投稿元:
レビューを見る
「それから好むものは、酒である。飲食に於いては何の関心もなかった筈の、愛情と心理の使徒も、話ここに到って、はしたなくも生来の貪婪性の一端を暴露しちゃった」
という一文の通り、とにかく旅先で酒、酒、酒なこの男。しかも多分全部人からもらったものばっかで自分で買ってないよね?w ていうか、「しちゃった」ってまあ、なんてチャーミングなんでしょう。
芦野公園駅でのエピソードが好き。切符を口に咥えた娘さんが、まるでキスをするように目をつぶって改札の若い駅員さんに顔をそっと差し出し、それにはさみを入れる駅員さんってシーン、なんとも絵になる。
最後の有名な結びの言葉は本当に大好き。元気をもらえる。
投稿元:
レビューを見る
ユーモラスな太宰治。旅行記。
人間失格の太宰しか知らなかったので、印象ががらりと変わり、彼が好きになった。
津軽帰りの夏に読んだ。
投稿元:
レビューを見る
・太宰さんのおちゃめが光る
・ふいの「〜しちゃった」が超かわいい!!
・なんだかんだで友達たくさんいいなあ
・孤独おにいちゃんもえる
・全体に軽快なかんじ。まあ津軽の名の通り。文のテンポいいから。
・情景がうかんできて行った気分になった
投稿元:
レビューを見る
津軽の光景が目に浮かぶ。
なつかしい地名もあり、県は違うが、自分もその近くで育ったということを改めて感じさせてくれた。
太宰治のルーツが記された書だ。人物形成の過程も見えるような気がする。
投稿元:
レビューを見る
太宰が生まれ育った津軽を、忘れ得ぬ人を訪ねながら語る。
太宰は序編で「私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮にその科目を愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。」と語る。
太宰の忘れ得ぬ心の触れ合った人々は、旧家に仕える下女や書生。
そこに太宰は太宰自身の本質を感じ取る。
生まれた家と、自分の本質との間の葛藤。
そんな葛藤から、いくつかの作品が生まれたのだと感じ入った一冊。
投稿元:
レビューを見る
太宰文学の根底に潜む津軽での生活を述懐しつつ取材旅行の記録をまとめたもの。
鬱屈したイメージの太宰だが、郷土での振る舞いはとても溌剌としていて爽快だった。
「元気で行かう。絶望するな。では、失敬。」
投稿元:
レビューを見る
太宰独特の言い回しと心情描写の上手さに感嘆す。こんなにも取り繕わず自分の意をいい意味でネガティブに書ける人はいないであろう。
投稿元:
レビューを見る
郷里津軽半島を廻る、戦争中とは思えないのどかな紀行。
死に囲まれた時代ほど豊穣な作品を生み出した太宰らしい不思議な安息感に満ちている。
旧知の人々との再会や交歓に重点が置かれいる。終盤彼が特に望んでいた大切な再開を果たす場面
の描写は美しい、本土の北の果てで遭遇する万国旗がはためく運動会がまぼろしのようだ。
投稿元:
レビューを見る
太宰作品で主要な作品を読んでいたのだけど、『津軽』は初めてだった。
この感受性豊かな旅情詩のような文章やそうかと思えば青森独特の親愛の情をあらわにする友との再会の場面など、それぞれの読者とそのイメージを掻き立てる。素直に太宰という作家を愛おしいと思える、そんな作品だった。
特に、幼少時3歳くらいまで子守り、育ての親だった越野たけさんとの再会は、「津軽の思い出と言えばたけだった」と言うほど太宰にとって、たけの存在は根っこの部分なのだろう。
太宰のユーモアと絶望の狭間で揺れ続ける様はこの「津軽」でも見事に表現されている。
竜飛崎では、イメージとはまったくかけ離れた本州の最果てには鶏小屋のような狭い民家しかないという絶望しかないような場所を描写したかと思えば、越野たけさんを訪ねて中泊で見た最果てにある鮮やかな万国旗と子どもたちが衣装を付けてダンスを踊る様を描写しているのだが、その対比も彼の中の「津軽」なのだろう。その様々な太宰の中の「津軽」を締めくくるものとしてたけとの再会は感動的ですらある。
太宰治『津軽』(「たけ」との再会)
http://www.geocities.jp/sybrma/44dazai.tsugaru.html
投稿元:
レビューを見る
青空文庫でたまに読む。
太宰作品の中で一番好き。
