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戦争を知らない人のための靖国問題 みんなのレビュー

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みんなのレビュー27件

みんなの評価3.6

評価内訳

高い評価の役に立ったレビュー

25人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/07/03 03:17

「帝國靖国に拱手困惑し、英霊再度社稷の為に死す」(社稷=国家)

投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「A級戦犯が祀られているから靖国参拝はいかん」と中国はいうが、それに対し著者は、「戦勝国の一方的な裁判によるものだ」としている。
 そのとおりである。対米戦でいえば、仕掛けてきたのは米国である。ふつう、石油の禁輸を究極とした経済制裁をすれば、それはすなわち宣戦布告であろう。アメリカは、日本が何度も和解を打診したにもかかわらず、ハルノートで無茶苦茶な要求を押し付け、しかも石油や鉄までストップして日本に「死」を迫ったのである。国務長官のハルや、次国務長官バーンズは、何としても日本を叩き伏せるつもりであり、ジョゼフ・グルーがいなければ、日本は降伏すら容易に許されなかったろう。
 こういう歴史をしれば、日本の一方的侵略戦争などということを言う人物がいかに中身の無い香具師か分かる。
 また、インドのパル判事は「ハルノートのようなことを言えば、モナコでも武器を取って立ち上がるしかない」とし無罪を判事している(ちなみにこれはパルの言葉ではなく、アメリカの学者の発言の引用。近年ようやくそれが誰だか判明した)。どう考えても、このインドの大法学者の少数意見の方がまともなわけである。共産・社民や民主自民の左翼などは、火の出る反米を演じながら、欧米列強の法理論的に極めて苦しい判示にだけは妙に寛大で矛盾を来たしている。つまり、著者のこの見識は正しい。
 また、靖国は心の問題であり、死者の霊を弔うのに中韓など外国が文句をいうなど言語道断である。日本の宰相が日本の土地で踏み入れては成らない土地が出来ること自体異常であろう。ましてそこは我々の祖先が眠る地である。最高裁も、津地鎮祭判決で明確に合憲判断を出している。
 最近、裁判所でも判決ではなく、傍論を使って違憲とする裁判例(最高裁ではない)が何個かでてるが、司法はこのような高度な政治問題に介入すべきではない。司法は政治化してはならない。判決が出たのに傍論で違憲と主張するなど一体何をしたいのか意味不明である。
 本当の戦犯は、面白半分に核を2個も落としたトルーマン大統領である。もしアメリカが敗戦したら、トルーマンは万死に値する大罪人と衆目一致であろう。大体、日本も原爆の研究がかなり進んでいたが、それをストップさせたのは、昭和大帝であられた。陛下の怒号とともに、研究はストップされたのだ。
 著者の言いたい事は舌足らずな面もあるが、歴史から見て概ね正しい内容といってよいだろう。ただし、靖国参拝の是非は今後慎重な検討を要する。
 もちろん、上記のような事情がある以上、本来靖国参拝は全く非の打ち所はない。ただ、現実にアメリカも反対しだしており、中韓に靖国問題を利用されている面もある。だからといって、国立追悼施設など噴飯モノである。それは作った瞬間、赤っ恥の「負の遺産」に成り果て、壊すに壊せず大恥をかくことになる。なぜなら、靖国は厳と存在しており、靖国の代わりは靖国しかないからである。
 日本の矜持を保持し、かつ米中の矛を(特に米)収めるには、結局A級戦犯分祀以外ない。そのためには、政治の要職から離れた大物が三顧の礼をとり国家の未来を説き平身低頭宮司に頼み込むしかない。無論、それでも神道上全く変化は無いから無駄という批判もあろう。しかし、その方が(つまりA級戦犯の魂はまだ靖国残っている方が)かえって日本人は嬉しいし、しかも中国も上げた拳を納めるしかなくなる。ここは一石2鳥とポジティブに捉えたい。そして日本人は、一糸乱れぬ死をもって国体(具体的には天皇制破壊の上、共和体制という国体破壊)を守り抜いてくれたA級戦犯の英霊たちに、今一度感謝の念を新たにし今一度国家の為に耐えてくれと謝罪することも忘れてはならない。
 本書は、新書版だが、高橋哲哉などという超反日極左の「靖国問題」とは比較にならない示唆的な内容を持っておりお勧めできる。

