紙の本
プロはすごいと思います
2003/11/21 16:22
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投稿者:ラッパ吹き - この投稿者のレビュー一覧を見る
私はとある吹奏楽の団体でトランペットを吹いています、何か参考になればと思い購入しました。
読んでみると演奏のことだけでなく、指揮者との駆け引き演奏者同士の駆け引きなど話は多岐に及んでいました。 やはり演奏会だけでは見えないものがあるらしく、そういったものがあると知ったときには、ある意味の驚きや「どこの団体(プロアマ関係なく)も同じなんだなぁ」という共感がありました。
音楽をやっている方だけでなくいろいろな方にお勧めですね。
紙の本
ウィーン・フィルに対する評価を考えさせてくれる
2009/02/08 21:43
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ドン・キホーテ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とくれば、わが国では絶大なる人気を誇っている。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と双璧である。このオーケストラは、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の中からコンサート用に結成されたもので、そのメンバーの中からピックアップされたメンバーから構成されている。
本書では、このウィーン・フィルをテーマにして、どのような角度、切り口からこのオーケストラを描こうとしているのか、大いなる興味を持って読み始めた。著者の中野氏はレコードのプロデューサーで、ウィーンフィルには知己が多い。
全体の構成はとくにまとまりがない。すなわち、ウィーン・フィルのメンバーからの聞き取りを中心にしている。とはいえ、このオーケストラの歴史的な経緯やその音の魅力、数々の歴史を彩るプレーヤーたちの逸話など、愛好家には有難いものばかりである。
このオーケストラとは切っても切れないフルトヴェングラーの存在感。カール・ベームとの関係。カラヤンの神話などなど、一般には知り得ない逸話が溢れている。
また、ウィーン・フィルのコンサートマスターは室内楽でも秀でたリーダーである。室内楽とウィーン・フィルの関係も興味深い。
常任指揮者とオーケストラの関係も歴史的な経緯がある。世のオーケストラがそうであるように、常任指揮者や音楽監督が楽員の人事権まで握る時代は過ぎ去り、ウィーン・フィルは楽員が自立した運営を行っている。
しかし、中野氏の個人的な趣味なのか、社会学者の丸山眞男の引用がかなり出てくるのが引っかかる。丸山眞男はいわゆる戦後の進歩的な文化人であるが、このウィーン・フィルやクラシック音楽の分野では愛好家に過ぎないので、この人の引用は余計であった。
中野氏の結論は、国際的なオーケストラになることは、個性を喪失してそのオーケストラの特徴を喪失することに等しいということか。たしかに、世界中から優秀なプレーヤーを集めてくると、徐々に特徴を失い、どこのオーケストラでも同じ音が出てくることになる。ウィーン・フィルがウィーン育ちのプレーヤーを集めているのはローカルなオーケストラを目指していることになる。
本書は優れた音を出せるオーケストラと個性のある音を出せるオーケストラの違いを考えさせてくれる一編でもあった。
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読むのに時間がかかりましたー。
学生の頃も、こんなの読んだことなかったのに…
っていうか、指揮者とか詳しくないし〜。
でも、やっぱり、オケにはオケのカラーってあるんだなーと。
会社のオヤジは「ウィーンフィルのワルツの特徴を学べ!」って読ませたかったらしいけど。
ゴメン、知ってたし。2拍目が若干長いんでしょ?笑 クラシック真剣にやってた人とか、オケやったことある人なら、結構知ってるよ。
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ウイーンフィルのこともウィーンフィルに係わった指揮者のことも一度に解かってとてもおいしい本です。
ただしウィーンフィルをVPO(またはWPh)と略称するような人には向きません。クラシック初心者向けです。
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グローバル化が浸透する現代においては、オーケストラの構成員、音楽性といったものも明らかに多様性をもちはじめるがゆえに、協和する時は演奏法等の画一化、均質化への力学が働く。そんな時代の中でも、その独自性を未だ堅持するウィーン・フィルの精神を、フルトベングラー、カラヤン、カール・べーム等の指揮者、楽団員等のエピソードや語りを紹介しつつ、その歴史をひもとく。
