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インフォアーツ論 ネットワーク的知性とはなにか? みんなのレビュー

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紙の本

ネット幼年期の終わり。

2003/03/20 23:30

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ソネアキラ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 インフォテックとは「情報技術、いわゆるIT」。作者の唱えるインフォアーツとは「ネットワーク時代に対応した知恵とわざ」のことをいう。

 お題目だけのネット社会ではなく。なんか企業が訴えかけると、光ファイバー回線にするのかとか新しいパソコン買わなきゃダメなのかと、衣の下のヨロイが見え隠れしているんだけど…。ほんとうに、ブレイクスルーするためには、どうしたらいいのか。その中核を成すものが「ネットワーカー的知性としてのインフォアーツ」なのだ。

 本書には、その具体的方向性が示唆されている。作者自身「ソキウス」のサイトを立ち上げるなどの体験を踏まえながら、ネットの黎明期から現在、そして未来への展望まで、ネットの可能性、問題点をコンパクトにまとめている。

 ネットはしばらくは「パソ通あがり」の玩具のようなものであったが、パソコンの急激な普及により、一般ピープルが大量に流れ込んできた。実際のところ、ネットといっても、メールかWeb閲覧か、あるいは家族や自分のことを一方的にアピールするサイト−ほとんど更新されていない−が大半なのではないだろうか。

 ケータイはどうかというと、どうやらインフォアーツではなく、単なる内輪話のクローズドしたコミュニケーションツールにしかなってないのが、現状のようだと作者は述べているが、ネットもどっこいどっこいではないだろうか。

 作者はいう。まずは、「凡庸な」ネットワーカーたれと。つまり、ネットはもう当り前、ふつうだと。凡庸であるためには、「メディアリテラシー」「情報調査能力」「コミュニケーション能力」「シティズンシップ」「情報システム駆使能力」が必須であると。こうして羅列すると、どエライ難解なような気がするが、実際、知らず知らずのうちにしているはず。しようとしているはず。

 それが高じて「眼識ある市民」となり、専門家と素人をブリッジする役割を果たすようになり、ネットが社会化していく。パーソナルではなくパブリックな(またはオープンな)「眼識ある市民」のグルーピングが「苗床集団」である。草の根ネットワーカーたちによる出会いやふれあいの場、「インターネット・コミュニティ」である。ネットを介在した新たなムーブメントといってしまってもいいだろう。

 専門家にもネットライフをすすめている。たぶん適応能力というか学習能力がまだあるまっとうな専門家ならば、ネットを体験することにより、変わっていくはずだと。たとえば論文のα版やβ版を自分のサイトにアップして、掲示板で第三者に意見を書き込んでもらう。それを反映させて、どんどん、論文をバージョンアップさせていく。
「今日日の学生がアホやからワシの論文がわからん!」ではなく、アホな学生にもわからせる方法論を見出せるのではないだろうか。それこそ、知識ではなく知恵からの。

 にしても、本書で概要を知ったのだが、2003年からスタートされる「高校情報科」のカリキュラムのおそまつさには、あきれ返るばかり。クルマを楽しく運転したいのに、クルマのメカニズムや原理、クルマのトラブルなどを講義するようなもので、担当する教師に、きちんと教えられるのかどうか、はなはだ心許ない。

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紙の本

情報教育のヒントになりました

2003/06/17 11:23

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:AB - この投稿者のレビュー一覧を見る

私は短大で、パソコン、インターネットの授業を担当しています。
授業のヒントを得る目的で、この本を読みました。

「インフォアーツ」の具体例としてあげられている、下記の5項目
が、おおいにヒントになると感じました。
1.メディアリテラシー
2.情報調査力
3.コミュニケーション能力
4.シティズンシップ
5.情報システム駆使能力

「インフォアーツ」とは、「パソコン、インターネットを活用した
知的生産の方法」と、私なりに解釈しました。

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紙の本

ネットワーク時代に対応した知恵とわざ

2003/02/01 10:44

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:aguni - この投稿者のレビュー一覧を見る

 bk1にもメディア・社会学の書評を書かれている野村一夫さんが、そんな経験も含めてネットワーク的思考を育てる教育について語った貴重な書。大学の講師であり、パソコン通信時代からインターネットの時代まで現役のネットワーカーでもある著者ならではの1冊です。先住民時代からインターネットによって市民化の過程を経て、そして教育というプログラムを経て再生産の時代に入るネットワーク新時代に向けて送る貴重な提言となっています。必読。