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低い評価の役に立ったレビュー

19人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

2006/05/20 17:36

独断に満ちた偏見の書「戦争を知らない人のための靖国問題」を読んで

投稿者:pierre - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は上坂冬子氏の偏見に満ちた独断の書であると言わざるを得ない。
〈やはり「二度と戦争はイヤだ」〉
 著者は最初にこう書いている。「『二度と戦争はイヤだ』とあっさりいってのけることにウソがある」(p.32)。それこそ著者の独断である。私は父を戦争で失った遺族の1人であるが、「二度と戦争はイヤだ」というのは真実の心の声なのだ。著者が本当にそう思っているとしたら、よほど戦争でいい思いをしたのだろうか。
〈遊就館が「かけがえない」か〉
 著者は、遊就館が「かけがえない」として、そこに展示されている零戦について「当時の技術水準を察しつつ貴重な遺産だと感じ入った」(p.40)と言う。零戦を「貴重な遺産」ということそれ自体に異論はないが、問題はあの遊就館の持っている戦争観である。遊就館はそのホームページの冒頭で「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました」と書いて、近代化以降の日本が外国と戦った戦争を完全に肯定しているではないか。だから零戦はそういう戦争に大きな役割を果たした、1つの成果として誇示されているのだ。この展示スタンスでは、ヨーロッパの博物館にギロチンが展示されているのはまったく意味が違うではないか。
 また著者は、遊就館に零戦が並んでいるからといって軍国主義復活という論理は通用しないと言い、その論拠として「当時の日本には…国家として戦争を行う権利…が認められており、戦う自由が保障されていた」(p.42)と書いている。しかし日本は1929年に「パリ不戦条約」を批准し、「國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコト」(同第1条)を約束していたにもかかわらず、そのわずか2年後に満州事変を起こして、それを破っているのである。だから、遊就館で零戦を見れば、それがそういう当時の日本の侵略主義を裏づけるものと理解するのは、むしろ当然ではないか。
〈誰が国策を決めたのか〉
 「戦犯者は…国策に従って行動し国に忠誠を尽くし、たまたま執行しました公務のある事項が、不幸にして敵の手によって…生命を奪われた方々であります」(青柳一郎、p.128)と言うが、その「国策」は誰が決め、誰が執行を命じたのか。A級戦犯はみな「国策」の決定に参画しその執行を命令する立場にいたのではないか。日清・日露はさておいても、満州事変以降の対外戦争は明らかに誤った「国策」の結果であり、それによって類のない最悪の厄災に国民もアジアの多くの民衆も襲われたのである。その責任は一にこれらの「国策」を決めた当時の権力者たちにあることは論を待たない。したがって東京裁判の正当性がいかに疑われようとも、少なくともA級戦犯として刑を受けた人たちはこの過ちの責任は免れず、戦後60年を経過しても依然として彼らが被害を受けた国民、アジア諸国の人たちの非難の対象になるのは至極当然のことなのである。それは彼らの傷がいまだ癒えてないからである。
〈遺族の1人として〉
 最後に遺族の1人として言いたい。戦争の痛みはいくら戦没者を「英霊」にしたところで癒えるものではない。まして多数の無辜の民をとんでもない災厄に引きずり込んだ責任者たちを「英霊」として顕彰するから、一層話がおかしくなる。だからそういう誤魔化しから一日も早く訣別することを、衷心から希求して止まないのである。

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27 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

「帝國靖国に拱手困惑し、英霊再度社稷の為に死す」(社稷=国家)

