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浮気した夫、それを知って狂っていく妻。延々と続く2人の争い。愉快な話とは言えないが、圧倒されるすごさがある。この、すさんだ関係をとことん続けていく2人には、ある意味、昭和の「濃さ」を感じる。
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予想以上にしんどかった・・・。
最初から最後まで責められっぱなし、ミホに不貞をなじられ責められ質問されつづけ、トシオはもちろん子供たちまでもが病んでいく様が哀れ。読み終わるのが大変でした。この頃の作家というのはよほどの人でない限りみんなお金がなくて金策に走っているのだなと関係ない感想。
で、この先どうなったのこの家族。
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寝る前に読み上げた。文学としては機能してるということなんだろうが、好き嫌いで云えば好みではない。
中上を批判したって話があるみたいだけど、なんかなー。
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新聞での紹介を読み、好きなタイプの本だと思っていたが予想外に読了まで時間がかかってしまった。
かなり詳細かつくどい内容。本当に、巻末の紹介にあるように「もういいよ」と思う事もしばしば。それでも、これだけの事を書くのは自分の身を切る思いだっただろうと思うと、やはり私小説は「こうでなくちゃ」と思わせてくれる作品ではあった。
それにしても、お互い愛し合っているのねこの夫婦、とつくづく感じた。そうでなければ、どちらかがとっくに出て行っていたであろう。もちろん、時代も違ったのだろうけど。ただ、子供がかわいそうで二人の子供が影響を受けて行く描写は本当につらかった。
その後、妻の故郷に行き何年もかけて病気を治したことや、作者が敬虔なクリスチャンになったとの事。考えさせられる。
ただ小説として「面白いか」と考えると、否、である。
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永遠同じことをグルグル…
何だろ何か始まるのかしらと思ったら同じことをグルグル…
でも昔似たような事があったなあと懐かしくなりました。
それだけ
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いや、日本初のヤンデレ小説がここまで凄いとは思わなかった。
この600ページほどの本書に書かれているのは、嫁と子供をほっぽりだして放蕩生活を送ってきた著者が、結婚10年目にして遂に妻が発狂してしまいひたすらそれに翻弄されていくザ・出口無しの日常。夫婦喧嘩は犬も喰わぬとはよく言うが、延々とそれに向かい合わさせられる読者にとってはさぞぐったりすること請け合いでしょう。
でも、ある意味どこの家庭も今時どっか壊れているものじゃないの?所謂「幸せな家庭」なんて20世紀末の高度経済成長にしか成り立たない幻想みたいなもんじゃなかったの?わかんないけどさ、自分とかは親父が欝で両親が一時期変な宗教にはまってたり、兄貴とそりが合わなくてひたすらに虐められてたりして家庭に居場所なんか全くなかったりしたけどさ、それでも何とかこーやって生きている訳で。はは。逆に一見問題なんか何もない家庭に生まれていてもその子供が健全にすくすく育つ訳でもないんだからさ。
閑話休題。本書で何より凄いのは、著者が罪悪感に自覚的で在るが故に、自分自身を徹底的に貶めて書いていること。たぶん、読んだ人の殆どはこの著者である夫にいい思いはしないだろう。でも、著者はそれを省みずに、そう思われることを承知の上で徹底的に書いた。普通、吐く。にも拘らず書いた。何のために?贖罪として?
読んでいて、ああ、宗教というのが何故必要とされるのかがちょっとだけわかった気がした。(著者はこの体験の後キリスト教の洗礼を受けている)科学では救われない、それが嘘だとしても構わないようなどうにもならない心というのも確かにあるんだよ。君や僕の様にね!
