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阿房列車もとうとう最終列車が出た。この後、百けん先生は何度か鉄道旅行をしているらしいのだが、それが阿房列車シリーズにまとめられることはなく、晩年は身体が衰えて列車での長旅ができなくなったため、結果的にこの第三阿房列車が最終列車となってしまった。まさに「なまけるには体力が必要」であったわけだ。しかし、その遺志は阿川弘之、最近では酒井順子に受け継がれ、今日に至るも阿房列車を走らせる輩は後を断たない。
もともと阿房列車の楽しみは卒意の面白さというか不作意の妙といったところにあった(もっとも、同乗したヒマラヤ山系氏が後に書き記したところによると、当初よりかなりの部分がフィクションだったようだが)のだが、第三阿房列車では「菅田庵の狐」や「列車寝台の猿」などやや "狙った" 作編も含まれている。まあ、それはそれで独特の恐怖感があり、楽しめる。
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底本1956年刊行、初出1954~55年。房総半島、長崎、四国、山陰松江、宮崎経由の八代等の紀行文である。新幹線はもとより電車特急こだますらない時代なので、へえーっということが多かったが、鉄道旅行を叙景的に記すというよりは、著者の内心に目が向けられることが多く、紀行文とはやや異質な趣き。もっとも、長崎行きの寝台急行に26時間ほど揺られたり、食堂車連結が進んだ時代の利用者像、九州の八代に日豊本線経由で向かう際、宮崎に一泊する等、戦後10年くらいの時代感覚が蘇ってくる。
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百閒先生が房総阿房列車を走らせて我が故里・銚子に来ていたとは嬉しい限りだ。泊まった旅館の名は書かない主義なので、どこに泊まったかを想像しながら読むのも楽しかった。九州では大雨で不通になる路線を、ぎりぎりのところで走り抜け、四国では病に苛まれ、あまり良い旅ではなかった。松江と不知火では、摩訶不思議な夢とも現とも思われる話で、百鬼園の幻想世界を醸し出していた。カバーの百閒先生が正に口をへの字に結んで写真に映っている様が、何とも微笑ましい。
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第一、第二と変わらず、なんの用事もないが汽車に乗っていろんなところへおでかけするという内容。旅行っててきぱきするよりはだらだらしたほうが楽しいものなぁ…。今回珍しく百閒先生は旅行中に病を得ている。そこで「なまけるには体力が必要である」という真理に至ったそうな…
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阿房列車で初めて百閒先生の著作に触れたのですが、第一から第三まで、先生と山系さんとご一緒させていただく中で、すっかり先生のことが大好きになってしまいました。
巻末の解説も愛に溢れていて素敵です。
最後の不知火阿房列車に出てきた謎の男とは結局どうなったのか、とても気になります。阿川さんの解説にもあったように、本当に、第四、第五と続いてほしかったなという気持ちでいっぱいです。
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相変わらず、「用事はないが、列車に乗る」先生。
相棒・ヒマラヤ山系くんとのとぼけた掛け合いも良い。
個人的には、八代を贔屓にしてくれるのが嬉しい。
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阿房列車、最終巻。
今回も行く先で体調を壊したり、雨に見舞われたり、中々の旅路です。百閒先生。
最後は夢と現が混ざったような、今までと違う雰囲気で阿房列車は幕を閉じました。
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内田百閒先生の阿房列車シリーズ、三部作の最終作であります。いつまでも無節操に続けて欲しいシリーズですが、やはり三部作で収めるのが上品と申せませう。