 野村氏は2003年から始まる高校の「情報化」の授業で提供される教育の内容を「インフォテック」と断じています。「インフォテック」は野村氏の造語で、「情報技術(いわゆるIT)およびそれに基づく情報工学的文化」のこと。
 一方、野村がこれに対抗する概念として導入しているのが「インフォアーツ」です。「ネットワーク時代に対応した知恵とわざの総称」と野村氏は説明しています。その詳細はぜひ、この書をお読みください。

 この書で具体的に紹介されている、情報教諭向けの研修テキストの内容は以下の通りです。なるほど、これでは情報技術者養成講座ですね。

 1 情報科教育法(指導計画・実習などの考え方)
 2 情報指導概論(人材像と就職指導)
 3 情報化と社会(情報化の歴史、産業界の情報化、著作権、情報倫理)
 4 コンピュータ概論(ハードウェアとソフトウェア、データ通信)
 5 情報活用の基礎(コンピュータを介したコミュニケーション)
 6 情報発信の基礎(プレゼンテーション)
 7 アルゴリズムの基礎(アルゴリズムとは何か)
 8 情報システムの概要(情報処理システムの技術)
 9 モデル化とシュミレーション(モデルの効用、数理的解決)
 10 情報検索とデータベースの概要(データベースの仕組み)
 11 ネットワークの基礎(ネットワークの設計運用管理)
 12 コンピュータデザインの基礎(知覚における見覚え、造形の数学的基礎)
 13 図形と画像処理(2次元図形と3次元図形、画像変換)
 14 マルチメディアの基礎(作品制作)
 15 総合実習(CG作成アプリケーションの利用)

 国が教育として用意できると考えるものと、野村氏が必要だと思っているものとの差は大きいようです。魂を込めるのは現場任せ、のこの国。魂こそが本質だ、とする野村氏。

 逆説的に言えば、そういう状況が容易に想像できるからこうした本が必要なのだし、野村氏の発言が今後、もっと重要になってくることでしょう。今後もソキウスに注目です。

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紙の本

新しい「文献学」の宣言

2003/03/09 00:14

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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 インターネットを始めたばかりの頃は、見知らぬ他人から届いたメールの言葉に過敏に反応した。微妙な非難や悪意のニュアンスを嗅ぎとったときの、心の襞の奥深くに浸透していくあの嫌な感じ。他人の敵意が生のカタチで、むきだしにされた裸の心につきささっていくようなショック。質料ぬきの形相そのもののような、これまで決して接することのなかった他人の生の声がメールの文章には託されていて、それが防御のしようのない凶器のように思えたものだった。その反面、善意や好意のこもった言葉には、わけもなく有頂天にさせられた。それはまるで使徒が伝える福音(グッド・ニュース)のように私を更新し、ひととき素直で幸福な気分にしてくれた。

 今ではすっかり鈍感になって(ネット社会の「モナド」として一人前になって?)、メールの言葉が凶器になったり福音になったり、メビウスの輪のように反転することはほとんどなくなった。──社会学サイト「ソキウス」の作者として、インターネット初心者時代の私にとって「神々」の一人だった野村さんが、本書の第一章と第二章で縦横に論じている「ネットの言説世界」の表目=光(市民公共圏)と裏目=影(ことばの市場経済)の対比は、これとはもちろん別の次元の話だけれど、経験者なら誰でも事実として知っているネット社会の実相を鋭く鮮やかに記述した出色の社会学的エッセイである。

 とりわけ、マス・コミュニケーション理論(「沈黙のらせん」「培養効果」等々)を応用して、マス・メディアとしてのネットの影響力を分析した第二章後半が新鮮で説得力に富んでいるが、なんといっても本書のハイライトは、ネット社会の影を光へと転じる情報教育のあり方を論じた第三章(インフォテック=情報技術の原理に基づく「情報工学帝国主義」批判)と第四章(インフォアーツ=情報学芸力=ネットワーク的知性の原理に基づく「眼識ある市民」論)にある。続く第五章と第六章は、それぞれインフォアーツ的な情報主体論と情報環境(共有地)論である。

《…私は何も情報工学やリベラルアーツがいらないと言っているのではないし、否定するつもりもない。結論から言えば、図と地の転換が必要なのである。つまり、現在はインフォテックという画用紙(=地)にユーザーの情報能力(=図)を描いてしまっている。図と地の関係が逆転しているのだ。インフォテックに適応する能力開発ではなく、インフォアーツのための「わざ」をこそ構想すべきではないのか。インフォテックは、あくまでもその「わざ」の一選択肢にすぎないことを明確にしておきたい。》