彼のエッセイ的な気安い描写が楽しめる。
もう一度文庫を片手に当地を歩いて回りたいが、
過去に実際に津軽を旅できたのは幸せだった。
本州の袋小路というものは、まったく彼の書いたその通りであった。
投稿元:
レビューを見る
後半での太宰治、いや津島修治(本名)の原点でもあるたけさんとの再開はとても良かった。また少し太宰治という人間と心を通わせられた気がする。
投稿元:
レビューを見る
「けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思う事が無かった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持の事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。」
僕は或る人のことを思っているのである。
「元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」
投稿元:
レビューを見る
高校時代の担任の先生は、国語の先生で文学青年で、太宰治が好きだった。国語の教科書に太宰の作品があり、当然であるが授業で読むこととなり、まぁ、好きな作家のことであるから、先生は当然に太宰をほめる。それは別に構わない。が、調子に乗って、他の作家をけなし始め、その時に庄司薫がやり玉にあがった。いわく、庄司薫の文体は太宰治の文体をまねただけのものであり、その作品には全く見るべきところがない、という主張であったように記憶している。私は庄司薫が好きだったので、それは好ましからざる主張であった。今であれば、たてつくか、あるいは、仰せの通りとのコメントでも残してやり過ごすことになるのだろうが、高校生の私は、機嫌をそこね黙ったままであった。それはさておき、津軽地方の中心都市のひとつである五所川原に、一時期、仕事で頻繁に通っていた。もう20年近く前のことだ。京都で生まれ、中学高校を九州で過ごし、大学以降東京とその近郊で過ごしてきた私にとって、津軽は「おっ、これは違う場所だぞ」と思わせる土地だった。冬のどんより曇った日本海側特有の空、猛烈な吹雪、各戸にあるものすごく大きな灯油タンク、雪のあるいは寒さの侵入を防ぐための二重になった玄関、お年寄りのしゃべる何を言っているのか理解できない津軽弁、五能線が吹雪の中海に出た時の光景、夕方の十三湖の荒涼、それまで見たことのない、印象深いものが津軽にはたくさんあった。太宰治は津軽の出身だ。この本は、昭和19年というから終戦の前年に、既に東京で文筆生活を送っていた太宰が、あらためて3週間(だったかな?)を費やして故郷の津軽を旅する、という、いわば旅行記である。この本の白眉は第5部、自分を育ててくれた乳母に会いに太宰が出かける章である。この章は、他の章に比べて文章が生き生きしている気がする。十三湖の描写がある。やがて、十三湖が冷え冷えと白く目前に展開する。浅い真珠貝に水を盛ったような、気品はあるがはかない感じの湖である。波一つない。船も浮んでいない。ひっそりしていて、そうして、なかなかひろい。人に捨てられた孤独の水たまりである。流れる雲も飛ぶ鳥の影も、この湖の面には写らぬというような感じだ。何の変哲もない文章のような気もするのだけれども、でも、私の見た十三湖がたしかに描写されているのである。高校の担任の先生を許してあげよう、という気になった。
投稿元:
レビューを見る
ラストのたけとの再開がものすごくよかった。思わず泣いてしまったし、終わり方も妙に元気で幸せな感じがしてよい。
どうにも人間失格や自殺したことなどから暗いイメージが付きまとう太宰だけど、この『津軽』ではお茶目な面がみれる。~である、~だと断定調のなか突然、~しちゃったになったり、自分の着ているムラサキ色のジャンパーが変だと妙に気にしてたりかわいらしい。
よかった、大変よかった。
投稿元:
レビューを見る
太宰が35歳の時に地元津軽を3週間かけて1周したときの紀行文。
地元への愛や偏見や思い出が太宰独自の目線で描かれていて非常に面白い。
太宰の素の部分がここまでさらけ出されていると、滑稽かつ爽快。彼の美学は時々全うで時々偏屈だ。でも、そういう人間だからこそ彼は愛されているのだろう。
その土地を先週めぐれたことに、感謝。