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みんなのレビュー91件

みんなの評価3.9

評価内訳

91 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

叶えられた祈り

2006/08/28 07:27

7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:稲葉 芳明 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 その全著作を読んでいるファンの一人として率直に感想を言わせて頂くと、この新作は北村氏の最高傑作の一つだと思う。
 学生時代から仲が良く、それぞれ社会人となって(家庭を持つようになって)も親密な友人関係を保っている、三人の女性を中心に物語は進む。北村氏の小説・エッセイは概して、話が一直線に進むというよりは、あちらこちらとたっぷり寄り道をしながら展開していくことが多いが、本書も正にそうで、随所に挿入される個々のエピソードや会話が実に味わい深く、小説を読むことの楽しさを味わわせてくれる。

 物語は次第に、女性アナウンサーである千波(ちなみ)に絞られてくるのだが、そこからの展開は、胸をしめつけるような切なさに溢れている。
 とは言っても、北村氏の作品は凡百のメロドラマとは格が違う。作中人物が感情を垂れ流しにしたり、強引な設定で読者に感動を押し付けるような真似はしない。「セカチュー」に代表される、呆れるほどの単純さと初心な世界観の対極であり、個々の人物のストイックな描写によって、生きることのせつなさと哀しさと美しさを語っていく。各々の登場人物が歩んできた人生の重さと尊さを感じ取らせる。円紫さんシリーズの『秋の花』や、『スキップ』に感銘を受けた読者なら、必ずやこの物語にも没入することと思う。
 第十章で、作中人物がこんな言葉を述べている:「人が生きていく時、力になるのは何かっていうと、——《自分が生きていることを、切実に願う誰かが、いるかどうか》だと思うんだ。——人間は風船みたいで、誰かのそういう願いが、やっと自分を地上に繋ぎ止めてくれる」 「人が生きる」ということ、例え思い半ばにして何かを断念しなければならない場合であっても、「人が生きること」には大きな、美しい意味がある——この一見手垢にまみれたようなテーゼを、北村氏は実に瑞々しく語ってくれている。
 シリアスで、切ない物語ではあるけれど、読後感はとても清々しい。それは——カポーティのタイトルを拝借すれば——『叶えられた祈り』の物語に昇華しているからであろう。

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紙の本

「日常の謎」派の行き着く先

2007/12/26 23:40

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 拝啓 北村薫様。話題の本書を遅ればせながら読了いたしました。残念なことに、直木賞こそ逃されましたが、本書には多くの好意的な評を得ただけではなく、最近になってドラマ化もされ、改めて読者を着実に増やしているのではないでしょうか。「涙という言葉も使うまい」と付記に記されたように、ここ数年来の「お涙頂戴」ブームにのったかのように見えて、それに一石を投じる、というスタンスが理解されることと存じます。
 ところで、その「一石」とはどのようなものであったのでしょう。「読者には誤読の権利がある」というお言葉に甘えて、私なりに一言でまとめれば、人の生き死にに関わることであっても日常を描くことにこだわる、ということに尽きましょう。本書を手にとった人の中には、筆致があまりに淡々としていること、日常生活についての丁寧な記述にかえって驚いた人もいたのではないでしょうか。これから人が死のうというストーリーなのに「サバの味噌煮」についても書かれているわけですから(「サバの味噌煮では、泣けないではないか」という苦情がなかったことを祈ります。笑)。
 人というものは勝手なもので、死に特別な意味付けや劇的なストーリーを求めたりすることが多いようです。実際には、死ぬまで日常を生き続けるしかないのですから、それを描き続けることこそが、作家にとっても当然の義務なのだというご覚悟かと推察いたしました。また、章によって語り手が変わっているのは、人の死でさえ、その受け止め方は人それぞれの日常の中から出られるものではない、というごく当たり前の事実をも明らかにされているわけです。もちろん、当事者の日常だけを綴って息詰まる雰囲気になるのを避けられたのかもしれません。
 ところで、この「章によって語り手が変わる」という構成のため、主人公と思しき千波の語りが少ないこと、すなわち彼女の心情の記述が実は意外に少ないことにあらためて気がつきました。彼女の心情に迫るには、限られた日常の言動と、彼女をとりまく人の見方から推察するしかなく、読みながら「もっと語りたいことがあったのではないか」というもどかしい思いがしたものです。しかし、これこそ「他者が人の心をどこまで理解できるのか」という氏自身の切実な問いではないかということに思い至った次第です。そうは容易く「理解した」などとはいえないわけです。ましてや、「泣ける」ものでもないのですね。そうです、この「人の心」こそが最大の謎なのです。そうした意味では、本書も「日常の謎」ミステリーの(突き詰めた)延長の1冊なのだといえましょう。そこまで思い至って安心して本書を閉じることができました。
 これからの益々のご活躍をお祈り申し上げます。  敬具

