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紙の本
今はなき東京落語の奥深さ
2022/02/11 06:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
天衣無縫な芸風の志ん生、その才能を受け継いだ志ん朝。時代とともに寄席の笑いが失われていき、芸人の生きづらい時代になってしまったのかもしれません。
紙の本
江戸落語が創りだす幻想の世界
2003/03/29 18:11
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
『文藝春秋』(2003年4月号)に中野翠さんとの対談「名人・志ん朝のいない風景」が掲載されていて、そこで小林信彦さんは「今でも喪中状態ですよ(笑)」と語っている。「志ん朝さんが亡くなって、これで僕の生まれ育った世界が消えちゃったんですよ。家は空襲でなくなっているにせよ、町が幻想として残っているとすればそれは〈言葉〉です」。「名人が一人亡くなるということは、ある文化をみんな持っていってしまうことなのだ」。小林さんが言う「幻想の町=言葉」とは江戸弁のことだ。中野さんの発言「落語ってやっぱり言葉の面白さですね。卓抜な、面白い死語の宝庫」に、小林さんは「志ん朝さんが江戸弁を自在に操れた最後の一人です」と応じている。
荷風が「屋根のない勧工場[デパート]の廊下」と形容した〈路地〉の消滅(それは関東大震災がもたらした「江戸言葉による笑いの共同体」の消滅とパラレルであった)にはじまって、東京オリンピックへ向けた「おそるべき都市破壊」──《オリンピックが壊したのは街だけではない。東京の人間の証拠である東京言葉が消滅しつつあった。(略)東京言葉を無意識にしゃべる人々、三味線をしゃむせんとしか言えない人々が死ぬ時期がきていた。》──へと、世相の転変と個人史をからませながら、つまるところは「言葉の面白さ」につきる江戸落語の最後の高揚と熟成、そして静かな退場を描いた本書第三章「志ん生、そして志ん朝」は、それ自体、小林さんの円熟した語りの藝がいかんなく発揮された江戸弁への挽歌である。
ともすればこみあげようとする感傷を排したその語り口は、「落語は現代文学とも深くかかわっている」ことを漱石の『猫』に託して奔放かつ丹念に論じつくした第四章「落語・言葉・漱石」に出てくる、「人情噺を排し、滑稽を強調した近代落語」に傾倒した漱石の「乾いたユーモア」に通じている。それはまた、芸術祭賞に輝いた志ん生の「お直し」をめぐる小林さんの評言──「重い内容である。いくらでも暗くなる話だが、志ん生が語ると、そうはならないで、ドライ・ヒューモアというか、乾いて、一筋の光がさす」──にも呼応している。小林信彦の批評は、落語である。
──本書を読み終えて、さっそく志ん生の落語のカセットを買い求め、いつ頃録音されたものかわからない「品川心中」と「淀五郎」の二本を聴いた。講演テープで知る小林秀雄の声と語り口にどこか似通っていた。それはまた、活字でしか読めない漱石の講演にも通じていると思った。
紙の本
名人志ん生、そして志ん朝
2003/01/26 01:15
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:戸越乱読堂 - この投稿者のレビュー一覧を見る
出版界ではこの様なことは常識なのだろうか? 小林信彦著「名人 志ん生、そして志ん朝」(朝日選書)を読んで違和感を覚えた。ごく最近読んだ記憶があったからだ。
調べてみると「コラムは誘う」(新潮文庫)と同一のコラムが出ていることに気づいた。重複しているコラムは「志ん朝の三夜連続1996」「同97」「同98」と「築地での志ん朝独演会」の4編だ。
ページ数で言えばこれら4編は「名人」では10%、「コラムは誘う」でも5%になる。
発行日は文庫が2003年1月1日、選書は同1月25日となっている。数年を置いているならともかくほとんど同時期の発売なのだから悪く言えば原稿の二重売りと言われても仕方が無いのではないだろうか?
また、選書の中の「梅雨の前の志ん朝独演会」「志ん朝の三夜連続1999」はともに中日新聞に連載されたコラムのようなので、いずれ新潮文庫に収められるであろうし、第4章の「夏目漱石と落語」は「小説世界のロビンソン」に収録されている。
実質的には「名人」はわずか70ページの書き下ろしに過ぎない。確かにこの本にはどこにも「書き下ろし」とは書いていない。しかし、「愛惜の思いをこめて、親子二代の落語家を論じる」と言う帯の惹句を見て80%が再録と思うだろうか?
小林信彦自信「コラムは誘う」の前書きで「落語については「名人」の中で「出版界は、目下、深刻な危機に遭遇している。編集者の方々の話では、本の売れなさかげんは大変なものだという」と書いているがこんなことをやっていてはそれに拍車をかけることになりはしないか。
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