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フランス近代の変遷とともにあった異父兄弟の人生は背中合わせで、同じ光景を見ることはない。
体を燃やす孤独、雪のように降り積もっていく孤独。欲望も快楽も幸福も愛も、個人主義がもたらした孤独を前にしては人はゆっくり狂いゆくばかり。
人は滅んでいくのだろう、無抵抗に、音もなく。
兄の人生は「これが延々と続くのか…」と思う描写ばっかりでそりゃ地獄だわと思うし弟の人生も自分では解決の術もわからない孤独に厚く包まれていてそれもまた内側から凍っていく絶望がただただ冷たい。エピローグのまとめ方はウェルベックの才能に唸るけれど、やっぱり何か怖いんだよねこの人は…
明確に反出生主義の流れを汲んだ小説だと思う。べネターの誕生害悪論が近いところにある気がする(べネターちゃんと読んでないが)けどその思想を人間ふたりの誕生から終焉まで、そしてさらに続く長いスパンの小説に落とし込むのはすごい。
でも怖いんだけどね根本的に!何かが!それがウェルベック!
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高校教師の兄と科学者の弟、異父兄弟がその身を滅ぼしていく過程が描かれています
20世紀にかけて欧米で起こった社会制度、家族制度の変化、性の自由化の流れがわかり易く描写されています。
下ネタだらけなので苦手な人は読まない方がいいです
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ミシェルウェルベック 「 素粒子 」
新しい人間学。形而上学(多数の人が共有する世界観)の変異から「人間とは何か」を考察している
ショッキングなエピローグ。素粒子レベルまで物質化した人間像。性別と死がない新人類。未来の新人種が三人称的に語る構成。
面白いけど 性描写がしつこい。
祖母の遺骸や恋人との再会のシーンは、人間とは何か 考えさせられた
人間とは何か
*心の内に〜善と愛を信じることをやめない
*生きることは 他人の眼差しがあって初めて可能になる〜遺骸となっても 生きていた頃を想像できる
*お互い敬意と憐みを抱くのが人間らしい関係
時代背景
近代科学が キリスト教道徳を一掃し、男女の違いが 個人主義、虚栄心、苦しみ、憎しみなど不幸の源となっている
アナベルとの再会。心地よさ、暖かさに包まれて〜世界の始まりにいた〜時間の根が生えてくる場所を見た〜あらゆるものの内に終末を見た
空間に関する新しい哲学原理
空間は自身が精神的に作り上げたもの〜その空間内で、人間は生き、死ぬことを学ぶ。精神的空間の中で別れ、遠さ、苦しみが作り出される
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『闘争領域の拡大』に次ぐウエルベックの二作目。フランスでベストセラーになったらしい。
ウエルベックは博識な作家だが、本書もごたぶんにもれず数学、分子生物学、はては哲学まで盛り込まれていた。ド文系な自分にはさっぱり理解できなかった箇所も多かった。難しすぎる小説ははっきり言って苦手だ。
性欲に囚われた国語教師の兄ブリュノと、天才分子生物学者である弟ミシェル。この異父兄弟を主人公としてその一生が描かれる。前半の幼少期の話は好きだったが、後半になるにつれわけがわからなくなり、あまり物語に入ってゆけなくなった。
ブリュノは性欲をこじらせたまま大人になり、ニューエイジ風のキャンプに参加したり、乱交専門のナイトクラブに参加したりと性欲を満たす機会を日夜探している。小説全体を通しても彼の異常な性欲が際立つ内容で、彼があの手この手を使って一物をしごく姿が印象的だった。ブリュノが描き出しているのは『闘争領域の拡大』でも描かれていたような、典型的なルーザー。ウエルベック的な主人公といえる。だけどそこまでの性に対する倒錯した欲望は私は持ち合わせないので、読んでてふーんそうですかというような感じになった。あと時折ミシェルとブリュノの会話があったが、これもなにかぎこちなく、風景描写も取って付けたような感じで、いかにも小説としての体を整えるためという感じがした。
弟ミシェルは兄ブリュノとは対照的で天才なのだが、無性欲、不感症で、そのこと自体についても本人は無関心だ。興味があるのは彼の学術分野のことだけ。ミシェルにもブリュノにも共通しているのは二人とも無目的に生きていることだろうか。誰にも生きる意味などわからないものだろうが、素粒子に登場する人物たちは皆さまよい、傷つき、他者を理解しようとするも満たされることがない。
それにしても作家によって小説ってこんなに違う顔を見せるんだなと感心する。村上春樹からは温かみ、ジョン・アーヴィングからは力強さを感じるが、ウエルベックに関して言えば、鋭いカミソリのような感じを受ける。時代を抉り取って描写する鋭さとでも言ったらいいだろうか。ウエルベックの小説は難しいが狙いがはっきりしているように感じた。
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終焉に向かう人類。それぞに「愛」の意味を探して苦悩する二人の兄弟。
ストーリーが面白いので、序盤はどんどん読み進められました。途中から哲学や物理の考察が多くなり、どっちも疎い僕は読むのがキツかったですが、最後で納得!めちゃくちゃ深い伏線。
読み終えてみると、かなり面白い作品!