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うーやっと終わった。疲れた。こんなに読み疲れるの久しぶり、いや初かも。
夫の浮気を責め続けてる妻。
もうどろっどろすぎる…文字も漢字も多すぎて、途中で読むのやめようと何度思ったことか。でもこの酷すぎる家庭の結末が気になって、なんとか最後まで。
解説で、ノンフィクションなのかと知りさらにびっくり。たしかに「トシオ」だ・・
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島尾敏雄の代表作である私小説で純文学の極北と称される。十年間もの間夫の放蕩にじっと耐え続けた妻がある日を境に突如発狂する。出口のない夫婦の愛憎劇に幼い子どもまでもが巻き込まれていく。夫は身から出た錆を清算することの想像以上の困難さに茫然となり、自らも正気を失っていく。はっきりいって読んでいて子どもが一番かわいそうでした。粘つくような独特の重みのある氏の文体と小説の内容からは、人としての道に外れた行いが人に報いるものの苛烈さを十分なぐらい感じます。
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どれもイイ人じゃないやん…応援したなる登場人物おらんのやけど。っていう小説が私はどうも好きらしいのね。そのてん、この本は合格です(笑)奥さんの気持ちも、旦那の気持ちもわかるわー
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3冊目は強烈な読書ならぬ毒書体験となった「私小説の極北」とも言われるこの本を。 ここに描かれるのは、嫁と子供をほっぽりだして放蕩生活を送ってきた著者が、結婚10年目にして遂に妻が発狂してしまいひたすらそれに翻弄されていくザ・出口無しの日常。起承転結も序破急も存在せず、600ページものボリュームで手を変え品を変え情感たっぷりに描かれる崩壊寸前の家族の、決して先に進まない日常。うわ、きっついなー。実際、これを読んだ友人はあまりのしんどさに読了後そのまま公園のゴミ箱に捨てて帰ったとか。いやわかる、すっごい良くわかる、その気持ち…。夫婦喧嘩は犬も喰わぬとはよく言うが、共依存の最果てで決して離れられない二人に延々と向かい合わさせられる読者にとってはさぞぐったりすること請け合いでしょう。
ただ、それでも、人は強くも正しくも生きられないのだということ、人の関係性というのは簡単に割り切れるものではないということ、そういった人間の「業」といったものがここには篭められていると思うのです。というか、本書で描かれるこの体験の後、元特攻隊長でもあった著者はカトリックの洗礼を受けているのだけど、自分としてはこの本を読んで初めて人がなぜ宗教を求めてしまうのかを理解できた気がします。いやもう、仕方ないでしょうホントに…。
ともあれ、結婚直前の友人に差し出したら確実に縁を切られることうけあいの毒書体験。興味がある人は、ぜひとも自己責任で。
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のっけから修羅場。浮気した夫を妻が延々と責め続ける。これなんてホラーかと思ったら、いやこれってリアリズム? 不毛なやりとり、悲惨な関係性が膨張してきて、うんざりするほど滑稽となる。妻の尋問が回を重ねるごとに具体化していてこんなことまでやっちゃってこんなことまで知ってるの。下着12色とか。登場人物はだんだんおかしくなってきて、読者も可笑しくなってくる。
女は知りたがり、男は隠したがる。客観的に読めば、女性の思考パターン、男性の思考パターンの典型が見えてきて観客は冷静になれる。
くるってるってなんだろう。わたしくるってないって言ってるとくるってることになっちゃうのだろうか。わたしくるってるって認識してるのはくるってないのだろうか。
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物語を作るだけでなく、そこにある物語を書き表したい、書き残したいという、業だろうか、欲だろうか。そして、それを読むということも、また。
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生々しく、
しかし非現実的にも感じるような、
壮絶な極度に暗い小説である。
それなのに不思議と、
純粋な夫婦愛が成就していく。
死して、生きる。
死んでいき、死んでいる間の描写が辛すぎ、
己の底にある根源的な怒りが意識に上ってくる。
それが読後、奇妙に救われた感覚になるからこそ、
この小説が唯一無二の存在になるのだろう。
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ミホ、トシオ。
どう考えてもミホに聖母的なものをかぶせるのは無理がある。解説にあるように、狂気からすぐ聖性にベクトルを向けるのはなんとも予定調和な読みではないか?あきらかにウンザリする、まとわりつく狂人と、それが鏡のように自分の狂気に繋がってくる危うさが何とも不気味に感じられる。
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同じことの繰り返しのように思える長編だが、読み進めたくなる魅力がある。相手がどれほど狂気な存在となっても離れられない二人の心境になってみたい気もしなくもない。読む時期を考えないと自分まで辛くなるので留意すべき。