これほど読むのに難渋したはずなのに、何故?

2004/10/24 19:51

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 読み終えてすぐにまた一から読み直したくなった。これほど読むのに難渋したはずなのに、何故?

 これは『舞踏会に向かう三人の農夫』に継ぐパワーズの邦訳第2弾である。あの本も読むのがずいぶんしんどかった。あまりに入り組みすぎていて、しかも難解だった。そして、この『ガラテイア2.2』もまた話が交錯する。しかし、交錯すると言っても、この本では話はたった2つだ。主人公の作家リチャード・パワーズがコンピュータに言語を教えようとする話と、回想として挿入される、Cという女性とパワーズとの恋と破綻の物語。
 前者の物語は、テーマがテーマだけに、コンピュータ関係、脳神経医学、英文学(しかも人類のほぼ全歴史に亘って)などものすごく広い領域に拡散する。まさに知識の爆発である。しかも、そこに作者独自のかなり高度なレトリックが織り交ぜられるので、読んでいてクラクラする。何度も戻って読み直さないとついて行けない。いや、読み直しても完全にはついて行けない。しかし、訳者も書いているように、「パワーズが読者に要求しているのは、知的な反応はもちろんだが、それよりももっと、感情的な反応なのだ」(あとがき)。

 レンツ博士とパワーズによって言語を教えられる人工知能はA号機に始まって、B号機、C号機と次々に進化を重ね、H号機に至って自ら「私は男の子か女の子かどちらですか?」と質問する。パワーズはためらうことなく「きみは女の子だよ」と答え、ヘレンと名づける(217頁)。初めは質問にトンチンカンな回答を繰り返していた人工知能が、このように次第に人間らしくなって行くさまがとても美しく描かれている。そんなヘレンに対してパワーズが情愛に似た気持ちを抱くようになるさまもとても美しく描かれている。
 そして最後の、この見事なまとまり! ここまで見事にまとめられると苦労して読んだ甲斐があったと思える。いとおしいストーリーだ。
 あとがきによると、ジョン・アップダイクはこの本を読んで涙したとか。僕は涙は流さなかった。ただ呆然とした。

 この重厚な作品を読めば、小説においてもっとも重要な能力は、部分部分の表現力なのではなく、全体の構築力に他ならないことが良く解る。
 この2段組の分厚さにたじろがずに、一人でも多くの方に読んでもらいたい小説である。多分21世紀を代表する作品になるのではないかと思う。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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紙の本

永遠をめぐる物語

2002/04/21 01:12

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 海外の生きのいい現代小説が無性に読みたくなって、勘をたよりにミシェル・ウエルベックの『素粒子』とリチャード・パワーズの『ガラテイア2.2』を購入し、長い時間をかけて続けて読んだのだが、偶然とはいえ二十世紀の人類が世紀末に残した「遺伝子と電子工学」(田村隆一)を主要な縦糸に設えた作品を選択する手際のよさに我ながら感じ入っている。

 他人の書いたものをさかなに自画自賛していても仕方がないので、この二つの長編小説の双対性(duality)についてもう少し触れておくと、『素粒子』では性的妄想にとらわれた国語教師の兄と性的欲望が希薄な分子生物学者の弟の異父兄弟が、『ガラテイア2.2』では作家にして人工知能ヘレンの英文学教師のパワーズとコネクショニズム急進派の認知科学者レンツが対位法を織りなす主要人物として登場する。

 さらにパワーズは別れた恋人Cとの過ぎた日々の追想あるいは記憶の寄生体に(そしてその投影としての、あるいは反復もしくは復活の幻想をかきたてるAへの欲望に)とらわれ、レンツには脳の一部が壊れた痴呆症の妻オードリーが(そして同僚のダイアナには障害を持つ息子が)影となって寄り添っている。これらの輻輳する二重構造が「2.2」の意味なのかというとたぶんそうではない。

 ガラテイアはギリシャ神話でピグマリオンに愛されアフロディテに命を吹き込まれた彫像のこと。リチャード・パワーズの第五作は、自作をめぐるさりげない自己言及──《ところがキャプションはまったく違うことを語っていた。舞踏会へ向かう三人の農夫たち、一九一四年。(略)僕はこれまで見たこともないのに見憶えがあるというショックを味わった。僕がこれまでに読んだあらゆるテクストが収束する無限数列を成し、帰納的に求められる、自明な次の項を呼び求めている。写真が扱っているものとキャプションが名指ししているものとのあいだのあの狭い空間の中に、僕は僕の物語を見つけた。》──を織りまぜながら、過去と現在の物語の同時進行を通じて不死なるものと魂、記憶と永遠、生命(肉体)と物語(心)のパラレリズムを、そして人間(作者)を愛してしまった人工思考体(作品)の自死(気高い退化)の物語を叙述している。