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ブリュノとミシェル、両方ミシェルウェルベックが実際に辿ってきた人生をかなり濃く反映したキャラクターなんだな。
自由が、かえって男を生きづらくさせた。西欧社会の転換が生んだ翳りを、生々しく露悪的に捉える。
自らの人生において、あらゆる面で強烈なコンプレックスを抱くブリュノ、なりふり構わず性に乱れる姿は滑稽だし彼の過去を踏まえると物悲しさすら漂う。でも後半吹っ切れたか振り切れたかしてる。より彼に対する切なさが増幅しちゃう。
根底にウェルベック自身の痛烈な自己批判があるんだろう。社会を世界をシニカルに捉えているのに、その眼差しは自身の振る舞いにすら向けられている。
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この小説は天才的な科学者と典型的な文系人間の兄弟を両輪として展開する。1960年代より文化面で進行した個人主義と性の解放によって訪れたのは、人間の分離と欲望の無制限な増大だった。その社会を間近で観察し続けたミシェルは個人性を排除した新人類を生み出した。それは人類の緩やかな絶滅をも意味していた。
行きすぎた個人主義の他から逸脱したいという欲求から生まれたセックス至上主義、エロチック=広告社会に対するアンチテーゼであり、現代社会への諦めを感じる。そこでは歴史上類を見ない規模で不均衡がばら撒かれる。エヴァの人類補完計画にも通ずる部分がある。みんな一個になっちゃえばいいじゃん。
ミシェルとブリュノの半生を概観しつつ現代社会の限界を描き出す。個人主義と家庭の矛盾、性的解放と暴力etc。全体的に女性を主体として語ることには消極的である。
ミシェルの作り出した新人類の社会は彼自身が批判したハクスリーのユートピア社会の問題を克服できているのだろうか?遺伝子コードが同じで増殖に生殖が必要ないだけで個人性を超えることはできるのかは疑問に感じた。ウェルベックは新人類の登場した世界をユートピアとディストピアどちらとして描いているのだろうか。ハッとさせられる一節がたくさんある小説だが、その中でも以下の二つの引用には作者の人間に対する愛憎入り乱れる感情が現れていると思う。
P106
一九七四年七月の一夜、こうした状況のもと、アナバルは自分の<個的存在>について苦悶に満ちた決定的意識に到達したのだった。動物については身体的苦痛という形で啓示される個的存在が、人間社会においてその完全なる意識に到達するのはひとえに<嘘>を通してであり、嘘と個的存在とは実際上かさなり合う。
P126
人類についていくらかなりと網羅的に検証しようというのであれば、必ずやこの種の現象に注意を向けなければならない。歴史上、こうした人間もまた確かに存在した。一生のあいだ、自分の身を捨てて愛情だけのために働きづめに働いた人たち。献身と愛の精神から、文字どおり他人にわが命を捧げ、それにもかかわらず自分を犠牲にしたなどとは思わず、実際のところ献身と愛の精神ゆえに他人にわが命を捧げる以外の生き方を考えたこともない人たち。現実には、そうした人たちは女性であるのが普通だった。
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"「唯物主義と近代的科学を生み出した形而上学的変動は、二つの大きな結果をもたらした。合理主義と個人主義だ。ハックスレ―の過ちは、それら二つの結果のあいだの力関係を測りそこねたことにある。とりわけ、死の意識が強まることによって個人主義が高まることを過小評価したのは彼の過ちだった。個人主義からは自由や自己意識、そして他人に差をつけ、他人に対し優位に立つ必要性が生じる。『最良の世界』に描かれたような合理的社会においては、闘いは緩和されるかもしれない。空間支配のメタファーである経済的競争は、経済の流れがコントロールされる豊かな社会ではもはや存在理由を持たない。生殖という面からの、時間支配のメタファーである性的競争は、セックスと生殖の分割が完全に実現された社会ではもはや存在理由を持たない。しかしハックスレ―は個人主義のことを考えに入れるのを忘れている。セックスは、ひとたび生殖から切り離されたなら、快楽原則としてではなくナルシシズム的な差異化の原理として存続するということが彼には理解できなかった。富への欲望に関しても同じことさ。スウェーデン流社会民主主義モデルが、ついに自由主義モデルを凌駕できなかったのはなぜなのか? それが性的満足の領域においては試みられることさせなかったのはなぜなのか? 近代科学によって引き起こされた形而上学的変動が、個人主義化、虚栄心、憎しみ、そして欲望をもたらしたからさ。欲望というのはそれ自体――快楽とは反対に――苦しみや憎しみ、不幸の源なんだ。これはあらゆる哲学者たちが――仏教徒やキリスト教徒だけではなく、その名に値する哲学者たちはみな――知っていたことであり、説いたところでもあった。ユートピア主義者たち――プラトンからフーリエ、ハックスレ―に到る――の解決法は、欲望と、それにまつわる苦しみを消すために、欲望を直ちに満たす方法を組織することだった。その反対に、ぼくらが暮らすエロチック=広告社会はいまだかつてない規模で欲望を組織し、肥大させながら、その満足に関しては個人的領域にとどめている。社会が機能し、競争が継続するためには、欲望が増大し広がって人々の暮らしを食い荒らす必要があるんだ。」" ISBN4-480-83189-4 P.174
鼻面をひきまわされる、耳をひっぱられ否応なしにつれまわされる。この小説のはじめの印象はそんなふうだった。
なにを見せられているのか、どこへ連れて行かれるのか、さっぱりわからない。90年代の映画風。はっきり言えば『パルプ・フィクション』や『トレイン・スポッティング』、『ファイト・クラブ』のようである。クール。フランスのいじめスゲー。
気づけば、森山塔作品にも似た読み味になっている。なんだこれは。まったくもってわけがわからない。だが、読むのをやめようとは思わない。
この物語がいかにして『素粒子』へとたどり着くのか、楽しみでならない。
文学を語れるほど読みこなしていないが、本作品は文学であろうと思う。経験から、文学とはどちらかというとウェットなものという印象が強いが、本作品は非常にドライである。痛ましいほどに超越的である。
エピローグ。これ以前は文学だった。
エ��ローグの10ページ程度でSFになる。サイエンス・フィクションではなく、サイエンス・ファンタジー。なんでこのオチ?
