サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

hontoレビュー

ほしい本の一覧を見る

赤頭巾ちゃん気をつけて 改版 みんなのレビュー

文庫 61(1969上半期)芥川賞 受賞作品

予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

みんなのレビュー75件

みんなの評価3.9

評価内訳

75 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

庄司薫よ、永遠に。

2012/05/31 11:20

16人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る

この作品を読まなければ、今の私はないだろうという小説。読んだ当時中学2年生であった私には、衝撃的であった。そして、「東大法学部へ行って日本をいい国にするために頑張ろう!」と思った(残念ながら東大に入れなかったが)。

 時代背景が今の若者には分かりにくいと思うが、民主主義を維持していくには「自分のことは自分でする。」だけでは駄目で、「みんなが幸せになるために、自分に何が出来るかつねに考え行動しなければならない。」というのは、普遍的なものだろう。

 なぜ勉強するのか分からないという学生には、必読だと思う。

 あの時代の純粋な心を忘れそうになっている世代にも、久しぶりに読み返して、思い出してほしい。

 私が、現在に至るまでつねに知的好奇心を失わずに人生を送れているのは、この作品のおかげです。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

「なんとなくクリスタル」全共闘世代ヴァージョン

2009/07/27 22:52

24人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

とかく話題になる本なので、ようやく読んでみたが、実にくだらない本である。こんな本が、どうしてベストセラーになり芥川賞まで受賞する運びとなったのか、今になってみると不思議を通り越して芥川賞そのものの価値すら貶めてしまうような気がすること「なんとなくクリスタル」に似ているのだが(もっともこっちは芥川賞ではないが)、結局この本は「時流に乗った」だけで、名作でもなんでもないのである。文学賞なんてものは、結局出版社が出版社の儲けのためにやっているイベントであって、その基準は「売れりゃ何でもいい」。これに尽きる。出版社は身過ぎ世過ぎのため「次に何が売れるか」を日々血眼になって探している。文学賞はそのための大切なイベントであり餌なのだ。こんなものをもらうために躍起になるのが学者であり芸術家の悲しい性であることは小谷野敦「東大駒場学派物語」を読めば痛いほど分かるが、実際賞をもらうかもらわないかでその後の人生が「大きく変わる」のだから、まことに学者や文学者、ゲージツ家というのは悲しいサモシイ職業である。

で、本書だ。本書を時流に乗せたのは、言うまでも無く昭和44年新春に起きた、あの忌まわしい東大安田講堂占拠事件と、その煽りで天下の東京大学の入学試験が中止になると言う日本史上決して消すことの出来ない歴史の汚点となった大事件である。これにオビトラオなる珍妙な地方役人が旗振りをし、これに全国の「進歩派」知識人・マスコミが唱和して導入された東京都立高校への学校群制度導入を境に始まった明治以来の日本一の進学校・東京都立日比谷高校の没落が遠景として華を添えている。実際、この学校群制度導入の破壊力は凄まじいもので、それまで東大合格者数ベスト10で上位校を数十年にわたって独占し続けていた日比谷、戸山、西、新宿、小石川、両国といった都立高校軍団は昭和44年を境につるべ落としで零落し、替わって灘、麻布、開成、ラサール、東京教育大附属駒場、東京教育大附属、東京学芸大附属といった高校が台頭して来、今に続く中高一貫校ブーム、中学受験ブームを形作っていくのである。日比谷没落に恐れをなした首都圏の教育熱心な家庭が雪崩を打って中学受験に走るさまは四方田犬彦「ハイスクール1968」に詳しく書かれているし(四方田は都立高校の没落と同時に台頭してくる東京教育大附属駒場中学高校の卒業生)、学校群制度の導入と同時にそれまでどの都立高校にも併設されていた浪人生向けの補修クラスが撤廃され、以降、都立高校出身者はバカ高い金を払って駿台予備校だの代々木ゼミナールだのに通う羽目になったかは林望「帰らぬ日遠い昔」に詳しい(林は全盛時代の東京都立戸山高校の卒業生)。結局、この本に酔いしれられるのは1969年がらみの世代でしかないことは田中康夫の「何となくクリスタル」を読んで面白がったのが昭和56年前後に学生だった者しかいないのににている。

