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久し振りの現代フランス文学。読メ友のfishdeleuzeさんお薦め。一見したところ文学作品には見えないタイトルなので、自分で手に取ることはなかっただろうと思う。なお、タイトルは原題の直訳。ブリュノもミシェルも親に捨てられ、また子どもとの縁も薄い。常に勃起し、女を求め続けるブリュノ。一方のミシェルは、ほとんど性的な関心を持つことがない。1960年代のヒッピーからニューエイジを経て、性と社会や人間性の解放が謳われるが、ここに描かれた主人公たちの人生と共に、それはむしろ愛の不毛を確かめただけであるかのようだ。
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読むのが超辛かった
現代社会の構造、生殖、生物の細胞遺伝子レベルまで一つ一つ丁寧に確認するとそこには悲しみが徹底的に染み渡っていて、でもそれを確認できたら、なぜか私は安心した。
いや、安心したのはやっと読み終わったからか…
でも早朝の湖畔を散歩しているような気持ちになった。
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静と動、性と死が激しい物語。
対局的に位置する二人の兄弟の虚しさが上手く描かれている。取り分け、時間の流れ(若さ)への恐怖は読者をも病む。
あからさまな性の表現が多く、それ自体はいいが、もう少しミシェル側のストーリーが欲しかった。
なにかしら残ってしまった自分のしこりが、上手く解決できず、戸惑っている。
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2014年6月の課題本です。
http://www.nekomachi-club.com/side/12885
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テーマは『ある島の可能性』とほぼ同じ、というより、あちらが、この『素粒子』の続編みたいなものらしい。
若い時分に読んだらそれこそ死にたくなるような気分にさせられたかも。なんともやるせない小説。
女たちが次々自殺するがそれもご都合主義ではなく、切実さとリアリティを持って感じられた。
非モテ系の話と聞いていたけれど、作家のポートレイトを見る限りでは意外にも美男子(私がそう感じるだけ⁉︎)
訳者あとがきによると、主人公のひとりブリュノの人生は、ほぼ作家の人生と重なるそうだ。数度にわたる精神科入院など、驚いた。
ほぼデビュー作であるこの作品は、なんというか、怒りや絶望、作家の痛みが直に伝わってくるようで、読んでいて辛かった。『素粒子』の成功である程度余裕を持って書かれた『ある島の可能性』はこちらより完成度も高いと思うし、楽しんで読めたのだけど。
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ミシェルは分子生物学者、ブリュノは高校の文学教師で、二人は異父兄弟だ。現在40代となった二人は同じように愛を求めている。ミシェルは休職し思索にふけり、ブリュノは失われし青春を求めてセックスに狂っている。人生に対する埋めがたい空虚さを人はどうして埋めたらよいのか。主に二人の男の人生を描いているだけだが、性別、遺伝子、セックス、幸福、資本主義、宗教、種族といった観点について、社会を再構成していくための方法を模索している。最終的には壮大なSF作品たる結びで終わる。
ヒッピーってそんなに重要なのだろうか。
海外の人ってそんなに乱交ばかりやっているのか。
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すごい本だけど刺戟的に過ぎる部分もあり、感想としてはめちゃくちゃだったといった感じ。ラストはちょっと賛同しかねる。
しかし、人間への根本的な愛を感じる一作である。
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本書の中で描かれているのは、単なる中年男の孤独だろうか。そうは思えない。
誰もが心の何処かで持っている寂寥感や人恋しさが根底にあって、その上で満たされない気持ちをどうするか? という問いが含まれているように思う。
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「服従」が面白かったので、著者の代表作を読もうと思って購入。性格もキャリアも全く異なる異父兄弟の半生を中心に、家族や夫婦、親子、友人との関係を生々しく描いている。美貌、健康、学歴、財産、政治信条、友情、愛情、幸せなど、どれ一つ確固たるものはなく、得たと思えば去っていくし、またやってくる。外から来るものにしがみつくのではなく、中から信念を持って信じられ続けるものを持つことが重要だと再認識。これが難しいのだけれど。
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どちらかと言えば苦手な作家。処分する前にもう一度読もうと悪あがき。過激な性、暴力描写に、やはり遅々として進まず… しかしながら半ば自伝的本作では、人間の脆い精神構造を暴き出す傍ら、ウェルベック自身の思想が見え隠れして面白いのも事実である。影響を受けやすい私は、近々必ずやハクスレーを読み返すであろうと予測(おそらく的中)。
kinoppyでは電子書籍版が出ていないのか… ひとまずは本棚に戻す。
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『服従』が面白かったので遡ってきた。
セックスと老化に翻弄されることから逃れられない人間の孤独と絶望。若い時に読んでもピンとこなかったであろう中年の悲哀と渇望。
予想外のオチに回収される。
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人間存在の孤独についての物語が、どこまでも個人的なエピソードを通じて、しかし普遍的な確信をもって語られる。
小説の主軸になるのはふたりの異父兄弟。兄は女にもてず、不惑を超えても性的な彷徨を続けている文学教師。弟は、相手が男であれ女であれ、他者と人間関係を築き難い天才科学者。
西欧文明の終焉を背景に、兄弟と彼らを取り巻く人間たちを透かして、孤独の絶対性が描かれる。
ラストで明かされる物語構造と人間存在への視点は超越的で、冷徹でありながら甘美だ。それはニーチェの超人思想を思い出させる。人間は生まれながらに重荷を背負ったものであり、人間の先に続いて現れるもの(があるとして)への架け橋でしかない、と。つまりは超人的な存在を仮定して初めて、人間は人間を肯定できるのかもしれない。
超人が存在せず、人間が人間でしかない現実においても、ひとは生きていくしかない。孤独と死とともに時間に押し流され、どこかにある愛を信じながら。
読後の呆然とした余韻の中で、そんなことを思わされた。
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映画を観た時に、原作を読みたいと思ってそのままにしてたんだけど、無性に今、読みたくて仕方なくなったので借りてきた。
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作者の掌の上できれいに転がされた感じがする。一本の小説の中で何回、不幸と一瞬届きそうになる幸福の間を行ったり来たりしただろうか。これでもかというくらい振り回され、同情を誘い、もはや「素粒子」というタイトルが匂わすSF的結末への期待をも忘れて、途方もなく哀愁漂うなけなしの性愛物語として十分満足だ、と観念しかけた頃、ついに結末がやってくる。そのカタルシスたるや、圧巻である。一切の苦悩から解放されたときのような浄福を自分は味わった。自由と進歩主義に対するにべもない唾棄には思わず笑ってしまったが、このとき、登場人物たちに対する自分の数々の共感と同情も一緒に笑い飛ばされてしまった。それがまた爽快。ウェルベックの最高傑作と呼ばれるのも納得。作者の思想に同意しない人でも楽しめると思う、というかそれを狙いに行ってるだろうな。
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原書名:Les particules elementaires
第1部 失われた王国
第2部 奇妙な瞬間
第3部 感情の無限
著者:ミシェル・ウエルベック(Houellebecq, Michel, 1958-、フランス・レユニオン、小説家)
訳者:野崎歓(1959-、新潟県、フランス文学)