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紙の本
喚起する力
2012/09/05 18:11
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:いたちたち - この投稿者のレビュー一覧を見る
感覚と感性をイメージを喚起することだけによって動かす力のあるということが、すぐれた小説のひとつの条件だと思っている。
もちろん小説の作用はそれだけではないし、その力がなくってもすばらしい小説、というのもまれにある。
飛浩隆はナイーブな描写を着実なリズムでもって積み重ねて読者の前に映像を、触感を作り出すことに長けた作家だ。
この作品集はそこのところが遺憾なく発揮されていて、形を持ったことばを指先でなぞるあのぞくぞくする感じを味わわせてくれる。
あとはもう少し、余韻というか、きれいに終わりすぎない遊びがあったら、もっといいのに。
紙の本
グロテスク、ダイナミックな破滅
2010/03/04 23:20
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:king - この投稿者のレビュー一覧を見る
ハヤカワSFシリーズJコレクションのなかでも、飛浩隆の「グラン・ヴァカンス」はとりわけ印象深い作品で、その時の感想を以下のように書いた。
「硝子の透明さのなかで展開されていく、酷薄な滅亡の美しさ」
ここで私はJ・G・バラードを引き合いに出しつつ、「グラン・ヴァカンス」は「逆回しにした「結晶世界」」ではないか、と評した。「ヴァーミリオンサンズ」的なバラード作品の風景と似たものを感じたから出てきた感想なのだけれど、当のご本人はなんとほとんどバラードを読んでいないと書いていてびっくりする。
そんなわけで、五年も積んでいた「象られた力」をやっとこさ読了した。廃園の天使の第二長篇もまだ出ていないので、この読書ペースでも問題はなかった。
しかしまあ、この人はなんとサディスティックな小説家だろうか。
またここでバラードを引き合いに出して言うと、確かに用いる素材に共通するものはあると思うのだけれど、その料理の仕方が真逆に近いとは言える。バラードの作品には、時間への偏執があるのはよく言われるけれど、それは「結晶世界」や「ヴァーミリオンサンズ」のように無時間的なものの希求、「沈んだ世界」「奇跡の大河」等の熱帯、繁茂する植物等、原始的なものへの遡行という側面がある。
たいして飛浩隆の作品世界においては、美しいもの、調和したもの、というのは破壊されるためにこそ緻密に彫琢され、そしてグロテスクに破滅する。「グラン・ヴァカンス」での時間が止まったかのような空間に訪れる惨たらしい破壊、「デュオ」での天才的な双子ピアニストとその顛末、「夜と泥の」での現れるたびに蚕食される少女、「象られた力」は言うに及ばず、この破滅の愉楽が諸作に充満する独特の生々しさを生み出している。グロテスクで、えぐくて、しかしそれだからこそ同時に美しい、というある種のホラー漫画にも見受けられる美意識が感じられる。
解説でも「逆転の構図」と評されている飛作品のこのダイナミックな特質は、あえていえばスタティックなバラードとはある面で似てはいてもある面では逆方向を向いている。
しかし、飛作品は読んでいてあまりSF、という印象がない。上掲文にもSFの殻を被った幻想小説だ、と書いているけれど、この印象は不思議とぶれない。いわゆるSFとは違ったことをやっている感があるけれど、うまく言葉にならない。
「象られた力」なんかは現実ともう一つ別の次元を措定して書いている(静的なものの「かたち」に轟然たる「ちから」が息づいているという視点)ところがあって、そこが通常リアリズムに基づくSFと別の印象を与えているのかなとも思う。「グラン・ヴァカンス」は人間の居ないヴァーチャル空間での事件だったし。今ある現実の相対化というのはSFの一つの機能だと思うけれど、飛作品は通常のSFとは異なるやり方でそれを行っている感触。非常に独特。幻想小説というにはSFすぎるし、SFというには妙。
紙の本
瑞々しい作品群
2006/02/28 18:04
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
表題作のほか「デュオ」「呪界のほとり」「夜と泥の」の4つの中編が収められている。いずれもどこか懐かしい。忘れたことさえ忘れてしまった記憶の細片化されたかたちと、希釈された力がひとつの物(たとえば言葉や身体)のうちに再現されている。私と私でないもの、見るものと見られるもの、記号と意味の隔てがその物のうちで消失する。仰々しく表現すれば、そんな感じ。音楽、絵画、映像、とりわけ漫画がもつ言葉を超えた表現力に拮抗するイメージの喚起力に満ちている。
