紙の本
実話の怖さ
2002/07/16 15:05
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投稿者:りさこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
ある男が浮気をします。妻は毎日、二人の子供とともに夫の帰りを待つ生活をします。帰ってくる日もあれば、帰ってこない日もあります。それが数年続きます。妻は夫の浮気を知るようになります。調べます。浮気相手に激しい嫉妬を燃やし、だんだんその思いを募らせていきます。浮気相手が一人ではないことも知ります。
物語はここから始まるのです。
妻は毎日のように夫に詰問します。夫は仕方なくその問いに答える。問う、答える、これが生活の中心になっていくのです。当然子供たちもそうした両親の毎日を見ていて、だんだん普通ではなくなっていきます。
家庭が崩壊して、一人一人の人間も崩壊していく。その本人がこの物語を書いているのです。
実話が物語になりましたという生易しいものではなく、その日記を読んでいるような息苦しさがあり、読んでいる私も崩壊しそうでした。
今の世の中なら治療法方があるのでしょうか。あったとしても簡単ではないように思います。
この作品映画にもなりました。しかし本の方が比較にならないくらい真に迫った狂気を表現していると思います。
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自身と思しき主人公の小説家トシオと妻ミホの物語。
トシオの愛人の存在をきっかけにそれまで優しく美しかった妻が疑い深くなり明けても暮れても嫉妬と妄想の入り混じった尋問を繰り返し徐々に精神崩壊へと至る様子が淡々と綴られています。
途中、ミホのあまりにも執拗でうんざりするほどのトシオへの執着と理不尽で子供っぽい甘え、常軌を逸した我儘ぶりやヒステリーの発作を見ていると「もうたくさん。もういい加減にして…」と息苦しささえ覚えるのですが、不思議とミホは狂気の度合いが深まるにつれ美しさが増してくるように感じます。同タイトルで松坂慶子、岸辺一徳で映画化されていますがこちらもイメージそのままで良かったです。
死の棘とはパウロがダマスコへ向かう途中でイエスに会い、目を見えなくされるエピソードがモチーフになっているのではと解説にかかれていましたが、トシオに与えられたひとつの棘とは、かつてのミホではなく、美しくも狂ってしまったミホであり、それは傍目には同情を禁じ得ない不相応な罰を受けているようにも見えるけれど、トシオが以前にも増してミホを慈しむのを見ると実はこれこそがトシオが内心望んでいたミホとの関係ではないだろうかという思いがふと湧いてきました。
何とも言えない重苦しさの漂う作品ですが、子供らしくない二人の兄妹たちの会話や、夫婦がお互いを「ミホ」「トシオ」と呼び合う姿が多少ではありますが慰めとなっているように思います。
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読んでいて「あああ」とおかしな声を漏らしてしまう小説である。どうしたことだろう。これが作者の実体験に基づく話だからだろうか。いや、それだけでもない気がする。少しあらすじを思い出してみようか。
まず夫トシオが不貞をはたらく。妻がそれを知り、彼女がおかしくなっていく。こう言ってしまえば、実につまらなさそうな小説に見える。しかし『死の棘』は違う。そもそもいわゆる、浮気がばれるとか、ばれないとか、そんな話は一切出てこない。浮気のエピソードなどを本書に期待しても無駄である。物語の1ページ目は、妻ミホの異常なる詰問から始まる。
「どうしてもね、これだけは分からないわ。あなた、あたしが好きだったの、どうだったの、はっきり教えてちょうだい」
「あたし、またギモンがでてきちゃった」
「あなた、写真をなん枚とってやったの」
「あたしのきらいなところを言ってください」
「あたしもあいつのようにあなたを夢中にさせたい。だからあたしのいやなところを、かくさずにおしえてちょうだい。そうしたらあたしはいっしょうけんめいそれをなおします」
「もう決してムガりませんから家に帰して」
「あなたは、あいつを歓ばせていたの」」
全500頁にわたる、妻と夫の、出口のない問答である。ひたすらに、これが続く。こんな話をしても何にもならない。しかしやらずにはいられない。妻のこの発作のような衝動はやがて狂気を呼び込み、子どもたちも夫もおかしくなっていく。だがいつからかそこに奇妙なマゾヒズム的な、愛がかいま見えてくる。妻の入院、それを見舞う夫の姿にはなにか温かな姿がある。もっとも息苦しい問答は相変わらずつづく。だが時として、光のようなものも見えてくる。
尚、つい最近『「死の棘」日記』という本が出版された。この小説のもとになった日記らしい。そちらにもやはり興味がわく。(けー)
