- 現在お取り扱いが
できません - ほしい本に追加する
- 予約購入について
-
- 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
- ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
- ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
- 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。
紙の本
終戦直後の時代を捉えたうねりの大きいストーリー
2005/09/14 21:03
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る
『退廃姉妹』と言うからてっきり姉妹揃っての放蕩三昧かと思いきや、そうではない。
確かに妹の久美子は自ら望んで進駐軍相手の売春婦になるが、姉の有希子のほうは出征したまま帰らぬ初恋の人を一途に待ち続け、再会が叶った後もひたすら彼に寄り添い、付き従って行く古風な女である。
姉妹の母は既に死んでおり、映画会社の重役である父親は敗戦後に、戦意高揚の映画を作った罪ではなく、身に覚えのない馬鹿げた嫌疑で軍事裁判にかけられる。大黒柱を失った姉妹は自宅で白人相手の「商売」を始める。
これから読む人のために詳しくは書かないが、久美子以外に縁あって2人の女が「従業員」に加わる。有希子は当然それに直接は加担しないが、いわば経営者または事務員的な立場を務めながら愛しい人の帰りを待つ──まあ、こんなところが小説の序盤である。
島田雅彦作品では確かに読んだはずのデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』については残念ながらまるで記憶がない。ただ、『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』の3部作とこの作品を通して感じることは、この人は「描写の人」ではなく「筋の人」だということだ。ストーリーがするすると走り出してしまうのである。
非常に分かりやすく言えば「超訳」みたいにストーリー重視ということにもなるが、それはちょっと貶し過ぎだしニュアンスも違う。トーンとしてはルポルタージュのような感じで、「調べて判ったことだけを書きました」みたいな、ある意味あっさりした文章である。
結局はそういう文章が好きかどうかということに帰結するのだろう。僕としては少し物足りない。僕としては筋よりも先に筆がもっと走ってほしい感じがする(解ってもらえるかな?)
でも、そんなことを思いながら1冊読みきってみるとしっかりとした深い余韻が残っている。この辺りがこの作家の真骨頂なんだろうなあ。
終戦直後の時代を捉えたうねりの大きいストーリーは、若い頃に夢中で読んだ五木寛之の大著『青春の門』をちょっと思い出させた。
読み始めれば夢中にはなる。夢中になって生き抜いた姉妹の物語だから。
by yama-a 賢い言葉のWeb
紙の本
今から60年前の女はバカだった、って言いたいんでしょうか。なにもかもが中途半端、そんな気がします。もっと退廃的であっても、清潔であってもいい
2005/10/30 16:58
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「オレの不幸がうつるぞ。
いいんです。
うつしてください。」
「泣くだけでなく、
もっといろいろなことをあなたにしてあげたい。」
「これからは
わたしたちがアメリカ人の心を
占領するのです。」
以上の三つの文が、表紙を美女のイラストとともに飾ります。
レトロな表紙は、注によれば
「カバー「怪奇雑誌」昭和二十三年
煖爐号より
題字 関口由紀夫
装幀 関口聖司 」とあって、その柔らかい色合いとともに、うーん、でも何だか、いかがわしいかも、と、本を手にしたものを妖しい気分にさせます。そしてカバーうしろには
「進駐軍の兵士たちに身を投げ出す行動的な妹。
特攻帰りの男のすべてを受け入れる理知的な姉。
苛酷な戦後を生きる美しき姉妹の愛と運命は!?