たとえば、「楽譜には作曲家の感情の振幅が記録されている。それを演奏家が解放する。非常に難しい作業だが、まれにうまくいくと、我々は天才たちの感情に同期して翻弄されることになる」(「デュオ」から)。「人間は五官を通してしか宇宙とかかわってはいけない。五官の外にあるものを、人はついに理解することができない」(「夜と泥の」から)。「「かたち」とは数学的で、抽象的なものである一方、それと同じくらい身体的で肉体的なものだ」。「そうとも。ものを見ることは、見られることは、それほどに淫らなことなのだ。人は眼差しによって事物を犯し、見ることによって事物に犯される。だからこそ、人は見ずにはいられない。形と、力を」(「象られた力」から)。
これらの断片をつなぎあわせると、なにかもっともらしい思考を紡ぎだすことができるかもしれない。しかし、そんなことはもうどうでもよくなる。
とりわけ表題作が面白い。エンブレム文字、文様文字、要するに図形言語。その多彩な装飾文様は数十の基本図形に分類される。それらが組み合わさって、そのひとつひとつが抽象的な意味や寓意、神秘的な役割を担う「エンブレム」を構成する。それだけではない。情動、感情の動きを人間の内部から吊り出してくる。
《百合洋[ユリウミ]のエンブレムが感情を抽き出す具体的なメカニズムは解明されていない。しかし大ざっぱに言えば、情動は人間が進化の過程で環境に最適化するために作り上げたツール、機械的な仕組みだといえる。人間の内部にセットされたそのツールを、外部から呼び出したり制御したりするコマンド、それを言語の組みあわせで開発しようというのが詩や演劇や小説といった文学システムだったわけだが、感情じたいがそもそも機械的なものなら、もっと別なコマンドを──たとえば図形の形で──開発することも可能なのではないか。図形化したコマンドを光学読み取りさせて、人間というシステムに指令を出す……どこにもふしぎはない。》(「象られた力」)
このアイデアがすこぶる面白い。そういえば、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』にも、表題作に出てくる非線形書法体系や「七十二文字」に出てくる真の名辞による単為生殖といった秀逸なアイデアがあった。
手練れの書き手を思わせる部分と、生まれて初めてSFを書いた人を思わせる初々しさ、瑞々しさとが同居している。物語の紡ぎ方、語り方に、どこか稚拙さとすれすれの懐かしいところがあって、それがかえって新鮮に感じられる。
紙の本
「あたまや心の中がぐるぐるしてくるように作られています」
2004/11/06 00:12
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
4つの中短編が収められている。
「デュオ」天才ピアニストの謎をめぐる物語。篠田節子のサイコホラーのようだが、生に対する虚無感が強く滲み出ている。
「呪界のほとり」一転、RPGのオープニングのような、奇怪な銀河系の絢爛な冒険談。まあメガマーケット向けとしてはヒネリが利き過ぎてるかしらん。
「海と泥の」惑星をテラフォーミング(地球化)しては植民者にリースするという、リットン&ステインズビー協会シリーズ。眉村卓「司政官」みたいな設定だが、異文明が人間の精神を侵食してくる様はR.シルヴァーバーグにも近い。沼地での巨大な工作機械と昆虫軍団の死闘は、S.レム「砂漠の惑星」も連想した。
「象られた力」これも同じR&Sシリーズ。いくつもの図形を組み合わせてエンブレムにするという人工図形言語と惑星<百合洋>の崩壊の謎。図形言語っちゃテッド・チャン「あなたの人生の物語」もそんなネタだった。文明の崩壊を追うというテーマは光瀬龍も思わせる。
4作それぞれバラエティに富み過ぎて一言では表現できないので、いろいろ引き合いに出してみました。寡作なところもテッド・チャンめいているが、時間だけが醸成する多様なイメージがこれでもかとばかりにぶち込まれてモザイクのように背景世界の豊かな彩りを伝えてくる。作品達で象られた結晶を異なった方向から眺めてみれば、そのたびに違った風景が現れる万華鏡のような作品集。それでいて不安と恐怖だけは人間に巣食ったままでいる。
とりわけ「象られた力」はやはり圧巻。エンブレムの造形の氾濫、豪奢な建築物、エロティシズムが裂け目から流れ出すクライマックスシーン、クローネンバーグあたりで映像化してくれないかなあ。