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セーラームーンまでの戦う女の子アニメの系譜を精神科医が探る。
だれ徳な話が多いけど、後半の系図や分類は見事。
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表紙に惹かれて買ってみたが、なかなかむつかしく、読み進めるのにとても時間がかかった。
「オタク文化」そして著者が前提として用いる「哲学界の常識(ex.ラカン)」についてなどの基盤となる知識が足りなかったためだろう。
評価できるほど、咀嚼し反芻できていない、というのが正直な感想。
(以下は気になった部分の抜粋)
日本では女性のアイデンティティが曖昧で限定されている。少女が自分自身や彼女の愛する人を守るという、発想は、日本の少女たちにとって価値がある。
女性は男性が望ましいとする少女のあり方から抜け出し、彼女たち自身の性的自由を宣言しなければならない。性的に成熟し、自らの外見やセクシュアリティをコントロールできるキャラクターは女性の自立のもう一つの形である。
P316
綾波レイの空虚さは、おそらく戦う少女すべてに共通する空虚さの象徴ではないか。存在の無根拠、外傷の欠如、動機の欠如…。彼女はその空虚さ故に、虚構世界を永遠の住処とすることができる。「無根拠であること」こそが、漫画アニメという徹底した虚構空間の中では逆説的なリアリティを発生させるのだ。
描かれた金銭、描かれた権力、そうしたものがわれわれの欲望を歓喜することはない。しかし描かれた裸体となると話は別だ。ネコジャラシに飛びつく猫を笑えないほど、その反応は確実だ。
ファリックガールは自らの性的魅力について無自覚、無関心である。言い換えるなら無関心でありながらも性的魅力を発揮せずにはいられない。こうした無関心さとそれを裏切る誘惑的な表層とのギャップは、ヒステリー最大の特徴である。無関心さ、例えば無垢かつ、天真爛漫な、振る舞いこそが最大の誘惑となりうること。
決して到達できない欲望(物語の中に存在する彼女と性行為を持つこと)の対象であるからこそ、彼女の特権的な地位が成立するということ。
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難しかった。結論部分と思われる第六章が特に一読しただけでは意味をとりきれない記述が多く、苦労しました。斉藤先生もこの本を書いたのはまだ作家として駆け出しの頃で、ちょっと難しく書きすぎた、今ならもうちょっと分かりやすく書けるよ、と言っておりました。笑
西欧との比較文化論的に読んでも面白いと思います。
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前半は割と読みやすい。紹介されてるアニメの殆どを知らないかチラッとみた程度で、そこそこアニメ好きだと思ってたけど意外と自分はアニメファンじゃないらしいと気付いた。
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積読をようやく消化
ファリック・マザーとファリック・ガールズの対比はおもしろかった
それ以外は正直よくわからんかった
ラカンなどを勉強してから読み直す
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[ 内容 ]
ナウシカ、セーラームーン、綾波レイ…日本の漫画・アニメには「戦う少女」のイメージが溢れている。
筋肉質なアマゾネス系女戦士とは全く異なり、「トラウマ」を持たない可憐で無垢な戦闘美少女。
この特殊な存在は、果たして日本文化のみに見られる現象なのか。
彼女たち「ファリック・ガールズ」の特性と、それを愛好する「おたく」の心理的特性を、セクシュアリティの視角から徹底的に分析する。
[ 目次 ]
第1章 「おたく」の精神病理
第2章 「おたく」からの手紙
第3章 海外戦闘美少女事情
第4章 ヘンリー・ダーガーの奇妙な王国
第5章 戦闘美少女の系譜
第6章 ファリック・ガールズが生成する
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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すごく納得できるところもあったし、それはどうかなあという部分もあった。納得できたのは、ファリック・ガールズの生成理由(虚構に性を持ちこむことで生じるリアリティの演出と、その性を当事者として、また俯瞰した姿勢の両方で楽しむオタクの嗜好性)と、オタクの「熱狂」がどこか冷めている理由。
あと、マニアとオタクの違い。(マニアは物質を愛し、オタクは虚構を愛す)
ファリック・ガールズたちは何故戦うか? という疑問には、ちょっと濁した答えになってるなーと思った。あとがきの人も言ってるけど。
じゃあ戦闘美少女がなぜ戦うか? というと、個人的には、彼女たちという虚構が、敵という現実に虐げられるために戦うのかなあと思う。で、オタクはその客観性でもって、そのさまを楽しんでいるのかなと。
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正直精神分析がよく分からなくて、後半はさっぱりだった
前半はネタとしては面白いけど後半とのつながりがいまいち分からなかった
何となく萌えは一種禅の境地か胡蝶の夢の様に思えた
ただ途中の戦闘美少女が巫女的な存在で、異界を宿すがゆえにどこか空虚で、かつ特殊な力があるというのは成る程と思った
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精神科医 斎藤環氏によるオタク分析論です。数あるオタク論に関する書籍の中でも初期に発表されたものです。タイトルには「戦闘美少女」とありますが、あくまで二次元の美少女を愛する事のできるオタクについて精神分析しています。さすがに2000年に書かれたものなので、オタクや二次元作品への認識なども含め状況が変わった部分が多いので、オタク分析の古典として読むのが良いと思います。単行本の時の表紙の方が攻めててかっこよかったのにな。
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単行本が2000年刊行、文庫化が2006年ということで、テーマとしても論考としても、まだまだ「ぬかるみ」の領域を出ていない感がある(そのことを解説で東浩紀も指摘している)。アーカイブ的に「こんな意見があった」という読み方にとどめておくのが良いか。
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20年以上前に書かれた「オタク解読本」。
しかし、内容自体は今読んでも面白い。特にヘンリー・ダーガーと絡めた話は納得できる内容だ。
また、オタクの美少女キャラへの距離感を端的に表した『おたくたるもの、キャラクターへの偶像視は芸風の範囲内でスマートにこなるべきものなのだ。』という文はオタクなら一発で理解できるが、これが理解できないがために非オタクに性的搾取とか言われるんだろーなと思った。
現在だと出せないタイプの本かなとも思う。理由はオタク人口が増えすぎて大まかな精神分析が成り立たないこと。そういう意味でも一読の価値はまだあるのではないかと思う。