ウィーン・フィルには独自の「響き」があり、それに合わないものはたとえ指揮者であっても退団を余儀なくされる。世界の「三大田舎オーケストラ」として、ウィーンフィルはその伝統をかたくなに守り続ける。楽団員として必要なことは「音楽家としての資質」「人間としての資質」そして最も重要なのが「協調性」だと指摘する。その「協調性」とはあくまでウィーン・フィルに協調できるかということである。
現代のオーケストラ、また演奏そのものは楽譜通りに、ミス無く演奏されることが徳とされる傾向があるが、むしろその土地や文化に根ざした独自性こそが奏でられる音楽の色を生む。
本書はそうした保守的ではあるが、そこに残された伝統を感じさせる「音と響き」を様々な側面から紹介するものである。
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音楽に限らず、芸術家と芸人の区別を問わず、ステージに立つ人間は、この所昨、この瞬間の演技が客席に感動をもたらし、接した観客の心に終生忘れえぬ記憶を刻みつけることができればと、ひたすらそれのみを念じて舞台を務める。それが舞台芸術というものの、おそらくは究極の存在理由なのであろう。
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分からなくもない。
がそれ故にその中でしか生きられない文章。
という印象が残りました。
(2009.06.28)
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全く知らない分野の本を読む。クラシックのコンサートは中学の課外授業以来縁なし。ただ、自分の知らないこうした世界観があることがわかりおもしろい。特に、近年の演奏技術の画一化の流れなどは他の分野にも同様のことが言えるのでは。
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[ 内容 ]
一六〇年にわたる時代の試練を乗り越えて造り上げられたウィーン・フィルの黄金の響き―マーラー、フルトヴェングラーなど、幾多の指揮者たちとの“音の戦い”によって鍛えられたこの音色は、小沢征爾のウィーン国立歌劇場音楽監督就任によって、その歴史に新たな一頁が付け加えられようとしている。
東と西の音楽の出会いは、どのような音と響きを生み出すのか。
いまクラシック音楽の故郷の一つウィーンで、新たなドラマが始まろうとしている。
[ 目次 ]
第1章 書かれた楽譜の裏にあるもの
第2章 フルトヴェングラーの指揮棒
第3章 カール・ベームその光と翳
第4章 カラヤン神話
第5章 小沢征爾登場の意味するもの
第6章 ウィーン・フィルの誕生
第7章 動乱の時代を生き抜く
第8章 黄金の響きを追って
第9章 室内楽は音の対話
第10章 ウィーン・フィル最後の秘密
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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レコード業界のプロデューサーとしてウィーンフィルの人たちとの交流のネタを書き連ねたもの。
うわさとして信憑性の疑わしいもの、人柄がステレオタイプに描かれているなど気になるところもある。
面白かったのは、カール・ベームがカリスマ的な人気があるのに、その影響力は現役の時のみと冷めた評価をされていること、
帝王カラヤンと呼ばれた人だが、独裁者ではなかったらしい。やはり天才ファシリテータだったと思わせるエピソードがちらほら。「本人に気づかせる」やり方だったようだ。
ウィーンフィルと巨匠指揮者とのエピソード。リハーサルなんてやったら手の内が全部見えてつまらないというクナッパーツブッシュ、ナチスに追われたフルトヴェングラー、
ウィーンフィルはその地域閉鎖性がカラーを産んでいる。つまり、ウィーンの民謡うたいが揃っている。ムジークフェラインというホールもその音を作っている。奏者は他のホールでやってもムジークフェラインの音を再現しようとしてしまう。
ピッチ445Hz を基準としているが、絶対音感を持つロリン・マゼールに気持ち悪がられたとか。
ウィーンフィルのコンサートマスターの歴史も。
ロゼーがクライスラーのオーディションを落とした話、
シュナイダーハンはナチスに追われた。
ボスコフスキーとバリリがその後。バリリは異様な練習好きだったとか。
ワルター・ヴェラーは才能に恵まれるも、指揮者転向。惜しまれる。
ゲアハルト・ヘッツェルの後、ライナー・キュッヒルが現在に引き継ぐ。
「ウィーンフィルにはいくつの室内楽団対があるのですか」という質問に、楽団長時代のヒューブナーが「ひとつ。ウィーンフィル自体が室内アンサンブルが大きくなったような団体なんだ」と答えたとか。
オーケストラに組合が発足してから、オーケストラの音は変わってしまったという。難しい問題だな。
ヨーロッパで音色の統一のためあえて G線のみで弾いていたメロディーがアメリカの合理主義では、効率的なフィンガリングが採用されているとか。
ショルティがウィーンフィルに音の出だしを会わせようと猛特訓して、反感を買った話。
シャイーが振るようになってからコンセルトヘボウの音が変わってしまったのは、コントラバスの運弓がフランス式に変わったからだ?