いかなる差別をも存在しない未来への憧憬か。
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「滅ぼす」を読了後、他のウエルベック作品にも触れようと決意。
50年代末のフランスに生まれた異父兄弟が対照的な人生を歩む。高校で国語教師を務める兄ブリュノは、悲惨な幼少期が災いしてかセックスに溺れる日々を送る。対して天才科学者の弟ミシェルの私生活は清純そのもので、ノーベル賞も狙えるほど研究に精魂を込めている。
アメリカから持ち込まれたヒッピー文化やヌーディストビーチ、乱行専門の風俗店に代表される退廃。現代物理学や遺伝子学といった人類知能の限りを尽くした最先端のテクノロジー。人間の生を語るうえで文字通り両極に位置するこれらの世界、そして双方を代表する2人の生き様を通して、現代を生きる人類とその未来を見つめる作品。
読み終わったのち、タイトルの意味が(ほんのりと)分かる。生物としてのhuman beingが行き着く先とは。
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人に薦められて手に取る。恐らく自分では選ばない内容。
最初は性的なものも含む衝撃的な描写と、物理学や哲学の難解な文章に頭が混乱しながら、また辟易しながら、何度も挫折し、少しずつ読み進めた。だが次第に登場人物たちの絶望的な哀しみに寄り添うようになり、最後にはページを捲る手がとまらなくなった。なんとも不思議な、ジェットコースターみたいな小説。面白かった。
でもどうかな、やっぱり好き嫌いがはっきりとわかれる小説なんだろうな。
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スーパー面白かった!強烈!読んでると鬱々としてくるのに読むのを止められない不思議な魅力を感じるところから少しずつのめり込み、下劣な話や最低な思考がガンガン出てきて不快になりつつも文体の魅力に引き込まれて読む手を止められなくなり、仕舞には愛おしくなって夢中になり、ラストで二人の兄弟の半生と語られた会話とが全て集約されたSF展開に衝撃を受けた。興奮、感動した。構造も面白い。何度も戻って読み返したりするのは久しぶりだった。何日か共に生きたような長編の醍醐味もあり余韻が凄い。心に残ってる。
ディストピア小説を読みたくて「ある島の可能性」を読もうとしたら先に読んだ方がとおすすめされた経緯なんだけど、何て的確な紹介だったのかと驚いた。 管理社会が生み出される前段階を読めたような、ディストピア小説はだいたい管理社会が成立した後の話なので普通じゃ読めない部分を見れたような興奮があった。いや、SF小説で似た方向のオチになるやつがあるので珍しくないのかもしれないけど理論的に構築されてるところは新鮮だと感じた。
ディストピア小説を漁っていて今のところ「すばらしい新世界」が一番好きなんだけど、ハクスリーの名前が出てきたと思ったら「すばらしい新世界」について兄弟でそれぞれ意見を交わしてて嬉しい驚きがあった。しかもそれも他の思想や討論と同様、オチへ繋がる要素の一つにもなっていて刺激的だった。またいつか読み返したい。素晴らしい傑作だった。
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読むのに時間がかかった。
ジェルジンスキという分子生物学者とブリュノという高校教師の異母兄弟のちいさいころからの話。
1900年代から2200年代の社会にまで及ぶ。
性的な表現や常識から逸脱していると思われるこういの連続で発売されて避難や攻撃をうけたのも頷ける。
しかし、いかに道徳的に生きても死んでしまえはなんにもならないなと感じた。ミシェルは、白いカナリアがダストシュートに投げ込んだ。どんな形であれ我々も白いカナリアなんだろう。
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危険な本 問題作と紹介されていた やるだけの表現されているが、なんともエロさや色気を 全く感じない、どこでセックスしたという表示だけ。 内容も全体としては、精神病的なこだわりがあると感じる。中間部分で、オルダス・ハックスリー の書評があったり、共産主義的な、思考の断片があったり、 最終部では哲学的と感じる表現もある。 ヒッピー様なところがウケるのかもしれない。