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ジャケ買いした笑 すごく素敵(で皮肉な)なタイトルと表紙。と思ったら内容も相当面白かった。「正しさ」に意味があるか?いや、ない!とイラチな作者が思うがままに考えを示してくれる。
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どきっとするぐらい痛烈に、日本人を解剖してくれている。
曖昧だった事象が次々と結びついて考えの扉を開かれるような思いがする。ひねくれたようで大人の思考法が展開する。一見どうでもよさそうな話が、読んでいるうちにいつの間にか自分の中で不明解だった事象と結びつき、「あ、そうだったんだ」とひらめきが起こる。もの凄く為になる一冊。
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、『「大人文化の専門家」による「敵情視察レポート」としてお若い方々にお読みいただけたらと思う、らしい。っていうか、買わなくてもウェブで読めるらしい。内田樹って面白いと思うんだけどなあ。
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内田まとめ本。中身もさることながら長めの前書きが面白い。今回も、いくつか常識だと思っていたことがただの思い込みであると思い知らされる。大上段にかまえたりしないから、飲み込めるやね。
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サブゼミ発表でも参考にさせてもらいました。よくよく今後も考えねばならないポイントが詰まっています。濃いです。もう一度読み返して、咀嚼していきたいと思います。
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言ってることはいちいち正しいと思うけど、そこからどう進んだらいいかということに関してはどうも明快でない。
アカデミックな厳密さを求める人が批判するところはその辺りなのかも。
軽く読んで、しばし考える分にはいいと思う。この本に限らず内田樹の本の大体に言えることだけど。
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内田先生の著作は、
何百回と繰り返し読んでしまう。
文系の人間は、
つまらないことにも理由を付けて納得したがる。
そんな私を納得させるスゴイお方。
大人になりかけの私が、
大人になるのが楽しみになるような、
読んだあとにはおおらかになれます。
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ゼミの課題。
くそつまらんと思って途中で投げてました。
が春休みにふと読んだらおもしろくて
すんませんって感じでした。
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第2章の「大人の思考法」が特に面白かった。まぁ、全体を通して以前読んだ『ためらいの倫理学』と然程大差無いようにも思うけど。とりあえず読んで損の無い1冊である事は確からしい。
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以前読んでた本で理解できなかったことがあり, もやもやとした気分が続いていたが, この本を読んでその理由が分かった.
それは, 本というのは著者と同じ意見を持つ読者だけを対象としているから.
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人の指す将棋を見てると大局が良くわかったりする。
もしくは、
全身鏡を持つと服のセンスがちょっと良くなるって言われてる(ほんまかいな)
全体のバランスが分かるのかもしれない。
この本も同様。
物事を当事者であっても俯瞰的に見てるような、そんな視線を感じる。
あとがきにも書かれているが、この本である問題がクリアーになるわけではない。
「問題なり、周りの環境なり、モヤモヤしたものはそのままモヤモヤしててもいいんじゃないか」
という見方は、ずいぶん私を楽にしてくれた。
話を複雑なままにしておく方が、話を簡単にするより「話が早い」
これに尽きますよ。
若者向けに書かれた「大人の思考とは」って本らしいが、世間からは大人と見られる私でも大変勉強?励み?になりました。
ハイ。
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とても 言葉の整理がうまい人だな。
身近なことから国際問題まで判りやすく意見が述べられていて、それでいてこちら側に考える余地を与えてくれるので気持ちよく読める。
なにがどういいか、と中身を説明するのは難しい。
私は言葉の整理が下手なんだ。
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「節度のなさ」か。
いい言葉ですね。
「一緒にいて疲れる人」っています。
なぜ疲れるかって、本人に
直接言っても届かないんですね。
(この間実際に伝えてみたけど)
「呪いのコミュニケーション」という
題で書かれています。
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やっぱりおもしろい内田樹。
多様な価値観の選択が可能になっているのに、
構造や制度がそれに追いついていない。
同一特徴集団の中での帰属感によるアイデンティティ確立。
他の価値観を排除してしまうから、コミュニティを離れるとアイデンティティを失うんだ。
大事なのは「弱い敵」つまり自分とは異なる他者を認めること。
「『愛している』は私の中にすでに存在するある種の感情を形容する言葉ではなくて、その言葉を口にするまではそこになかったものを創造する言葉」
「大切なのは『言葉そのものが聞き手に届いてそこから何か始まる』こと。論理的で首尾一貫していることよりも」
「市民として正しいく振舞うというのは、ほとんどの場合『不快』に耐えるということ。私人としては不愉快でも、市民としてはその矛盾に耐えなくてはならない」
「排他性が彼らの共生感を担保している」
「マンガの中には、ある時代に固有なもの、言い換えれば、その時代が過ぎてしまうと消えてしまい、別の時代の読者に含意が通じないものは書き込んでいけない。という不文律があった。それが江口寿士によって崩れた」
「自らの位置を知るために、もっぱら、同学齢集団を参照にし、年齢が上下に離れている人々は『競争』の対象として意識されない。=偏差値」
「人間の多面的な活動を統合する単一で中枢的な自我がなくてはすまされないという考えが支配的になったのは、ごく最近のこと。内面とかほんとうの私とかというのは近代的な概念である」
「魔が差した というのは潜在的欲望を、本人の同意のもとで顕在化させただけ」
「自分の考え方で考えるのを停止させて、他人の考え方に想像的に同調することのできる能力、これを論理性と呼ぶ」
「ある時間のためにいくら時間を割いて、どれほどエネルギーを注いでも、まったく苦にならないで、それに従事している時間がすみずみまで発見と歓喜に満たされているような活動が自分にとってなんであるかを知っていて、それをためらわず選び取る人間が才能のある人間」
「有用な幻想は役に立つ」
「」「」「」「」
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この人の本は、「今読まなきゃ。」と思い読んでいる。
「賞味期限内」と言う言い方をしていたけれども。
「今読まなきゃということは、読んでもピンと来ない日が来るってことだ。」
ということを何となく感じてる自分に、こう
(なんで私の思ってることに対して説明してくれてるわけ?)
と多少ビビりながら読んでいます。
なんだろう、樹さんの本を読んでいると、(大層な言い方をしてますねw)
自分の頭の悪さを痛感するんですが、
そう思える人の本を読まないと、頭は悪いままだ…
というやるせなさから読んでる気もします。
そうやって、少しずつ思考の階層を深めていくことをしないと
自分が気持ち悪い。
対等にやりあえるほど知識や理論の楯をもっておらぬので、
そういう人を見つけると
飽きるまで読みます。
それで「違う」ことを発見します。
それが例え枝葉末節に過ぎないとしても、
それで何か、安心するのです。
馬鹿が揚げ足を取るような真似をしているに過ぎませんが
100%この人を信仰しているわけではない自分を見つけて、
解放されたいと、願う故でしょうか。
いいのか悪いのか分かりませんが、
せめてそう思えるくらいに自分の見聞を広げられるよう
「知りたい」と願うのだと思います。
しかしながらですね、著者の見聞が広すぎて
しばらく解放される日はきそうもないですねw
「解放」って響きが悪いけれど
樹さん、おもしろいです。まだ、たくさん、読んで知りたい、っていう段階。