《ヘレンは知っていた。集めた情報から考え出していたのだ。彼女になにも隠しだてはできない。心はすでに失ったものを蓄えるために永遠を作り出すことを、彼女は知っている。物語は、時を超えた言葉を投函することができなくて、「今」が家を出る前の瞬間にその言葉を呼び戻すことも、彼女はとっくに学んでいた。》

《我々の生命とは地図を収めた箱であり、自己編成的で、一対一のフィードバックに融合して、それぞれの断片がたえず他の層の書き換えと一致するように自分を書き換えている。その藪の中に、魂が存在しているのだ。魂とはシステムが安定するかもしれない魅惑者の探求に他ならない。必滅の衣を纏った実体なきもの、自己自身の困惑を隠喩化する連合記憶、音節となった音。神の静止質量。》

《彼女がほんの一瞬戻ってきたのは、このほんの小さな一節に注釈をつけるためだけだった。小さなことをひとつだけ、僕に言うために。人生とは、生きている実感を知っているということを、他人に納得させることだと。世界のチューリング・テストはまだ終わっていない。》

 それにしても「2.2」は何を意味しているのだろう。たとえば『論理哲学論考』の命題2.2は「像は写像の論理形式を写像されるものと共有している」(奥雅博訳)で、『存在と時間』第一部の第二編第二章には「良心の呼び声」をめぐる議論が出てくる。これらが「2.2」の暗示を解く鍵なのかというとたぶんそうではないだろう。

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紙の本

前編:コンピュータが人間に恋することは可能か?

2002/02/13 18:15

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:越川芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 かつてジョン・バースは『山羊少年ジャイルズ』と題した、コンピュータが創造したという設定の学園小説(キャンパス・ノベル)を書いたことがあったが、あれから35年後に、こんどはリチャード・パワーズが大学キャンパスで特殊なコンピュータ開発にかかわる小説家を主人公(語り手)にした、半伝記的な小説を書いた。
 小説の舞台は、米国の中西部にある大学キャンパスの先端科学センター。そこでの注目の的は「複雑系」と称される領域で、「人工知能、認知科学、視覚化と信号処理、神経科学」などの、さまざまな研究分野がクロスオーヴァーした共同研究をおこなっている。莫大な利益をもたらすかもしれない「商品」や「技術」の実用化と直結しているので、政府からも民間企業からも莫大な資金がながれこみ、ある意味でうさん臭い山師的な研究もいっぱいある。
 この小説の語り手である「僕」こと、リチャード・パワーズがかかわる研究課題も、いささかウソ臭い。最先端のコンピュータに、英文学の修士号を取りうる知識を身につけさせ、大学院生と同じように、最終試験にパスさせるというものだ。同僚のレンツ博士に助けられて、「僕」はコンピュータに英文学の必読リストを読んできかせる。
 物語の後半に、マッドサイエンティスト然としているレンツ博士の「秘密」が絶妙のタイミングで明らかにされる。すなわち、博士には妻オードリーがいて、痴呆症のためにキャンパス内の療養所で暮らしていることが判明するのだ。言語認識や感情表現の点で限りなく人間にちかづいていく「人工頭脳」と、「脳」の一部が壊れてスープの入ったカップの中にスプーンを入れることすらできなくなってしまった生身の人間との対比が絶妙である。このオ—ドリーの痴呆症のエピソードは、「老化」してもそれを抱えて生きていかねばならない人間の宿命を浮かびあがらせるいっぽう、なぜレンツ博士が研究室に閉じこもって、「老化」を知らぬマシーンの開発に熱中しているのか、を暗示する。さらに、このエピソードは、同僚のダイアナの障害を持つ息子のエピソードと同様、科学万能主義に陥りやすい、傲慢な「先端科学」のエリート主義に水をさすサブプロットとしても効いている。 (bk1ブックナビゲーター:越川芳明/翻訳家 2002.02.14)

  〜 書評後編へ続く 〜

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2004/10/17 13:12

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2004/11/25 12:46

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2023/02/02 16:09

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2018/10/28 15:45

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