 これは「技術がひそかに内包する技術的思考」に批判的に対峙しようとする人文的知性の言葉であり、本書は21世紀の新しい「文献学」の宣言である。

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紙の本

【変則的周辺参加】の苗木として

2003/03/01 16:40

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投稿者:栗山光司 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者自身のコメント、切口の違う書評諸氏一覧に屋上屋を架す事になると思ったが、インフォテックの技術面は未熟でbk1を頼りの苗床と勝手に決め、[正統的でない変則的周辺参加]の書評投稿している私の立場で屋を架す事が出来るのではないかと思い、書く事にしました。この本の内容紹介、梗概は他の書評欄で参照してもらい、気儘に書きます。ただ、野村氏が再三言ってるように、情報倫理(ガバナンス原理の表目)を念頭に置いた振る舞いは当然、心得た前提です。往々にして、メビウスの裏目となって、インフォテックな携帯語群が自由気儘に飛び交っていますが、台無し世代(野村造語)が形成したブンタイは[動物化するポストモダン的文体]として、見守るしかないのではないか。私は携帯電話を持っていない珍動物です。そんな私ですがPCには興味を持ちました。そのような経緯は山形浩生著『コンピュータのきもち』に書評投稿して書き込んでいるが、それは情報学芸力を身に付けたい動機から来たものであり、[携帯・ゲーム]には全く、興味がありませんでした。あくまで、出発点はインフォアーツなのです。
 先日、大阪のある映画館でイラン映画を見ました。大新聞の一面で色刷り写真付で立派な映画館共々宣伝でなく記事として紹介されていたのに、平日とは言え、何と観客は私と女学生らしい人とたったの二人だったのには驚きました。スクリーンから七千人のイラン人達の笑いと涙が語りかけて来ます。逆にこちらの二人がアクターでオーディエンスは向こう側の気さえしました。一人でこの映画を見ている女の子は例外中の例外なのであろう。大新聞の活字の影響力は淋しい限りなのだ。一面だからこそ読んでいないのだ。野村氏がぼやく「新書さえ読んだ事のない大学生」が珍しくない状況の中で図書館の利用の仕方等、パソコン以前の情報学芸力が常識として身についていない人々に情報技術力(インフォテック)を特化して与えるIT教育は単に大義名分の名のもと、行政が金を出し易い管を敷設した経済施策なのであろう。
 そのような方向性に対して野村氏がインフォアーツという造語で異議申し立てする事は解る。これを叩き台として[眼識ある市民]が行政の場で、ネットで、苗床で[分散的知性]を繋げて地道にやるしかないであろう。メディア・リテラシーの貧困からくる御し易い人々を[ガバメント原理]が舌舐めずりして待ち望んでいる事を一刻も忘れてはならない。
 私の書評投稿動機を野村氏の言う[正統的周辺参加]を拡大解釈して後付してしまいました。勿論、情報環境の共有地としてのコモンズに置いてbk1は市場経済モデルとして関与しているのだが、私は恣意的に【苗床集団bk1】と見ているのだなあと、この本で思い至ったのです。恐らく、bk1独自の投稿書評シシテムが私にかような錯覚をなさしめたと思います。野村氏はbk1の社外エディターとして開店に参加し、「ものを売ることは数ある影響力の中でもっとも大きいものだ」という事を体感されたようであるが、書評を書いて本を売るという一点はネット書店の生命線である事は揺るぎがないみたいである。
 だから、本来、消費者でしかないはずの私が書評を介して読書書評というコンテンツの中で変容されて、まるで、リアル書店の手書きのPOP広告に似た変則的周辺参加をしていると考えても不思議はない。まあ、そういう事態を私なりに楽しんでいるのだが。今年から始まった[オススメ評者の一覧]はbk1が囲い込んだ苗床集団に見える。本当は個人HPを張付ければ文字通り周辺参加が出来るのだが、現在のところインフォテックなスキルがないのです。そんな初心者です。

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苗床集団について

2003/01/24 13:54

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投稿者:3307 - この投稿者のレビュー一覧を見る

漠然と日頃感じていたことに「言葉」を与えられる快感を楽しめる一冊。

とはいえ、私は社会学的な知識「も」不足しておりますので、読みこなせない部分も多かったです。そんな自分の理解力不足を棚に上げて、疑問を提示するのはお恥ずかしい限りなんですが、感想と併せて言葉にまとめてみます。

【疑問】
教育は、知識を伝えることはできても、魂を育てることって可能なんでしょうか?