それにしても、この庄司薫の文章と言うのは一体なんなんだ。こんな読みにくい下手糞な文章を書くやつを私ははじめて見たし、よくまあ、こんなものが売れたものである。やはり当時としては「東京都立日比谷高校を卒業し東京大学法学部を卒業した作家」というのは文字通りの金看板であり、そんじょそこら、滅多矢鱈にはいない超エリートであって、その恐れ多くも賢いエリートさまがお書きになった文章を、我等庶民は恐る恐る読ませていただくという風潮が今よりも遥かに濃く世間に漂っていたのであろう。全盛時代の日比谷高校のキャンパス風景なんて、まだまだ高卒どころか中卒が多かった当時、ある種の「怖いもの見たさ」も手伝って、世間一般にはジャーナリスティックな価値を持ったのかも知れない。庄司薫が売れた理由はこのジャーナリスティックな価値にあるのであって、その文章には全く無い。「、」で無闇に接続されて4行も5行もひとつに文章がだらだらと続く様子を見れば分かる。この、なんとも、ぬめりとまとわりつく気持ち悪い文章の連続は、およそ私の趣味とするところではない。文章というものは身近くカツゼツ良くするのが基本だろう。庄司という「作家」は、そもそもこの文章作法の基本が出来ていない。同じ文筆家なら泉麻人のほうがよほど優れている。庄司が寡作で断筆したのも理由があるのであって、要するに彼には文章の才能は無いのである。そのことを誰よりも知っていたのが庄司自身であったのではないか。

興味深いのは、やはり79ページから86ページに活写されている当時日本一の進学校だった日比谷高校の内情だ。私も東京都立の進学校出身だが、その雰囲気が驚くほど日比谷と似ているのに驚く。当時の私の母校でも「進学校であるにもかかわらず」校内模試なんか全く無く、校内順位なんか卒業するまで全く分からなかった。進路指導も受験指導も全く無く、「やりたければご自分で、どうぞご勝手に」という姿勢を学校側は貫いていた。クラブ活動は盛んで、文化祭体育祭も異様に盛り上がり、生徒会活動も活発だった。生徒が「芸術家グループ(亡命型、あるいはディレッタント型」「居直りグループ(勉強して何が悪い型、あるいは帰宅部型)」「ゴマすり型(アンチいか京型)」はいたし、あるいはこのミックスが確かにいたのだ。これは日比谷以来の伝統なのかも知れないが、要するに「ただ勉強が出来る」のは論外で、「本当に勉強出来るやつは勉強なんかしない(勉強しなくても成績が抜群に良いのが本当にアタマの良い奴)」という神話があって、みんな人前では「如何に自分が勉強せずに遊んでいるか」の自慢大会が校内のあちこちで起きていた不思議な学校だった。そのくせ「お前、早稲田高等学院落ちたの?俺、受かったけど蹴ったぜ」なんてことを平然と言う。早稲田高等学院を蹴って都立高校に敢えて進学すると言うことは、「大学は東大か一橋か東工大しか行かない」と宣言したことと同じ意味を持つのである(しかし現実は厳しく、慶応義塾高校(日吉)を蹴った奴は一浪して慶応経済に進学したりしている)。私はといえば「私はがり勉ではない。激勉だ!」と居直って、これ見よがしに勉強し、こういう「いやったらしいインチキお芝居」への参加を完全に拒否したお蔭で国立の超有名大学へ現役で進学できたが、みすみすお芝居に参加したばっかりに将来を棒に振ってしまった人も多い。(笑。ところでさ、日比谷高校って、嫌味な場所に立地しているよね。日比谷という名前がついているにもかかわらず、場所は永田町にあって校舎の窓から国会議事堂がドアップで見える。

それにしてもちょっと日比谷高校に入ったくらいで「自分のことだけじゃなく人類全体の救済を考える」思い上がりって一体何なんだ。ただの受験秀才のくせして、あたかも万物の霊長であるかのごとく思いあがれるうぬぼれる心境って、一体何なんだ。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

小説の形でしか伝えることのできなかった「みんなをしあわせにするにはどうしたら良いか」ということ。不朽の名作だと思う。

2009/09/15 02:05

8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る

「みんなをしあわせにするにはどうしたら良いか」

 これを言葉で何百遍となえても、哲学的に理路整然と話しても、「赤頭巾ちゃん気をつけて」に出てきたこの言葉をの意味を伝えることは出来ないと思う。
 小説の形をとって初めて伝えることのできたことだと思う。小説とは、かくあるべきものだったのだと思った。初めて小説の持つ大きな力を知った。

 正直にいうと私はこの小説を読んで一晩中泣いた。そして、これを弟に読ませたいと、彼に持って行った。しょうがねえなあ、読んでやるか、という態度で読み始めたのだが、泣きながら読んでいた。弟はそのとき19才だった。よく本当に大切なことを受けとめてくれたと思う。今も彼はその思いを持って仕事をしていると思う。実はこの小説は私の兄が最初に読んだのだ。それも中央公論に連載されているときで、まだ芥川賞を受賞する前だった。兄は私に読ませたいと思いつつ連載ものだったから、まだ伝えては来なかったのだが、それが芥川賞を受賞し、単行本で出版されどこでも容易に手に入れることが出来るようになり、読むように伝えてきた。兄、私、弟と兄弟3人がみんな感動した思い出の本である。

