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紙の本

私を読め、私を現前させよ、私を語るな、私を解釈するな

2005/09/10 17:35

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 『小説の自由』と『カンバセイション・ピース』は姉妹編である。本の造りとデザインがそっくりなのだ。だからというわけではないが、この二冊の書物の読後感(というより読中感)は驚くほど似ている。保坂和志の言葉を借りるならば、それぞれを読んでいる時間の中に立ち上がっているもの、すなわち現前しているものが家族的に類似しているのだ。
 朝日新聞に高橋源一郎が『小説の自由』の書評を書いていた。いわく、小説とはものを考えるための一つの優れたやり方である。つまり小説とは「小説的思考」によって書かれたもののことだ。では「小説的思考」とは何か。それは実のところ『小説の自由』というこの本の中に流れている思考のことなのである。だから当然この『小説の自由』もまた小説である。
 私は自らの実感をもって、この魅惑的な考えに同意する。ただ、「小説的思考」もまた小説を読んでいる(書いている)時間の中にしかない。つまり小説世界の中に立ち上がっているもの、現前しているものこそが「小説的思考」そのものなのである。そうだとしたら、そのような「小説的思考」によって(小説とは何かを考える小説を)書くということはいったい誰がどうやって何を書くことなのだろう。(この困惑はちょうど、すでに立ち上がっている「意識」を使って「意識とは何か」を考えるとは、何がどうやって何を考えることなのかを問う時のそれに似ている。)
 また高橋源一郎は、「小説的思考」が小説が生まれる以前から存在したという保坂和志の魅惑的な考えにぼくも同意すると書いている。「小説が生まれる以前から存在した小説的思考」によって書かれた書物とは最終章「13 散文性の極致」(本書全体の集大成ともいえる章で、「4 表現、現前するもの」とあわせて読むと『小説の自由』のくねくねとした骨格はほぼ了解できる)に出てくるアウグスティヌスの『告白』のことだ。
 「小説が生まれる以前から存在した小説的思考」が「小説が死んだ後にも存在する小説的思考」もしくは「小説という概念とはいささかもかかわらない小説的思考」はては「そもそも書かれることのない(なかった)小説的思考」(純粋小説的思考)といったものまで含意するとしたら、それは魅惑的な考えだと私も思う。

『小説の自由』は「小説をまず書き手の側に取り戻すために」書かれた。しかし、このことと「小説は読んでいる時間の中にしかない」という本書の基本テーゼとは一見食い違っている。小説の「書き手の側」と小説を「読んでいる時間」とは別の次元に属することだからだ。しかし実はそこに矛盾はない。なぜなら「小説家はどんな読者よりも注意深く、自分がいま書いている小説を読んでいる」からである。つまり「小説を書くことは、自分がいま書いている小説を注意深く読むことなのだ」。
 これに対して「批評家・評論家・書評家は、書くことを前提にして読むから、読者として読んだと言えるかどうか疑わしい」。さらに引用を続けると、「小説は外の何ものによっても根拠づけられることのない、ただ小説自身によってのみ根拠づけられる圧倒的な主語なのだ。/本当の自由とはここにある」。
 ここまで書かれたらもう言葉はない。要は「私を読め、私を現前させよ、私を語るな、私を解釈するな」と保坂和志は言っている。この本を、というよりこの「小説」を「書評」などするなということだ。ひたすら読みつづけ、「現前性の感触」に身を浸すか、それとも「この保坂和志という他者の言葉は私(読者)の言葉である」というところまで引用しつくすか。その二つしか途はない。
★不連続な読書日記

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