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スキピオ(アフリカヌス)のシチリア派遣からザマの会戦(前202)を経て、カルタゴの滅亡(前146)までである。スキピオはスペインから帰国、アフリカ作戦を提案するもいれられず、シチリアに派遣された。ハンニバルは長靴のつま先に追い詰められていたが健在だった。スキピオはシチリアの土地を解放し、本国に頼らず軍勢を増強、カルタゴに発つ。スキピオはカルタゴでは王国を追われたヌミディア(リビア)のマシニッサ(父の仇)を友として迎える。最初の戦いでスキピオは和平を結ぶと見せかけ、敵情を視察、夜襲と火計で9万6千を2万6千でやぶり、マシニッサのため、ヌミディア王国も再建した。スキピオは和平を勧告するも、ハンニバルが帰国、ザマの会戦(前202)となる。この会戦でスキピオは隊列に間隔をつくり、象の突撃を回避、騎兵の側面攻撃の後、歩兵で包囲し、5万を4万で破った。スキピオの戦術はハンニバルのものであり、ヌミディア騎兵を手に入れたことが大きかった。ハンニバルは政府に降伏をいれるように勧告し、ローマの同盟国となったカルタゴで戦後処理にあたる。スキピオはローマに凱旋し、国内第一人者となるが、すぐにマケドニアの拡大に悩むギリシアに介入せざるを得なくなる。スキピオ配下の諸将のもとマケドニア戦争に勝利(前197)するが、つづいてシリア戦争(前191)が起こる。シリアには亡命したハンニバルもいたが、再戦はなかった。シリアを破ったスキピオだったが、帰国後、大カトーらに軍費の問題で弾劾され、隠棲生活に入り、忘恩の故国に愛想をつかし、前183年没。同年、ハンニバルも毒杯をあおって客死した。その後、ローマの寛大な帝国主義路線が災いし、ギリシアなどに紛争が勃発、ヌミディアの拡大になやむカルタゴも戦争を準備する。ローマでは大カトーらのカルタゴ抹殺論が勝利を収め、すれちがいの中、第三次ポエニ戦争が勃発する。カルタゴ市民軍の抵抗も3年に及んだが、結局、カルタゴは「さら地」にされ、呪われた土地として塩をまかれた。これを行ったのは、スキピオの養孫スキピオ・エミリアヌス、燃えるカルタゴをみながら、「わがローマも、これを同じ時を迎えであろう」といったそうだ。諸行無常である。ローマはギリシアのコリント・スペインのマヌンチィアを「さら地」にした。「厳しい帝国主義」の台頭である。塩野氏は「スキピオには親友がいたが、ハンニバルは友情を知らなかった」という。ハンニバル、勇ましくも悲しい男である。
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たまたま観たNHKの歴史番組に触発されて読み始めたこのシリーズ。文庫版だと43巻くらいまであるらしい((((;゚Д゚))) 取り敢えず初期で最大の見せ場と思われるポエニ戦争を扱ったこの巻まで読了。
作者さんは純然たる歴史学者ではないので、変に堅苦しいこともなく、割と気軽に読める感じ。イデオロギーからも自由というのはいいところかと。一方で余分な脚色も無く淡々と進んで行くので、人によっては物足りなさを感じるかも。ローマ史の概観を知る上では読みやすくて良いかと思うけどね。ローマ人の国民性といったところへの視点はなかなか面白いかと。
何だかんだでポエニ戦争のくだりは燃えるものが。とくにザマの戦いなど、ハンニバルとスキピオの対決は、「三国志」で言うならば諸葛孔明VS司馬仲達の如き緊張感。文章からそんなに盛り上がりを感じるわけではないが、様子を想像しながら読むと大いに燃えてくる。
何せ巻数が多いので意欲が続くかが心配(笑)。もう2、3巻くらい読み進めればユリウス・カエサルの登場となる筈。五賢帝時代は…まだ遠いな(^_^;)
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スピキオ・アフリカヌス vs ハンニバルの最終決戦. なぜ部下はハンニバルについて来たのかという問いに対して, 持続する人間関係は必ず相互関係であるとした筆者の視線に, 優しさを感じた
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第三次ポエニ戦役とその後までの巻。スピキオとハンニバルが舞台から降り、徐々に帝国主義に傾き始めるローマと滅亡するカルタゴ。英雄の活躍も歴史の1ページ、だということが、このいわゆるハンニバル戦役を通して感じられました。
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前巻からスペインで活躍していたスキピオが敵の本拠地カルタゴでハンニバルと戦う。
実際の会戦になる前に、騎兵の数からして勝負がついていたのかもしれない。とはいえ、その状態にまで持っていったスキピオがすばらしいんですがね。
第2次ポエニ戦役が終わってからは、戦上手になったローマに向かうとろこ敵なし状態。ギリシャや更に東で戦闘があっても、数的不利をものともしないほどの戦上手になっている。これは、地中海に2箇所しかない主要な騎馬生産地を押さえているというのもかなり効いているんだろうけど、ほんの50年やそこいら前にハンニバルに攻められてすわ崩壊か!、というところまで行っていた国とは思えないほどの変貌ぶり。
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カルタゴの滅亡が余りにも哀しい。この巻が有名なザマの会戦を描き、スキピオとハンニバルのその後を著しているにも関わらず、滅亡を眼前にしたスキピオ・エミリアヌスの言葉が最も胸を突いた。
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ハンニバルという作用があって、ローマの興隆と言う反作用が生まれたと思わされる第5巻。ハンニバルとスピキオという英雄の活躍も幕を閉じ、カルタゴは滅亡する。諸行無常を感じさせる。
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ローマは人材に恵まれている。適時適材でちゃんとそうした人物が現れるところがすごい。しかも、ローマという国が、その現れた人物をうまく使いこなしているところもすごい。一方、カルタゴは人材に恵まれながらも全く使いこなせなかったということだろうな。ローマが最大の危機を乗り越えて、意図せず(?)地中海を制覇していくのはストーリーとしてとても面白かった。