同行するのは、勿論ヒマラヤ山系こと平山三郎氏。作中では「山系君」として登場。この人の付添ひが無ければ阿房列車は運転されなかつたので、大功労者であります。相変らず、百閒先生とは会話が噛み合つてゐるのか、ゐないのか良く分からない茫洋ぶりが良い。もつともその人物像は筆でデフォルメされてゐるかも知れませんが、まあいいでせう。
今回は「隧道の白百合 四国阿房列車」に於いて、体調不良に陥り辛い旅行になつたりして、異色篇となつてゐます。そもそも阿房列車は不要不急の最たるものですので、身体の具合が悪ければ中止すればいいものを、やはり出かけるのですねえ。現在のコロナ禍でかかる旅行をしてゐたら、非難轟轟ではないか。
また、「菅田庵の狐 松江阿房列車」みたいなミステリイ仕立てのものとか、「列車寝台の猿 不知火阿房列車」のやうにどこまでもついてくる謎の人物を描いたり、マンネリにならぬやうに、先生なりに工夫してゐるのかなと存じました。
これで阿房列車は終りかと思ふと寂しいですが、何度読んでも面白い三部作ですので、是非手元に揃へませう。正仮名の旺文社文庫版が一番好いのですが、入手が中中難しいので、次善の策で新潮文庫版でもいいでせう。うむ。
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前2編と同じところが重なっているが、全編とまた趣や表現が違って楽しめる。
八代の今は公園になっているけれど、定宿にした松浜軒に文庫片手に行ってみたい。同じ気分といっても、台風の時期は避けたいものである。
3編とも執筆当時の解説と現代の解説2編があって、これも対比して読むのも楽しい。
百閒先生、郵便税がなくなり、そのうち所得税の所得料金になるのか・・・といった件
所得税はそのままに消費税というものもお目見えしてますよ(笑)
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ブクログさんの紹介文等はことごとく「閒」の字がひらがなになっているのに、感想を述べている諸兄の多くが「百閒」とちゃんと漢字で、しかもプラス「先生」で「百閒先生」と表記されているところがうれしい。
閑話休題。
私が読んだのは「1984年重版」とある旺文社文庫版。新潮文庫版がどうなのかわからないが、百閒先生は旧かな(できれば旧漢字)でないと。
ということで古本屋で旺文社文庫をコツコツ40冊ほど集めたのは我ながら粘り強いというかしつこいというか執念深いというか気が長いというか……。
というわけで最近は寝る前のお供は百閒先生にお付き合いいただいている。死ぬまでに全部読めるかな?
なぜ『第三阿房列車』かというと、第一と第二は以前読んでいたため(内容は覚えていない)、第三を手にとったわけだ。
やはり阿房列車は面白い。というか百閒先生は面白い。
本人もこの企画(?)は楽しそうで、「ブラタモリ」のタモさんのようである、といえば近いか。
巻末にある写真も、写真嫌いな百閒先生がカメラ目線で山系くんと楽し気に写っておられる。
自分は地理に疎いので土地土地の風景が目に浮かばないが、旅する2人のやりとりはニヤニヤものだ。
みうらじゅんさんの「見物記」と六角精児さんの「飲み鉄」を合わせたようだな、という、昔は当然思わなかった感想になる。みうらさん&六角さんにはぜひ百閒先生のあとを追ってほしいものである……なんじゃそりゃ。
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百閒先生、第三弾、そして最終阿房列車です。
今回の表紙写真もおもしろいですよ。
どこだか知らないけど、陸橋をバックにしかめ面。
いや、本当は楽しくて仕方ない心持ちだと思うんだけど
なんせ「レンズを向けられて、狙われている様で」と
あんまり写真がお好きでない先生のこと
さっさと済ましてちょうだいよ…という感じの顔です(笑)
実は今回、四国阿房列車の章があったから
高知に行く時に旅行カバンに忍ばせて行ったのだが
先生ったら、この章では風邪でダウンしちゃって
ほとんど感想らしい感想がないじゃないのさ。
でも、それを正直に書いているところが好きなのよ。
全三巻、本当に可愛いわがままっぷりでした。
ところで全阿房列車に同行した山系クンが気になる。
先生とのやりとりが絶妙な鉄道マン。
検索してみたら、平山三郎さんという人なんですね。
なるほど、それでヒマラヤ山系か(笑)