追伸:最新刊『1950年のバックトス』に載せられていた本書の牧子の後日談もさっそく拝読いたしました。

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紙の本

『秋の花』と響きあう物語------《一所懸命》はどこに残るか。

2006/08/02 18:28

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:相楽知幸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

物語も中盤の第三章「道路標識」以降、《一所懸命》という言葉が繰り返し出てきます。
------尊敬する父、類の言葉を受け止めようとする玲の姿の表現として。
------美々と類の夫婦が、父を慕う娘=玲の心を語る言葉として。
------牧子が類に語った、彼の写真に見入る親友・千波の姿を示す表現として。
------千波が類に、自らの病を宣告された時の思いを語る言葉として。
------鴨足屋良秋が初めて自分で考えて出した企画、千波が彼にとって忘れられない存在になるきっかけになったものについて書いた手紙の中に。
* * *
若き日の屈辱を胸に、二十年以上、病も寄せ付けずに誇りを持って仕事を続けてきた千波。
その心に秘めた目標が正に現実のものになろうととした時、その未来は唐突に奪われます。
------これまで《一所懸命》に生きてきて、これからもそう生きていこうとしていた人。その生が明日を失った時、その美しい人の《一所懸命》はどこに残るのか。
読者の中に自然に生まれるこの叫びは、『秋の花』の《私》が円紫さんに投げかけた疑問、「明日輝くような何かをしようと思った、その明日が消えてしまったら、どうなのですか。その人の《生きた》ということはどこに残るのです」 と重なります。
その答えもまた、『秋の花』のそれと響きあう。------思い出が残る。同じく《一所懸命》に生き、彼女と触れ合い、彼女が《生きていて欲しい》と心から願い、支えた人の中に。
真理子が明日へと向けた《きっと》という清冽な思い。
千波がその胸に棘が刺さった時から抱き続けた思いと、重ねていった《時》の重み。
北村薫はそうして宝石のような輝ける意志を描いた上で、そうした美しいものが、花開かないまま終わることもあることを示します。
そして、彼らに餞(はなむけ)を贈り、《それでも》その意志には意味があると謳うのです。
* * *
《子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯くのごときか。晝夜を舍かず。》
玲が大学受験の出題で出逢った「川上の嘆」。「昼も夜も休みなく、川は流れ続ける」。
ひとがたは思いを乗せ、消えない記憶を残し、《時》という川を流れていく。

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紙の本

一つの「形」から生まれるもの

2006/12/09 08:54

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:リッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る

朝日新聞の夕刊に2005年8月20日〜2006年3月23日の期間連載されていた『ひとがた流し』。
間違いなく、作家 北村薫の一つの到達点といえる作品です。
 
連載直前の8月15日、作者の北村さんは紙面上に次のような文章を寄せています。
 
「どうにもならない障害があるため愛が一層輝くーといった物語は数多くあります。そういう「形」を、読者の涙を絞るためのあざといものと眉をひそめる人も、多いと思います。ところが、そうした人間関係の「形」も、現実には泣けるだけのものではありません。そんなところを見つめながら、書き始めようと思っています」
 
これが、本作を描く上での北村さんのひとつの決意だったのでしょうね。
純愛・感動物のブームで、あまりにも安易に読者の涙を搾り取ろうとするような作品が存在する今だからこそ、この“人間関係の「形」”通りの中で何を描けるか、真っ向から挑戦したのでしょう。
この決意は、本文p. 113から始まる類から玲への言葉の中にも感じられます。
 
それゆえ、本作のストーリーは特別なものではありません。
まさに一つの「形」通り。
 
しかし、そこに描かれるものは決して平凡ではない。
“北村印”の美しい言葉によって丁寧に紡がれていく世界を読み進めるにつれ、私たち読者は、確かにそこに存在する「生」を感じるはずです。
二つと同じものは存在しない、二度と繰り返されることのない、かけがえのない「時」を。
そして、「人が生きていく」という意味を。
 
「形」通りという決意、付記に記しているように>という言葉を使わないという決意、
その上で生み出されたこの物語が、なんと切なくも暖かいことか!
平凡に見える日常の中に、どれほどの輝きが秘められていることか!
 
2006年、いろいろな本を読みましたが、やはりこの作品が最も感動し、印象に残っています。
これから>を食べ、ふと思い出すたびに、読み返していくだろうなぁ。

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紙の本

人は涙の向うに歩いていく、時に嗚咽し、蹲り、躊躇い、思い出し、懐かしみ、忘れることもある。涙の向うには日々の生活が待っている。私はそういう思いで読みました、泣かないぞ、泣くもんか