2006/07/03 03:17

25人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「A級戦犯が祀られているから靖国参拝はいかん」と中国はいうが、それに対し著者は、「戦勝国の一方的な裁判によるものだ」としている。
 そのとおりである。対米戦でいえば、仕掛けてきたのは米国である。ふつう、石油の禁輸を究極とした経済制裁をすれば、それはすなわち宣戦布告であろう。アメリカは、日本が何度も和解を打診したにもかかわらず、ハルノートで無茶苦茶な要求を押し付け、しかも石油や鉄までストップして日本に「死」を迫ったのである。国務長官のハルや、次国務長官バーンズは、何としても日本を叩き伏せるつもりであり、ジョゼフ・グルーがいなければ、日本は降伏すら容易に許されなかったろう。
 こういう歴史をしれば、日本の一方的侵略戦争などということを言う人物がいかに中身の無い香具師か分かる。
 また、インドのパル判事は「ハルノートのようなことを言えば、モナコでも武器を取って立ち上がるしかない」とし無罪を判事している(ちなみにこれはパルの言葉ではなく、アメリカの学者の発言の引用。近年ようやくそれが誰だか判明した)。どう考えても、このインドの大法学者の少数意見の方がまともなわけである。共産・社民や民主自民の左翼などは、火の出る反米を演じながら、欧米列強の法理論的に極めて苦しい判示にだけは妙に寛大で矛盾を来たしている。つまり、著者のこの見識は正しい。
 また、靖国は心の問題であり、死者の霊を弔うのに中韓など外国が文句をいうなど言語道断である。日本の宰相が日本の土地で踏み入れては成らない土地が出来ること自体異常であろう。ましてそこは我々の祖先が眠る地である。最高裁も、津地鎮祭判決で明確に合憲判断を出している。
 最近、裁判所でも判決ではなく、傍論を使って違憲とする裁判例(最高裁ではない)が何個かでてるが、司法はこのような高度な政治問題に介入すべきではない。司法は政治化してはならない。判決が出たのに傍論で違憲と主張するなど一体何をしたいのか意味不明である。
 本当の戦犯は、面白半分に核を2個も落としたトルーマン大統領である。もしアメリカが敗戦したら、トルーマンは万死に値する大罪人と衆目一致であろう。大体、日本も原爆の研究がかなり進んでいたが、それをストップさせたのは、昭和大帝であられた。陛下の怒号とともに、研究はストップされたのだ。
 著者の言いたい事は舌足らずな面もあるが、歴史から見て概ね正しい内容といってよいだろう。ただし、靖国参拝の是非は今後慎重な検討を要する。
 もちろん、上記のような事情がある以上、本来靖国参拝は全く非の打ち所はない。ただ、現実にアメリカも反対しだしており、中韓に靖国問題を利用されている面もある。だからといって、国立追悼施設など噴飯モノである。それは作った瞬間、赤っ恥の「負の遺産」に成り果て、壊すに壊せず大恥をかくことになる。なぜなら、靖国は厳と存在しており、靖国の代わりは靖国しかないからである。
 日本の矜持を保持し、かつ米中の矛を(特に米)収めるには、結局A級戦犯分祀以外ない。そのためには、政治の要職から離れた大物が三顧の礼をとり国家の未来を説き平身低頭宮司に頼み込むしかない。無論、それでも神道上全く変化は無いから無駄という批判もあろう。しかし、その方が(つまりA級戦犯の魂はまだ靖国残っている方が)かえって日本人は嬉しいし、しかも中国も上げた拳を納めるしかなくなる。ここは一石2鳥とポジティブに捉えたい。そして日本人は、一糸乱れぬ死をもって国体(具体的には天皇制破壊の上、共和体制という国体破壊)を守り抜いてくれたA級戦犯の英霊たちに、今一度感謝の念を新たにし今一度国家の為に耐えてくれと謝罪することも忘れてはならない。
 本書は、新書版だが、高橋哲哉などという超反日極左の「靖国問題」とは比較にならない示唆的な内容を持っておりお勧めできる。

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「靖国問題」は、こう語らなくっちゃいけません。そんな、すがすがしい一冊。