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大学入学してすぐに読んだ。多くの人が「気持ち悪い」「うんざり」という感想をもらすが、私はこんな小気味いい話があるんだと感心したものだった。人が狂気に至るきっかけは本当にささいなもの。最近、この「死の棘」に関する日記という「死の棘日記」というものも出ている。(まだ読んでない……)
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島尾先生のたましいが好きです。ドラマな人生ですよね。本来他者が読んではいけないものなのかもしれませんが
ウニマがくる
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不倫がバレて妻が精神病になってしまう自伝的小説。発覚から入院するまでの危機の数々。
筆者・夫トシオの言い訳が蜿蜒と続いて読んでてムカムカする。解説によれば、妻ミホの崇高さを強調しているのだそうだが(確かに気高い印象を受ける)、つまらないのは事実。
病人の聖性というと真っ先に思い浮かぶのがドストエフスキーですが、あっちはちゃんと面白いし。好意的に評価しても、テーマに技量が追いついていないとしか言えないです。
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妻の精神が病んでいき、夫が追い詰められていく描写が重い。きつい。恐い。なのに、けして離れられない夫婦の結びつき…愛なんでしょうかこれが。こんな深い人間関係、築いたことない、と自省モードに…。でも危険だよ…行過ぎだって…。
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猜疑心の混迷。いくら言葉を重ねて重ねて誓い堅くだきしめても、時間がすぎればそれが全て霧散する繰り返しの毎日。やがて緊張と弛緩の間にねっとりと絡み付く情念を見いだして、「絶対的な絶望」そこに依存していく苦悶嗜癖関係。もはやそこでしか救われない夫婦、ひややかな子供達。見いだしているのは自己の情念で、それをお互いに傷付け許し合う関係をもって2人の絆として自己を融解しようとする深みなのかも。
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旦那さんの浮気を知った奥さんが狂気の世界に入っていくお話です。とにかくひたすら旦那さんを責めて責めて責めまくる妻とどうしたらよいかわからずオロオロとするしかない旦那さん。幼い子供たちはその中でなんとか親たちに迷惑かけまいと心を痛める。
実話です。読んでると胸が苦しくなってきます。
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わたしは好きなほうでした。授業で進められて読んだ本。こうならない人とこうなる人の2つに分けられるんだろうけど、私は間違いなく後者だと思う。その前にミホさんのように我慢強くはないけどね。
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長編小説。夫の不倫に妻が切れて、暴れまくり、夫もだんだんと狂ってきて、子供も色々と大変な思いをして、、という話し。私小説の極北らしい。かなり濃い内容だった。おもしろかった。10.6-10.
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ダンナさんが、他の女と通じて、それで奥さんが気が狂う話。
男のひとは欲望を持って浮気したり、女のひとはそれを黙ってしらんぷりしたり我慢してあくまでもずっと自分もその男のひとの「女」であろうとする。
この関係は、女の人が浮気する場合では、ちょっとニュアンスが違う気がする。
この絶望的に絶対的な、男の人と、女の人のあいだにある、「差」
これが、あるから、「男と女」があるのかなとも思う。だけど、これが、あるから、わたしたちは苦しむんだと思う。
わたしも、浮気されたら、狂うと、思った。
それが、女なんだと、思った。
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前にビデオで観て、うわぁーと思ったのだけど
原作も読んでみた。
ビデオよりさらにうわぁーと思った。
これは長年浮気を重ねていた男を、妻が追及しまくる話。
呆れるほどの追及劇。こわいわ。
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090103(a 090216)
090128(n 090321)
091128(s 091129)
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妻をどこまで許すのか・・・・
夫をどこまで許せないのか・・・・
二人だけの領域で繰り広げられる攻防。
そこには季節もなければ、勿論時間も流れない
ただ、存在するのは混沌と漂いさまよう
男女の魂だけなんだろう。
男も女もけっして苦悩していないのだ。
ゆるぎない愛があることがお互いにわかっていたからだろう。