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紙の本
池田氏は外科タイプ?
2008/06/19 09:18
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
科学の問題点を分かりやすく説明する科学者、として池内了さんと池田清彦さんを比較していた書評が先日ありました。なるほど、と思いました。確かにこのお二人は一般向けの科学の本をたくさん著しておいでです。よい折ですので、私も一寸乗っからせていただき、お二人の違いについて感じたことなど、書かせてもらいます。
前掲の書評では、本書と「科学の考え方・学び方」
を、池内・池田両氏の初期の著書として比較に挙げておられました。どちらも「若い人に科学を説く」本として(池田さんの著書も旧版はちくまプリマーブックス)出版されたもの。両氏の年齢(池内1944、池田1947生まれ)も、出版年もあまりかけ離れていないところも、比較するのにはよい2冊でしょう。
この2冊、文体はかなり異なる印象です。池内さんの方は岩波ジュニア新書らしいやさしい文章。池田さんの方はもっと大人向けの印象がする歯ごたえのある文体で、内容もかなり哲学色が濃い。大人向けのちくま文庫としての改版になったのもうなづけます。若者向けでも力を抜かないあたりも池田さんらしいところかも。(本書の内容紹介は、前掲の書評などをお読みください。)
両氏の科学に対するスタンスも確かにかなり違います。最近の著書にも、その違いは続いていますね。ずばずばと問題点を指摘し、切り開き、切り捨てていくタイプの池田氏。本書の後半にはそれがよく出ています。特に政治や経済と結びついた場合の科学の現れ方について、池田氏はかなり攻撃的です。新しいところの著書、「環境問題のウソ」などにもそれがよくでていると思います。
池内氏の方は、問題点をじっくり観察し、自らも悩みながら科学自身の中からの変化を待つ姿勢、とでもいいましょうか。それでよくなるだろうか?と頼りなく思われるかもしれないようなところもあるかもしれません。
医者にたとえるなら、外科と内科のような違いでしょうか。池田さんの容赦なく切り込んでくる断言のメスは、受け止めるには読むほうの体力もないとダメだな、という感じでもあります。池内さんは患者の様子をみながら、と時間をかけて負担をかけない方法を模索している、というところかも。
ともあれ、両氏とも「普通の人に説明する努力」の必要性を強調されているあたりは同じですね。インフォームド・コンセントを徹底し、セカンド・オピニオンも聞いて各自判断せよ、となれば、結局はそれができるだけの自己の精神の健康を保て、に戻ってきてしまいます。とりあえずは、両氏に限らずいろいろな「専門家」の、忌憚のない、分かりやすい意見をどんどん読ませてもらいたいものです。
紙の本
科学評論家対決?
2008/05/31 00:39
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現在の科学についての評論を大雑把に見ていると、意外に数多くの書を出している二人がいる。池内了氏と池田清彦氏である。最近、たまたま、両者の科学評論家としての出世作とおぼしき書を続けて読む機会を得た。池内の『科学の考え方・学び方』(1996年)と、池田による本書(1995年、2006年文庫化)である。
個別科学の解説や啓蒙、科学論についての論客は他にもいろいろいるようだけれど、科学全体をつかんで読者に提示しようとしている点では両者は姿勢を同じくしている。今から思い返すと、オーム事件や薬害エイズ、阪神大震災といった1990年代に頻発した科学にまつわる大事件の影響から、科学について一般読者相手に論ずることの必要性を感じた専門研究者のうち、論客として生き残ったのがこの二人、といったところかもしれない(それぞれの専門は、池内は宇宙物理学、池田は生物学)。
両者とも「天動説から地動説へ」などといった科学史的背景から説き起こしつつ、現代科学の性格を解説するというオーソドックスな出だしである(ただし、プトレマイオスの地動説は、現象に整合的な仮説をつくるという点では「現代的」であったことを池田はきちんと指摘している)。そこから池内は現代科学の限界、いいかえれば不得意なものについての指摘が出てくる。いわゆる非線形や複雑系といった課題である。今までの科学は、いくら巨大化精緻化しようとも、解ける問題しか解いてこなかったわけである。そこから地球環境問題などにつなげていくあたりは、中高生向けの岩波ジュニア新書らしい展開である。
一方、池田の書では、科学は理論から時間を抜こうとしている、などといった池内とはまた異なるアプローチでの科学の限界の指摘を展開しつつも、終盤に向けてやや「過激」になってくる。科学の制度化やその周辺領域(要はモノ、ヒト、カネですね)、政治や政策、資金源とのかかわりにまでより踏み込んでいくのである。「科学の巨大化」の背景にはこうした結びつきが、科学自身が自らを律し得ないものになっているというわけである。さらに「文庫版あとがき」では、「科学・政治共同体」という言葉で、環境問題、医療健康、ゲノムといった諸問題についてのこの科学の制度的な問題の分析を試みている。現代の科学とは純粋な真理追究とはいえず、金儲けのため、学会維持のため、科学者の職の確保のため(公共事業!)、個々の欲望のため、などといった事情にふりまわされているというわけである。
かつての「軍産官複合体」を彷彿とさせる指摘は、読者の気持ちSFチックに暗澹とさせるに十分だ。ただし、こうした池内の指摘を「煽り」ととるか、科学の制度としての側面をクールにみる起点とするかは読者次第ではあろう。「論文生産力」という視点からは、正しい理論ほど科学者にとっては役には立たず、「ちょっと正しい」くらいがちょうどよい、という皮肉かつクールな視点はやはり魅力的だ。
今をときめく二人の科学評論家の立ち位置はだいぶ異なっているようである。しかし、両者の活躍によって、単なるお題目ではない、良質の科学評論がますます生まれることを期待したい。
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