2006/04/04 07:04

23人中、23人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

木下順二著「夕鶴」(昔話「鶴の恩返し」をみごとなシナリオにした作品)の中で、「つう」が「与ひょう」にこう語ります。
「分らない。あんたのいうことがなんにも分らない。さっきの人たちとおんなじだわ。口の動くのが見えるだけ。声が聞こえるだけ。だけど何をいってるんだか・・」。
昨年、何やら話題になった
高橋哲哉著「靖国問題」を、私は読めずにおりました。
「はじめに」で自称「哲学者の端くれ」の高橋哲哉さんの言葉に戸惑い躓(つまず)いたからです。「靖国神社」を知るためには「その歴史を知らなければならない」とわざわざ断わりながら、「私は歴史家ではなく・・本書の中心テーマはそこにはない」としております。しかも「靖国神社の歴史を踏まえながら」と念を押しております。わずか4行の文が、ちっとも論理的じゃない。これが近頃流行の有識者の論理なのかとガテンするくらいでした。
それでも「靖国問題」は、現実問題として横たわっております。
ちっとも解明されない、モヤモヤがずっと尾を引いておりました。
そのモヤモヤの間から、曙光がさしこんできたような魅力が
今回紹介する新書にはあるのです。
第一部では、戦時下で新聞がどれほど国策に協力して国民を煽ったか、昭和12年〜19年の朝日新聞を例に引用しております。
第二部では、靖国神社の「遊就館(ゆうしゅうかん)」を取り上げております。ここでは朝日新聞論説主幹・若宮啓文さんの感想を、上坂冬子さんの気持ちと比較して書きすすめており印象的です。
第三部では、2005年11月のNHK日曜討論の言葉を引用しながらはじまります。この三部までが、論を展開する滑走の場面です。ちょうど靖国問題という名の飛行機が空港を離陸する場面をひとつ引用してみます。
それは平成元年の教科書検定の内容を語る箇所でした。
「検定基準の社会科、二項の第四項目に、次のように書いてある。『四 近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること』
真実の探求に必要なのは正確な事実である。教科書の必須条件として正しい事実が書かれているべきなのはいうまでもない。第四項をすなおに読むと、教科書には事実を手加減して書けという事にならないか。【配慮】の名のもとに事実を曲げるもよし、場合によっては時期がくるまで事実は伏せろという事にもなりかねない。これは戦時中の論理だ。日本は大敗していたのに、大本営発表と前置きして『我が方の損害なし』と国民の士気に【配慮】しつつ事実を手加減して発表した、あのインチキ報道と同列である。・・こうまでして、基準値を下げて日本が近隣諸国への配慮をせねばならぬ理由が私には思い当たらない。自慢にもならないが日本は負けた国である。敗戦国としての裁きを受け、先方の言い分通り罪を負い、命を提供して償いを済ませて敗戦の無一物から、自力で難関を切り抜けてこんにちにいたった国である。どこに必要以上の配慮がいるものか。」(p47)
ここから、東京裁判・A級戦犯・パール博士・サンフランシスコ平和条約等へと上坂さんの視点が展開されて全部で第13部。
読後、私は第三部までが鮮やかな印象として再度浮かびました。
もっとも、この三部まで読めばあとはスラスラと空を飛び立ったような軽々と読了感がありました。
空を飛ぶといえば「夕鶴」の「つう」は、夫の「与ひょう」と、最後には、別れて鶴になって飛び立つのでした。
つう「与ひょう・・・からだを大事にしてね・・・いつまでもいつまでも元気でいてね・・・」

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靖国問題是か非か・・・の前に,戦時下の様子を知っておきたい