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“アルプス越え”で名高いハンニバルと言えば、強大なローマ帝国(実はまだ共和制)に敢然と立ち向かった英雄とうイメージだったが、印象が大きく変わった。英雄と言うよりは孤高の人。十六年に及ぶ歳月を戦地イタリア半島で送ったが、天才であるが故、畏怖はされど、参謀・後継者には恵まれなかった。唯一の後継者と呼び得る存在が、若き敵将スキピオだったとは歴史の何たる皮肉か。彼は自分を戒める為、戦地に於いては部下と共に木の根を枕に夜を過ごしたと言う。♪さあさ火を焚け ごろりとままよ 木の根枕に 嶺の月…♪(北原白秋 守れ権現)
『その年、彼は四十四歳になっている。イタリアに進攻してから、十六年が過ぎようとしていた。』、『十六年の間にハンニバルが補給を受けることができたのは、わかっているだけにしてもただの二回でである。その間、彼は、三万はいた軍勢をどうやって維持したのであろうか。』φ(.. ) 2012年10月16日
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カルタゴのハンニバルがアルプスを超えてローマ領に進軍する。一時はローマ周辺まで攻め進めるのだが、周辺都市の協力を得られないがために断念する。このチャンスを逃し、ハンニバルはイタリア南端で孤立することになる。ハンニバルは結局ローマ陥落をはたせず、進軍から15年後にカルタゴに帰還することになる。その切っ掛けとなったのがローマの若き英雄スキピオなのである。彼はハンニバルのいないカルタゴを攻め込むことで、ローマからカルタゴ軍を帰還させようと企む。思惑は達成されれ、スキピオをハンニバルの決戦の火蓋はきられた。この戦いはスキピオの勝利で幕が閉じられる。
カルタゴは敗れはしたが国が滅ぶことはない。その政策は当時のローマが周辺国の覇者になれた理由なのである。二人の英雄の晩年はさびしいがこの物語が史実にもとずくものであるならばとても感動的な話である。
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大カトーは第2次ポエニ戦争に勝利した後も、カルタゴとは関係ない物も含めて、あらゆる演説の後に「~、ところで、カルタゴは滅ぼされなければならない 」と脅威を抱き続けた強国カルタゴの滅亡。
燃え上がるカルタゴをみて呟いた小スキピオの言葉が全てだと思う。「今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち会っている。だが、この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかは我がローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀愁なのだ。」
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ハンニバル戦争終期。スキピオのアフリカ侵攻。ヌミディア王国の内紛。マシニッサ王とスキピオの関係。ザマの会戦。カルタゴの降伏。スキピオ弾劾。カトーによるスキピオの失脚。ハンニバル戦争時にハンニバルと同盟を結んだマケドニア王国。マケドニア王国の滅亡。ヌミディア王国とカルタゴの関係悪化からのローマ介入。第3次ポエニ戦役。小スキピオによるカルタゴの滅亡。
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いよいよハンニバル戦記も終焉を迎える。
連戦連勝を続けたハンニバルもカルタゴに戻り「ザマの会戦」。
スキピオの戦術は、まさにハンニバルのそれである。
「カンネの会戦」がそのまま再現された感じであった。
これだけローマに貢献したスキピオも大カトーによって失脚させられるているのは、いつの時代も嫉妬というものはあるということを実感させられる。
「恩知らずのわが祖国よ、おまえにはわが骨をもつことはないであろう」という言葉がスキピオの無念をよくあらわしており、印象的である。
あれだけ協力であったカルタゴもついには滅亡するわけだが、いままで敗者であっても属州化するか同盟国として自治を認めていたのにもかかわらず、カルタゴを跡形もなく滅亡させたローマの方針には驚かされた。
いよいよローマが混迷の時期に陥るきっかけであろうか。
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ハンニバル戦機が終わり、マケドニアが滅び、そしてカルタゴが滅んだ。 いよいよローマの帝国化が強行になり、ゆるやかな占領から相手の国を完全に滅ぼす強固な占領政策となっていった。
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ポエニ戦役終了。
ハンニバルとの長い戦いは終わった。
カルタゴもマケドニアも滅び、ローマはさらに興隆。
弱肉強食の世界。
正面突破の戦力がモノをいう戦術から、騎兵と歩兵を
組み合わせた包囲殲滅戦へドラスティックに転換。
現代では当たり前だけど、当時では劇的なこと。
馬の鐙だってそうだ。長らく誰も思いつかなかったらしい。
普及したのは中世とのこと。
著者が言うように、全く新しいことに気づくことなのではなく、
今目の前にある事象をちょっと違った視点から見ることが、
とても大切でなかなかできないことなのだろうな~。
特に真剣であればあるほど視点は狭くなっていくから。
包囲についての考え方がなんとなく分かった気がする。
包囲は態勢上の話だけではなく、やっぱり時間軸と組み合わせて
考えるほうが、よりスッキリする。
最初から包囲が可能な状況って、地形にもよるけれど、
敵が相当バカとしか思えんもんな~。。。
<メモ>
○ 優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方関係では、持続は望めない。
○ ザマの会戦前のハンニバルとスキピオの会談
○ ラテン語の格言
話したことは飛び去るが、書いたことは残る