この本に出てくるわけではないのですが、参考になる詩があります。

***

   君にそして僕に


 君に そして もちろん 僕にも
 これから先 長い道を歩む
 いろいろな事にぶつかる
 苦しい事もあるだろう
 楽しい事もあるだろう
 汚い事や醜い事
 時には死にたくなるような事だってあるかもしれない
 そしてこれらは君が人間である限り
 ごまかしのない人である限り
 一生涯つきまとうのだ
 でも捨てまい
 人生を捨てまい
 愛する君が一生懸命生きているという事だけで
 僕は 僕の生きる価値があるような気がする
 愛する君が一生懸命生きるから
 僕も一生懸命生きようとする

 君にそしてもちろん僕にも
 恐れちゃいけない 欺かれるのを
 恐れちゃいけない 傷つくのを
 騙されたくらいで殻をかぶるのはよそう
 自分本位の意固地な殻を
 君が若者ならば
 これから生きる若者ならば
 のびのびと自由に生きよう
 あらゆる偏見や けちくさい見栄から離れて
 自由に
 そして何でも恐れず
 ありのままに見つめる素直な目で
 真実を見抜こう
 わずかにのぞく真実を
 それを礎に自分の総力をあげて
 人生を築きあげよう
 そこから始まる
 真の創造が
 偉大な創造が

***

これは「不落樽号の旅」という小説に出てくる詩です。
不落樽号の旅

 「赤頭巾ちゃん気をつけて」は主人公、薫君が「みんなをしあわせにするにはどうしたら良いか」の思いを持つのですが、いろいろあって、そんなのどうでもいいではないかと、危うく、捨てばちな気持ちになりかけたときに、小さな女の子に出会う。その子は「赤頭巾ちゃん」の本を買いに本屋さんに急いでいて、薫君の怪我をしていた足の親指を踏んでしまうのだ。ともあれ、薫君はこの女の子にかわいい素直な赤頭巾ちゃんのグリム童話を選んであげるのである。そして彼女がさよならを言って駆け出したとき、行く手の信号が赤なのに気づいて思わず、気をつけてと叫ぶ。彼女は振り向いて微笑んで何か言ったけれど、薫君にはそれが、あなたも気をつけて、と言った様に聞こえた。

 くじけかけていた薫君は、もう迷うことなく「みんなをしあわせにするにはどうしたら良いか」の道を進むように、この小さな女の子に気をつけて、といわれたような気がしたのだと思う。
 

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

真の知性とは何か?戦後民主主義はどこまで到達できるのか?などを問う庄司薫氏の青春小説の最高傑作です!

2020/11/03 13:46

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、『さよなら快傑黒頭巾』、『狼なんかこわくない』、『白鳥の歌なんか聞えない』、『バクの飼主めざして』、『ぼくの大好きな青髭』などの著作で知られる庄司薫氏の作品です。同書は、学生運動の煽りを受け、東大入試が中止になるという災難に見舞われた日比谷高校三年の薫くんが主人公です。そして、その薫君の飼っていた愛犬が死に、幼馴染の由美ちゃんと絶交し、踏んだり蹴ったりの一日がスタートします。真の知性とは何なのか? 戦後民主主義はどこまで到達できるのか?? 青年の眼で、現代日本に通底する価値観の揺らぎを直視し、今なお斬新な文体による青春小説の最高傑作です。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

今、芥川賞受賞作を読み返している途中です

2019/01/17 22:49

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

1969年の東大入試が中止された。全共闘が東大の安田講堂を占拠したためだが、この影響で当時、東大を目指していた受験生は浪人を余儀なくされたり、京大、一橋大へと進路を変えたりした。著名な経済評論家は、気のせいか出身大学を言うたびに「その年は大学紛争で東大受験がなかった」ということを付け加えているような気がする。その当時の東大を目指していた日比谷高校3年生のお話しなのだが、そのころの日比谷高校に対しての表現が面白い。彼らは勉強そっちのけで芸術や政治について熱く語り合うお芝居を一生懸命に演じていたと作者は嘲笑する。当時、東大合格者数日本一を灘高と競っていた高校の実態を読むとにやにやとしてしまう

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2005/08/23 12:50

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/09/28 23:32

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/10/31 16:15

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2005/11/07 21:46

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/02/19 15:54

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/05/28 22:14

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2006/07/16 20:12

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2007/01/02 02:27

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2007/01/21 17:08

投稿元:ブクログ

レビューを見る

2007/01/25 21:19

投稿元:ブクログ

レビューを見る

75 件中 1 件~ 15 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。