2006/08/18 15:36

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

このタイトルを見たとき、「北村薫、やる気だな」って思いました。何が、って「涙狙い」。ま、北村のことですからそんなわざとらしいことはしないでしょうが、でも大きくいえばその路線だろうなって。例えば、私が新幹線のなかで涙が止まらなくて困った『スキップ』、或は、お姉さんの慟哭が私を飲み込んでしまう『夜の蝉』。あの線かな、って。
そして話はこんな風に始ります。
「トムさん」
千波に、こう呼びかけて来る相手は、ごく限られている。
「おう」
「わたし、わたしだけど」
「誰だ、詐欺師か」
あははと笑い
「そういえばさあ、日高さんちの玲ちゃん」
「うん」
電話で話をしているのはテレビ局でアナウンサーをしているトムさんこと石川千波と、幼なじみである水沢牧子です。この会話から勝手に二人を40歳を迎える、昔の恋人同士、現在は気の置けない友だち、と思うわけです。
ま、これは早々に軌道修正を余儀なくされるのですが、この微妙な違和感はいかにも面白く、北村に乗せられたかな、と思ったほどです。千波について言えば、実は女子アナです。しかも四月からは抜擢されて局始って以来初のメインアナウンサーを任せられることが決まったばかりです。ちなみに(しゃれではありません!)彼女は未婚です。
で千波には二人の幼なじみがいます。一人は、離婚をして今は高校生の娘さきと二人きりで過ごしている牧子です。トムと牧子は小学生の時の同級生で、高校生になって再会、そして大学が一緒で、その後、家も近いことがわかって、ずっと付き合っています。さきは千波の飼い猫であるギンジローの世話を偶にしたりと、母子での付き合いです。
もう一人の友人である日高美々は、カメラマンである類と結婚し、今も幸福な家庭生活を送っています。娘の玲は大学生ですが、父親の類が誰よりも好きで、彼に見てもらうのが楽しみなのでしょう、自分でも写真部に所属し自ら写真をとったりしています。勿論、千波との付き合いもあります。
そして、牧子に誘われて人間ドックに入った千波に病気が見つかります。ま、あとは読んでください。簡潔な、それでいて潤いのある文章が、一人の人間の、彼女を取り巻く幼なじみの、そして彼らの家族たちの思いを、願いを、祈りを、愛情を、思いでを紡ぎだします。
文は一度として大げさな詠嘆になることはありません。むしろ、粛々と、といったほうが正しいような描き方です。ですから、読みながら目の前の活字が流れそうになることはあっても、読者に「そこで泣かないで、泣かないで堪えて、先を読んで、そしてもっと未来を見て」とブレーキをかける気配があります。それが、結末の静けさになります。
あとがきで北村は
「また、登場人物の流すものとしては《涙》という言葉を使うまいと思った。これらの単語を書かないのを、わたしは逃げと思わない。それは、わたしにとって、物語の一つの要素でもある《祈り》に近いものである。」と書きます。
単純に彼は涙を否定するわけではありません。『スキップ』では、涙の向こうに女子高生の潔い決意がありました。『夜の蝉』には、夏の熱気にも負けない姉妹の愛がありました。この『ひとがた流し』にあるのは、一言でいえば友情かもしれません。
でも、もっとも大切なのは、その哀しみの向こうには再び日々の生活がある、そういうことだと思います。そのなかで、悲しみは記憶に変り、時に色あせ、時に甦る。人々の心の中で様々に変容しながら、あるべきところに落ち着いていく。忘れられることも、決して嘆かわしいだけのことではありません。
前後して嶽本野ばら『ハピネス』を読みましたが、似た印象を受けました。泣けない人間は好きになれませんが、泣くだけが人間であるかのように叫ぶ風潮は、「愛こそすべて」という言葉同様、薄っぺらなものです。そろそろ涙を卒業するときが来ているのではないでしょうか。

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やさしい時間の凝縮

2006/07/18 15:01

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:紗螺 - この投稿者のレビュー一覧を見る

昔馴染みの友人、千波、牧子、美々の三人の物語—かと思いきや、視点人物は牧子の娘だったり美々の夫だったりする。そのことに、最初は戸惑いを覚えたが、実はそれが物語に深みを与えている。個々の人物の過去や悩みをすくいあげながら、それでも確かに浮かび上がるのは三人の女性の友情というタペストリー。ただしそれは決して押し付けがましくない形で描かれる。そのために視点人物を三人の女性に限っていないのではないかと思う。牧子の娘・さきが牧子に身体検査をするように勧めたことが結果としては千波の病気発覚につながるー、というのも、美々の夫が美々の娘の実の父親でないという問題がクローズアップされるのも、付録などではなく三人の女性の今を描き、同時に過去をたぐっていく役を果たしているのだろう。
何と言ったらいいのだろう。とても綺麗、だけでは表面的な気がする。実際綺麗な物語なのだが。それでは切ない?—それも、少しちがう。そう感じるところもあるけれど。それよりも、むしろ、「あたたかい」。そう、そのあたたかさを感じたくてもう一度本を手に取ってしまう。一読した後どうしても再び本を開きたくなってしまう北村薫のマジックは健在である。

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2006/08/25 21:01

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2006/08/27 17:31

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2007/06/03 21:06

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2006/10/11 00:45

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2007/02/15 21:06

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