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ウィーンフィルというと、ニューイヤーコンサートをテレビで見るのが、
毎年の正月の行事になっています。
シュトラウスの曲は、ウィーンフィルに限ると思います。
出てくる人で、知っているのはベームくらいです。
来年の信念は、この本を読みながら、局を聴きたいと思います。
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ウィーンフィルにとってのいい指揮者とは自分達の音楽に合わせてくれる指揮者らしい。
この本で紹介されている指揮者はほとんど知らない人で、勉強不足だなと思った。
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面白い!
ウィーン・フィルに係るさまざまな事柄を紹介しています。
フルトヴェングラーの指揮棒では、右手がプルプルと震えながら上がっていくのを見て、開始の音をオーケストラが感じるということが書かれていました。ベートーヴェンの交響曲第5「運命」の最初もこの「プルプル・・」でバシッとスタートしたそうです。
先日地元の管弦楽団の定期コンサートでまさに同じベートーヴェンの交響曲第5「運命」が演奏されました。指揮者は東京でバレエ団の指揮者もつとめる有名な指揮者さん。とても綺麗な指揮をします。リズムに合わせて体全体で音楽を表現されます。その指揮者にして「ジャジャジャジャーン」を大失敗されました。オーケストラがタイミングを読むことができなかったのですね。
田舎の管弦楽団とウィーンフィルを比較してはいけませんが、なるほど、さすが一流は違いますね。
そのほか、指揮者のリハーサルの仕方が十人十色ということが書かれていました。さんざん批判されているカラヤンが実は素晴らしい音楽伝達能力と協調性があること。一切リハをしなくても本番で素晴らしい演奏を引き出した指揮者など、感銘を受けました。
その他もろもろ、大変勉強になる本でした。
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ウィーンフィル大好き!な著者が思いの丈を書きまくった本書。冷静な文章でも何度も何度も繰り返されるのは「一つひとつの音、一つひとつの響きにこめられた音楽的情報の量と質でなければならない筈だ」。ウィーンフィルの団員との交流や長年の鑑賞経験から響きの秘密を考察してる。その人脈や経験は素晴らしいけど、懐古主義的に感じてしまうのはどうしようもない。どこまでいっても「昔はよかった」の一点に落ち着いてしまう。なんだかなー。ティーレマンとかはいかがなんですか?て聞いてみたくなる。
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フルベンが一番、ということで。
だいぶ昔にマゼール指揮で、オーチャードに来たことがあり、偶然にも行けたことがあった。そのとき非常に感動した記憶がある。本書で、その関係性について記述があり、あんましそりが合わなかったとの話を知り、驚く。想像以上に強烈な集団。何人かのソリストは聴いたことがあったが、多くは初耳。色々知識が得られた。巻末のおすすめ盤はぜひとも聞きたい。結構図書館にある模様。
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古き良き時代のウィーンフィル。あっさりと軽やかな演奏よりも濃厚でエモーショナルで濃厚な曲を求める向きに。