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間違ったことは書いていないかもしれないけれどかなりセンセーショナルな言い方で全15章を構成。知ってる裁判官の判決もちらほら。ただ「狂った裁判官」よりは理性的な印象。
裁判が人と人の中にあるということを忘れたような裁判官の発言は、批判されて当然だと思う。多くの人が見て「さすがにこれはどうなのか」と思う判決もある。人によって何を変だと思うかはそれぞれだと思うけど、打たれ強い結論はやはり、いろんな視点で考えられた上の結論ということになるのだろう。
少年の実名報道に対して賠償を認めた判決への批判などは疑問。「殺人を犯した少年の精神的慰謝料を認めたコンピュータ裁判官」とか徹底的に批判しているけど、被疑者の少年がどんなに酷いと思われるようでも、被疑者の権利も考えなければいけない。訴訟になる前に「そんな訴訟はやめろ」と諭せればよかったと思うけど、裁判所に出てきてしまった以上、裁判官として取れる手段は…比較衡量位か。事件の重大性からどこまで必要性相当性を広げるかは考え方が分かれうるだろう。実名報道によってリアリティのあるニュースにするという価値への評価の違いもあると思う。どこを「正しい」と考えるのかは、少年法61条のような拠り所のない限り、はっきり言って物差しの設定の仕様がないけれども、いずれの結論を出すにせよ、反対の考えも考慮したことをわかってもらうようにする努力は必要だろう。
「日本は法治国家ではない、徳治国家だ」という言葉を別の文脈で批判として最近聞いた。当然の前提として裁判は法律にのっとって平等に行わなれるべき。
全ての人に納得してもらえる裁判というのはなかなか難しいとおもうけれども、いろんな立場から考えて、極力、血の通った裁判にしていかなくちゃならないと思う。
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裁判官は正義の味方ではなく、ただの公務員ですと言うことが分かり易い例とともに解説している。ただし、罪もない人の人生を変えてしまうことに何の責任も感じない(もちろん裁判官だから罪を問われることはない)、エリート意識の固まりである最悪な公務員。普通の人がこの本を読めば、ふつふつと怒りを感じるだろう。彼ら裁判官は、裁判員制度にも反対していたことから、一般の善良な市民には、必要な制度だったことが、今更ながら理解できた。
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裁判官がいかに世間ばなれしていて、常識のない人たちなのかという実態を暴いた本です。「頭でっかち」という言葉はもう死語なのかもしれませんが、もうそうとしか言いようのない実例ばかりで、絶対裁判沙汰には巻き込まれたくないと、ただただ思うばかりの有様です。
著者の主張にはやや首を傾げたくなる点も多々ありますが、非常に面白かったです。
一体、正義はどこにあるのでしょう…
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筆者の怒りを痛いほど感じ、読んでいる間、こちらもずっと沸騰笑
裁判官は世間知らずで少しおかしい、と噂には聞いたことがあったものの、まさかここまでとは…。
第15章を読むと、それもさもありなん。
加害者としても被害者としても、裁判沙汰には決してなりたくない。