2006/10/25 09:09

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:問悶 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者は昭和5年に東京に生まれている。自民党本部前にある旧永田町小学校が母校であり,2年生の頃には南京陥落のニュースを聞いて提灯行列にも参加した。遺骨が校門の前をお通りになると聞いて,小学生一同整列してお出迎えもした・・・と過去を振り返る。その著者は,「靖国参拝の是か非かは無意味である」という明確な論点を持っている。
 著者の基本的な考え方は『戦争を知らない世代が80%を占める時代である。戦争も,戦時下の緊張も,靖国神社が戦時下で果たした役割も,まったく知らない人が圧倒的多数を占めているときに,参拝を続けた方がいいか,悪いのかと問いかけることにどれだけの意味があるのか』というもので,『靖国神社に一度も参拝したことが無く,所在地さえ知らないという人が増えてきた昨今,近隣諸国の人々が首相の靖国参拝に抗議しているときけば,他人の嫌がることは避けた方がいいという単純な日本的道徳律で「止めた方がいい」と答える人は多いに決まっている』と続けている。靖国問題を語る前に,靖国神社がかつての日本人にとってどのような存在であったかを十分に知らなければ,心情的にも論理的にも話しがかみ合うはずがないと示唆する。議論に予備知識は必要だ。これには,「靖国問題,是か非か」ということとは全く関係なく納得できる。
 靖国問題では,『戦犯合祀』や『戦争責任』に関しても議論が苦しくなるのだが,興味深い所は『マッカーサー回想記(原文)』である。日本が戦争に至った経緯に関して,あのマッカーサーまでもが日本を擁護し,自らが戦時中の日本首脳部を公職追放令によって一掃したことへの「いいわけ」とも「反省」ともとれる箇所が掲載されている。日本が悪かったのではないというニュアンスが感じられる。また,後半で述べられている「靖国問題決着のために」では,「どうしても追悼施設を建てたいのであれば硫黄島に」という彼女なりのスタンスで結論づけており,靖国問題に一石を投じる内容であろう。
 「靖国で会おう」と言って,若人が戦地に向かった時代の背景は複雑である。そのような中を実際に生きてきた著者が,当時の状況を『新聞記事』を中心に,『愛国いろはカルタ』『少国民愛国歌』・・・など様々な資料をもとに,現代に伝えようとしている。その情報は非常に多面的・多角的であり,当時の様子や国民の心情をよくとらえている。靖国を語るために必要な知識は十分に得られるし,靖国を語るためでなくとも,戦時下の様子を知るには非常によい一冊である。

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しっかりした参考書を作ろう!

2006/11/23 20:13

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る

靖国問題は多層なフェイズを持っているため、私自身結論を出しかねている。そのため、明治維新以降の歴史を扱った本を積極的に読むようにしているが、昭和の戦争に関してはまだまだ評価の定まっていないことも多く、どれを信じるべきか迷わされる。

 現在までに整理していかなくてはならないと感じた点・意見を書き出してみると。

 (1)極東裁判と戦争責任をどう見るか。

 A級戦犯と日本側が考える戦争責任者は違うはずである。極東裁判自体に問題があるうえに、アメリカの都合により途中から刑の執行が、行われていないのも問題である。いま問題とされているのは、靖国招魂が焦点のため刑が執行されたA級戦犯だけのようであるが、戦犯指名を受けたにもかかわらず無罪放免になったメンバーも多数いるわけで、そのことに対して他国が非難しないのは、非難しない側の矛盾である。(いずれにしても非難する権利はないと思うが)
 しかし、日本側から見て戦争責任があるメンバーが、A級戦犯指名者を含め他にも靖国神社に祭られているわけで、それを首相がありがたくお参りするというのは納得できない。日本としては、先の対戦に関して誰にどのような責任があるのか『検証戦争責任』のように検証する必要があると思う。だから、A級戦犯が祭られているから、靖国参拝が悪いのではなく、日本としての判断を定めなければ、話は東京裁判に戻っていってしまう。この点で著者の「いまになって、日本人による日本の責任追及を手掛けるというのは、どだい無茶な注文だということが分かっていない。」(p.80)という意見には、疑問を覚える。また、いまになるまで放置してきたのは、著者の世代の責任ではないのかと思う。

 (2)他国の内政問題を解決できるか

 現在の日本・中国・韓国の間での応酬の根本には、各国の内政問題がある。中国・韓国においては国内をまとめるために、反日を利用あるいは容認している。日本は、自国内の反日に振り回されている。反日は感情である。中国・韓国は感情を利用しているのであり、日本は利用されるような素地を温存している。もしこの問題が解決するとしたら、中国・韓国が内政問題を解決するか、反日感情の利用が国益に反すると判断した時、日本が大枠の国論として先の大戦に関する謝罪と補償は終わった一致するのいずれかでしかない。ならば、著者のように中国・韓国に対して声明書を出すことより、国内において史実の認識を徹底することが有効である。そのために、高校で日本史を必修にすることだ。近隣諸国が文句を言うだろうから、教科書になど細かいことは書かなくていい。授業時に、これを読んでみなさいと言える史実を知り考えることのできる参考書があればよい。