戦後60年の日本人に島田雅彦が贈る恋愛ロマン!」の文。いやはや、それにしてもタイトルに『退廃姉妹』とは・・・
で、これは60年前、あの太平洋戦争で敗れた日本の姿を描く小説です。いや、日本の姿、といった大げさなものではなくて、そこで困窮し、何とか生き抜こうと決心した二人の乙女を活写する物語です。姉妹の名前は宮本有希子、久美子です。母 園子は終戦を迎える前に亡くなっていて、映画製作会社の重役である父 國男と三人で暮らしています。
妹の久美子ついては、学校の話も出てきますし、年齢も16歳と明記されているのですが、姉の有希子となると、性格の描写はともかく、外的なデータとなると処女であること、妹と違う学校に行っているらしい、19歳ということ以外は、あまり描かれませんす。姉妹が美しいのかどうかも、その描写は殆どありませんので、すこし展開がもたっとした感じがあります。
ほかに慶応大学の生徒で、応召されることになる後藤晴男少尉、目黒にある宮本家に住み着くことになる有希子と同い年の寒河江祥子と、売春の先輩である20歳になる春、そして家族を混乱に陥れた張本人である父親などが主な登場人物でしょう。文章こそ違いますが、何だか松本清張と井上ひさしの小説を一緒にしたような印象です。
この話に描かれる女性にリアリティがあるか、といわれると正直首を傾げたくなります。特に妹の久美子の暴走振りが、この時代にこんなに愚かな女がいるか?と思いたくなるほどで、それは丁度、梁石白『海に沈む太陽』の主人公・輝雅の無知を通り越した愚昧さに共通します。読んでいて本を投げ出さないのが不思議なくらいですね。
だから、どちらの作品も読み終わって心に残るのは「なんだかなあ」っていう思いです。ただし、島田のこの作品は、スピルバーグの『アメリカン・グラフィティ』が、一応の話が終ったところで、一気に主人公たちの未来(読者にとっては現在)に飛ぶところが、安心感を与える、それは言えそうです。
紙の本
日本人にとって夏は追憶の季節なのかもしれない。お盆が全国民的行事で多くの人が休暇をとって帰郷し、亡き人を偲ぶ。ついでに自分の来し方を振り返る。そしてあの戦争が終わった。
2005/09/15 16:21
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
東京大空襲、死の恐怖に直面し、焼け野原で命拾いした父と二人の姉妹。多額の負債だけが残された中流階級の家族、
「過酷な戦後を生きる美しき姉妹の愛と運命は?」
を流麗な筆致で描いている。
下町の庶民ではなく、さりとて爵位を誇る上流階級ではない。あの当時の東京、いわゆる山の手の住人、生活に困ることなく、教育水準も高いちょっとした家庭とはこんなものだったのだろうと娘たちの優美な会話が伝えてくれる。戦意昂揚の国策映画事業で稼いでいた父親が進駐軍専用の慰安所へ女を斡旋するヤバイ商売に鞍替えして、ひょんな誤解から戦犯にされる。なに不自由なく暮らしていた家族の転落、そんなまさかの連続に読み手の興味は引きつけられる。百鬼夜行がうごめく闇市の喧噪も力の入った描写だ。
特攻隊で生き残った男が軍の暴力で精神の傷を深くする過程、死に向かって堕ちていく姿もなかなかひきつけられる。登場する人物像ではいちばんわかりやすい。理知的で美しいお嬢様育ちの姉がこの虚無的で病的な男に溺れていくデカダンス調もいつか古いメロドラマ映画で見たような懐かしさを伴って読むことができる。
妹の美人お嬢様が冒険的に娼婦になるもうひとつのストーリーも刺激的に見えた。途中までは喜劇的で楽しめた。ところが「東京はアメリカに占領されたけれど、あたいたちはアメリカ人の心と財布を占領するのだ」といかにもこの作品のメインテーマのごとくに装幀には目立つコピーがあるのだが、最後になって違和感として残る。これからは女の戦争が始まるのだとへらずぐちながらもしたかかに立ち上がる女性への賛歌かと思えば、脇役で登場する娼婦希望のズウズウ弁のネエチャンやパンパンの先輩(この二人は光っています)がそうであっても、肝心のお嬢さんが自殺をはかる動機ともなれば、所詮旧弊を断ち切れなかった女だとの印象は免れない。姉はそうなのだがこの妹も「退廃」なのだろうかとの私は首をひねった。なお彼女たちの母親の死にも「退廃」という共通した含みをもたせているようだ。
彼女たちの生き方を通して「戦後60年の日本人」に著者島田雅彦が何かを語りかけようとする話題作のはずだった。無差別大量死=戦争という無限の切り口がある重いテーマについて著者が個性を活かして独自の断面を見せてくれるものと期待していた。ところが唐突に終わる。後味が悪いということではなくあっけなさにとりのこされる。
このように著者として伝えたいメッセージがいくつかあるように思われる。ところがその糸口だけでなにも伝わってこない。そもそもなぜ「退廃」をタイトルとしているのだろうか。そこにある妖・美の語感が通用しなくなった現代にあえて「これぞ退廃を描く小説だ」と挑戦したつもりかなと前向きに考えるのだが、釈然としていない。
著者は最後に詠嘆調でこう締めくくる。
「敗戦から60年が経過した。姉妹の孫たちは、60年前、日本がアメリカに占領されていたことなど知りはしない。(目黒の家で祖母たち=主人公の姉妹が)よもや自分たちと同じようなことをしていたなどと考えたこともない。………優雅なあばずれ娘たちの歴史は繰り返される。時に悲劇として、時に喜劇として。そんな日本へようこそ。いつの時代も退廃姉妹がお相手します」と。
ここにも重要なメッセージがあるはずだ。が、なにも伝わってこないのでは戦後という体験すらない著者が才覚だけで筆が滑った蛇足としか言えないではないか。
ところで、終戦時の庶民の困窮、空襲、敗戦、進駐軍の占領と文化の相克、そして抵抗精神をもったパンパン・オンリーなどこの作品と非常に似た環境を描いた傑作に井上ひさし『東京セブンローズ』があります。どうしてもこれと比較することになって、よけいに物足りなさを感じた。