もちろん、可能でしょう。
心ある先生方は、その目的を達成するために、ツールの一つとして知識を与えているのでしょう。知ることで目が開かれ、目にして気づき、気づいて本人が自力で磨く。こと魂に関しては、そんな図式が一般的かと。

しかし、大事なことほどまどろっこしい手続きが必要なものですから、知識を伝えることほど効率的には行きませんよね。基本的な領域を越えれば、あとは本人次第というのが現実かと。

その意味で、「試練場」としての「苗床集団」はとても画期的な捉え方だと思いますが、もし自分が学生だとしたら、そこは「学びの場」ではなく、「ネタを報告しあう場」であって欲しいと望むでしょう。

ex)------------------------------------------------------------

あらかじめ、「危険について」や「人に迷惑をかけないで済む方法」を
知識として伝え、実際のトライ&エラーは各自に任せます。もちろん、
学外での「自習」が原則です。

そして、生徒が「苗床集団」に集まる機会に、最近の失敗や感動を
報告させます。本当に危険な場合にのみ、指導者(=ハッカー)が
解決策を与えるなり、出ていってトラブルを解決したりします。

「そんな人材をどう育てるんだ」

って点については、現役のハッカーの力を借りるのが最適かと。
そのために予算を使うのなら、「箱から作る」悪癖を
修正することも出来ますし。

  ------------------------------------------------------------

スターウォーズじゃないんだから>自分

こんなの机上の空論ですよね。
でも、本書を読むと、思わずそんなこと夢想してみたくなるのです。

ここにこれだけのヒントがあるんだから、知恵を絞れば、お金なんてかけなくても、どうにでもやりようはあるんじゃないか?? と。
きっと、現場の心ある先生方は、勇気を得たのではないでしょうか。

そんな思いに水を差すつもりは毛頭ないですが、現実的には、当面の間生徒たちは、各自が趣味の集まり等の掲示板やMLを通じて、「他の場所では出会えない人たち」に接し、その胸を借りて大人になるしか道はないでしょう。

リスク覚悟で自らが育つ場所をつかみ取るんです。リスクを負えばたいてい傷つきますし、それが痛すぎて死んでしまうかもしれないけれど、それだけに得るものも大きい。
生徒がそんな覚悟で動くのなら、心ある先生はご自身で切磋琢磨されることでしょう。

その結果、

生徒は生徒で一生懸命。
先生は先生で一生懸命。

なんて場が生まれるかもしれない。
そんな活気のある場で、呼吸することが何よりの財産かもしれません。

中学三年生に特に読んで欲しい一冊。

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ネット生活のお伴に

2003/01/28 23:26

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:桃屋五郎左衛門 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ネット掲示板を見ていたり、メーリングリストに参加していると、極端な意見が飛び交ったり、特定の見解が場を圧倒して多数派意見のように錯覚され反対派を沈黙に陥らせたり、ある種の話題が他の何にも増して当面考えるべき問題であるかのように見えてしまったりする光景に遭遇する。本書ではこれらをリスキー・シフト現象、沈黙のらせん現象、メディアの議題設定機能といった社会学でマス・メディアや流言を分析する用語を用いて説明する。筆者は、ネット上のコミュニティもまた人が集まる空間であるという認識に立っているがゆえに、このように社会学的な分析理論を駆使してヴァーチャルなコミュニティを考察することが可能だという。しかも、こうした認識によって、現実世界とヴァーチャルな世界を分離して考える視点からは設定しづらい、ネットを通じた市民の育成とコミュニティ形成の可能性といった課題が取り出されることになる。

 インフォアーツとは、「市民として自律的に思考し、行動するのに必要とされる基礎的な教養・教育」であるリベラルアーツを源流としていて、インフォテック(情報技術)の対抗概念として提示されている。が、両者は単に排他的な関係にあるのではなく、後者を前者が包含するものとして捉えればいいだろう。本書では、メディア・リテラシー、情報調査能力、コミュニケーション能力、シティズンシップという四つの柱からなるインフォアーツという概念を駆使して、ネット・コミュニティ、情報教育、市民的公共圏といったテーマが取り扱っていく。