 (3)訂正を求める外交はできないか

 著者の提案するような概括的な声明書では、感情論的水掛け論議が続くだけだ。そこで、史実については毅然と訂正を求めるキャンペーンを行い、相手国に申し入れてはどうか。南京虐殺にしても国際法違反行為があったことと犠牲者の規模や使用写真の話は別であり、中国に訂正するよう強く申し入れるべきだ。記念館を訪れる日本人の感情を傷つけるだけでなく、そこを訪れる世界中の人々に誤解を与えるのだから。靖国・教科書を論う中国がそれを内政干渉だとは言えないだろう。言ってきたら、こちらも両国の教科書について訂正要求を先行させればよい。

 この本は、最低限の史実を確認する上で役立つ。若い人に是非読んでほしい。しかし、国民一人一人が自分の意見を形成し、確信を持って主張するに至るには、さらに詳しい史実の検証と現在の国際情勢の把握が必要だと感じる。国論を感情論に走らせないことが肝要である。

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独断に満ちた偏見の書「戦争を知らない人のための靖国問題」を読んで

2006/05/20 17:36

19人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:pierre - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は上坂冬子氏の偏見に満ちた独断の書であると言わざるを得ない。
〈やはり「二度と戦争はイヤだ」〉
 著者は最初にこう書いている。「『二度と戦争はイヤだ』とあっさりいってのけることにウソがある」(p.32)。それこそ著者の独断である。私は父を戦争で失った遺族の1人であるが、「二度と戦争はイヤだ」というのは真実の心の声なのだ。著者が本当にそう思っているとしたら、よほど戦争でいい思いをしたのだろうか。
〈遊就館が「かけがえない」か〉
 著者は、遊就館が「かけがえない」として、そこに展示されている零戦について「当時の技術水準を察しつつ貴重な遺産だと感じ入った」(p.40)と言う。零戦を「貴重な遺産」ということそれ自体に異論はないが、問題はあの遊就館の持っている戦争観である。遊就館はそのホームページの冒頭で「近代国家成立のため、我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました」と書いて、近代化以降の日本が外国と戦った戦争を完全に肯定しているではないか。だから零戦はそういう戦争に大きな役割を果たした、1つの成果として誇示されているのだ。この展示スタンスでは、ヨーロッパの博物館にギロチンが展示されているのはまったく意味が違うではないか。
 また著者は、遊就館に零戦が並んでいるからといって軍国主義復活という論理は通用しないと言い、その論拠として「当時の日本には…国家として戦争を行う権利…が認められており、戦う自由が保障されていた」(p.42)と書いている。しかし日本は1929年に「パリ不戦条約」を批准し、「國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコト」(同第1条)を約束していたにもかかわらず、そのわずか2年後に満州事変を起こして、それを破っているのである。だから、遊就館で零戦を見れば、それがそういう当時の日本の侵略主義を裏づけるものと理解するのは、むしろ当然ではないか。
〈誰が国策を決めたのか〉
 「戦犯者は…国策に従って行動し国に忠誠を尽くし、たまたま執行しました公務のある事項が、不幸にして敵の手によって…生命を奪われた方々であります」(青柳一郎、p.128)と言うが、その「国策」は誰が決め、誰が執行を命じたのか。A級戦犯はみな「国策」の決定に参画しその執行を命令する立場にいたのではないか。日清・日露はさておいても、満州事変以降の対外戦争は明らかに誤った「国策」の結果であり、それによって類のない最悪の厄災に国民もアジアの多くの民衆も襲われたのである。その責任は一にこれらの「国策」を決めた当時の権力者たちにあることは論を待たない。したがって東京裁判の正当性がいかに疑われようとも、少なくともA級戦犯として刑を受けた人たちはこの過ちの責任は免れず、戦後60年を経過しても依然として彼らが被害を受けた国民、アジア諸国の人たちの非難の対象になるのは至極当然のことなのである。それは彼らの傷がいまだ癒えてないからである。
〈遺族の1人として〉
 最後に遺族の1人として言いたい。戦争の痛みはいくら戦没者を「英霊」にしたところで癒えるものではない。まして多数の無辜の民をとんでもない災厄に引きずり込んだ責任者たちを「英霊」として顕彰するから、一層話がおかしくなる。だからそういう誤魔化しから一日も早く訣別することを、衷心から希求して止まないのである。

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2006/10/25 01:00

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2007/01/13 15:46

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2007/06/01 00:29

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2008/03/18 13:26

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2009/11/19 00:32

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2010/07/27 22:56

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