紙の本
カフカの作品は現か夢か
2023/11/02 14:07
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
プルースト「失われた時を求めて」、カフカ「城」、谷崎潤一郎「細雪」といった作品を眠り・現(うつつ)という観点から分析している、私が特に面白かったのは「城」の分析、作品自体が夢なのか現実なのか、という作品だから
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ここのところ、心地良い眠りになかなかありつけないので、なんとなく題名に魅かれて読み始めた。
う〜ん。難しい。著者自身も20代の不眠により、この作品を完成させたみたいですが・・・
こんなに難しく、きちんと、眠りについて書かれている書物なんてあるの?そんなに考えなくてもいいのでは?と思うぐらい。でも、この本に助けられたのか、ただ単に疲れがピークだったのか(たぶん3年ぶりの)本を読みながら昼寝をしていた。それはそれは本当に心地よい眠りだった。感謝。
プルースト、カフカは全く知らず、谷崎の「細雪」は知ってはいたが、読んだことはなく。でも、読んだことないのにこんなに分かりやすく解説してもらうと読んだ気分に浸ってしまうのは私だけ(笑)特に、「細雪」の解説はお気に入りです。(もうひとつ言うなら、「細雪」の雪子さんがお気に入り)
「現―うつつ―」という言葉を初めて聞いた私は鬱病の患者さんがもやもやした気分を持つことをうつつというのかと思っていて、やっぱり鬱病は眠りと関係あるんだ〜と関心していたが、そういうことではなかったのですね。意味は古代的な意味も合わせると「ここにないものがここにあるかのように現れること、またはここにあるものがここにないかのように現れること」例えば「写真」とか「電話」とか。発明によってもたらされた便利グッズが導いたものだったのか。なるほど。
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[ 内容 ]
スタンダールの言葉にあるように、小説=フィクションは人生を映し出す鏡でなくてはならなかった。
しかし二〇世紀は、この鏡の姿に魅せられ、フィクションに対する現実の優位性がぐらつき始めた時代となった。
それはプルーストとカフカとともに始まり、谷崎において“現”という特別な形で現れている。
眠りの次元を取り込んだ彼らの作品を読み解き、人間の存在と意識に投げ掛けられた新しい光を浮かび上がらせる。
[ 目次 ]
1 プルースト(目覚めの暗闇 入れ子状の寝室 ほか)
2 カフカ(既視感のなかから 不気味さ ほか)
3 プルーストとカフカと“現”(世界を新しく定義し直した二人 電話 ほか)
4 谷崎の“うつす”世界(谷崎のアクチュアリティ 小説『細雪』 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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瞳を閉じれば現実から隔離された私だけが存在する夢の世界へと行くことができる。一般的に眠りとは身体の機能の一部として身近に感じがちである。しかし、不眠者からすればそうはいかない。眠りをコントロールできなくなった時、自分とかかけ離れた謎の存在として主張し始めるのである。不眠症であったというプルーストの「失われた時を求めて」、カフカの「城」、谷崎潤一郎の「細雪」を同じく不眠症と告白する作者根元美作子が、それぞれが作中に描く「眠り」に潜む「個人」を紐解いていく。