 最初の二章では、初期のネット・コミュニティがガバナンス原理に基づいて一種の市民主義的文化を合意形成してきたものの、それが匿名性の増大、統制主体の欠如、大量性によって崩壊しつつあることが指摘される。次に冒頭で紹介したネットの言説空間の諸現象を説明しているくだりが続くが、この部分はメーリングリストや掲示板の管理者にとって大いに参考になる視点を含んでいるのではないかと思う。第三章では高校の情報教育が俎上に上せられ、それがインフォテックに関する教育に限定されることへの危惧が表明される一方で、初期のネット社会が有していた市民育成の機能をインフォアーツの理念に基づいて情報教育に託す方向性が示唆される。
 筆者の考えるネット社会を生きていく「市民」のあるべき姿(眼識ある市民)が具体的に論じられるのが第四章であり、これに続く二章がこの「市民」像の具現化の手段、つまりインフォアーツの実践のための具体的な提案に充てられている。著者はインフォアーツ教育の場として対面集団を想定していて、そこから、大学であれば授業クラスごとのメーリングリストの開設や掲示板などの活用、さらに一般社会では生協、PTA、NPOなどのローカルな組織がふさわしいと提案する。さらにネット・コミュニティにおける「専門家」の果たすべき役割についても言及される。

 ネット・コミュニティの現状に対する分析は、私たちが日頃感じていることを明確に指し示してくれる。それよりも興味深いのは筆者の提示するネット・コミュニティの未来像で、いつでも参加者が対面できるローカルで小規模なグループを「苗床」としてインフォアーツの育成に活用するという筆者からの提案は、充分に実現可能なものだと思われるし、「苗床」が成長すれば次にそれらを相互にネットワーク化することで「分散的知性」の連鎖を実現するというヴィジョンも楽しい。
 本書は情報教育に携わる人、あるいはこれから携わろうとしている人にとって大いに示唆されるものが含まれていると思う。また、メーリングリストや掲示板の運営者だけでなく、その参加者、多くのネット・ウォッチャーにとっても、特にメディア・リテラシーの面で刺激をもたらすだろう。

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紙の本

著者コメント

2003/01/22 13:36

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投稿者:野村一夫 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書で論じているのは「ネットの言説世界」です。前半では、その文化的な特異性とその後の変質をメディア論的に見るとどうなるかという観点で批判的に論じました。
 私はネットの現状を「裏目」だと考え、それを好循環に転回させる軸を、広い意味での情報教育に求めました。ネットに参加する人たちの資質を高め、意識的に集団形成をしていく必要を感じるからです。ところがじっさいの情報教育は情報工学的なコンセプトに流れていて、これまた、とことん叩き直す必要がある。そもそも基本理念がまちがってるんですよ。
 対抗するコンセプトとして私が提案したのが「インフォアーツ」です。古式ゆかしい教養(リベラルアーツ)でもなく、工学的な技術主義(インフォテック)でもない、ネットワーカー的な知性を構想すべきだということです。
 後半は、そのための環境づくりとして、共有地(コモンズ)としてのネットをどのようなスタンスで開墾していけばいいかについて論じています。地に足のついた人たちは、あまりネットに出てこないのですが、そういう人たちこそがネットに出てほしい。そのための仕掛けを工夫していこうじゃないかという流れになっています。
 内容は批判的で、それに沿って帯やカバーは勇ましい感じに仕立てられていますが、論争を吹っかけるような本ではなく、むしろ静かに自省してネット参加の「覚悟を決める」ための本です。
 メディア・リテラシー系の視点からネットを論じたので、あまり似ている本はないでしょう。ネット経験のたくさんある人ほど深読みしていただけると思います。メディア論・情報教育・情報倫理に関心のある人はもちろん、ネット上で起こっているこぢゃごちゃしたことをすっきり理解したいという方に読んでいただきたいですね。

【目次】
第一章 大公開時代——自我とネットと市民主義
第二章 メビウスの裏目——彩なすネットの言説世界
第三章 情報教育をほどく——インフォテックの包囲網
第四章 ネットワーカー的知性としてのインフォアーツ
第五章 着地の戦略——苗床集団における情報主体の構築
第六章 つながる分散的知性——ラッダイト主義を超えて

詳細目次とあとがき
http://www.socius.jp/info/shinsho-y.html

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2005/05/03 17:32

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2007/04/08 20:27

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2009/06/09 00:11

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2010/05/28 20:44

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2015/04/16 15:56

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