紙の本
徳川家康の祖父世良田清康の東三河進出と死による挫折
2007/02/14 10:51
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サッチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
徳川家康の祖父世良田清康が東三河へ進出し、主人公の菅沼定則ら東三河の諸豪族が松平清康に帰属する
清康と相続争いに敗れた叔父の松平信定との確執が続く
信定との仲裁に立った清康の年寄阿部定吉が却って疑われる
父が捕まると誤解した定吉の息子阿部弥七郎が清康を殺す(「守山崩れ」という)
阿部定吉は捕らえられ、弟の定次は出家する
東三河の豪族菅沼定則の目を通し、世良田清康の活躍と死、三河諸豪族の動静が生き生きと描かれている
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久しぶり著者の語彙、知識の豊富さに懐かしさを感じるが、食傷気味。隣国東三河は地理感もあり、往時の地名・武将はこうで在ったかと思い廻らす。
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信長以前の三河がこんなに面白かったとは。
流石に目のつけどころが違います。
私にとって松平家は旧主筋にあたるので感慨深くもあります。
久しぶりに本を読んでて楽しかったですね。
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野田城にわずか四百で籠城し、三方原で大勝した武田信玄3万の大軍をひと月の間防ぎきった菅沼定盈。信長が激賞し、家康に信頼され、信玄が家臣としたがった名将の活躍を描いた長編です。定盈を描くために、祖父・定則から物語が始まり、父・定村をはじめ、ものすごい量の武将が登場します。
2007.8.31読了
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宮城谷昌光先生の本。戦国時代三河の菅沼新八郎定則のお話。徳川家康の祖父にあたる清康の時代。戦国時代といえば、織田・豊臣・徳川ら辺りしか分からなかったが、その先を遡って物語りは進行するので、とても勉強になった作品。
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中国の歴史小説を書いてきた、宮城谷昌光氏の最初の日本の歴史小説。
主人公は菅沼新八郎、戦国時代、三河野田城主、家康の祖父清康の家臣。
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日本物でも健在、宮城谷作品の、主人公は当然、その周辺のいきいきした厚みのある人物像と、切ないエピソード。ただやはり日本ものは群雄割拠だから、ちょっと地味だと埋もれてしまうのかも……日本史の根強いファン、自分なりの人物像が強いファンには受け入れにくいこともあるだろうし。ただ私は、歴史を考えるときはやはり誰も現実を見てきていないのだから、いろいろな見方を柔軟に受け入れることこそ真の歴史愛好家だと思う、とか……ちょっと偉そうに言ってみた。言いたかったのは、あまりこだわらず物語を楽しんでほしいということ。ま、これは確かに、ちょっと難しい細かい話も多いのだけど、それでも空気は素敵。
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時は戦国時代。
織田信長や徳川家康の祖父らが活躍していた頃です。
物語は主人公・菅沼新八郎定則が家康の祖父、清康について尋ねるために
兄の元を訪れるところから始まります。
武力を用いることは必要最低限にとどめて、清康はその人徳と外交の妙で
大名や豪族を従えさせていきます。
新八郎はその姿には不思議な美しさがあると胸を打たれます。
第一巻は一つの時代が終わったという感じを与える終わり方をします。
これから新八郎がどう時代を生き抜いていくのかに期待しています。
また、新八郎が川原で拾った「四郎」という男児にまつわる話にも
興味を覚えました。
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松平家は清康ー広忠ー家康の3代
織田家は信秀ー信長の2代
今川家は氏親ー氏輝ー義元の3代
菅沼家は定則ー定村ー定盈の3代
に渡る長大な物語。
この本には多くの知識が詰まっています。
織田信長が上総守でなく次官の上総介を名乗っている理由とか。上総と上野と常陸が親王任国だったとは初めて知りました。
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中国古代史が専門かと思っていた宮城谷昌光氏が書いた初の日本の歴史小説です。地元三河の歴史を丹念に掘り起こして、奥三河の豪族たちの興亡と悲哀が描かれています。クライマックスは野田城攻防戦です。「6000人分の水を所望!」と叫んだことで起こる意外な結末には、戦国武将たちの心意気を見て感動します。
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菅沼家三代の物語。菅沼定則・定村・定盈と並行して代替わりをしていく松平家三代(清康・広忠・家康)の物語でもある。
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風は山河より 全5巻
家康の祖父と同時代を生きてきた野田菅沼一族3代の物語。今川家、武田家と云う巨大勢力に屈伏せず生き抜いてきた三河武士の根源をみた。
作者のいままで中国王朝の作品と比べると固さがあったのが残念
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戦国時代への序章。三河近隣での武士の生き様を描く。
第1巻では,今川方であった野田城主の菅沼新八郎定則が家康の祖父である松平清康に魅せられ,松平方に寝返り,それが間違った選択でなかったことを悟る。清康は目が大きく,宝石のように澄んだ輝きを放っていたと三河物語では言う。同時に,無限の優しさを持ち,人を追放したことも処罰したこともなかった。いかなる臣下も松平家の役に立つのであり,ゆえに”人を惜しむ”という心でことにあたってきた。
ひょんなことから,古河公方が戦乱の世に我が子を巻き込みたくないということから,落ち延びさせた子を新八郎はそうとは知らず,自分の猶子にしてしまう。
また,西郷孫太郎正勝に嫁いだ新八郎の娘がたくさん子供を生むが,その中の一人の女子が徳川二代将軍秀忠を生む西郷の局の母となる。
話は後のこととなるが,野田菅沼家は徳川将軍家の親戚となるのである。
ここで,戦の話であるが,松平の戦法には確定したものがなく,また,籠城という思想もなかった。これは,後世の家康にも当てはまり,武田勢の侵略を見て,浜松城から出撃して三方原で惨敗する。兵力の衆寡を考えないのが松平家の一貫した戦い方という。
2巻。清康は,実質的に斉藤道三が支配する美濃攻略の道筋をつけるべく尾張の守山を攻略の策源地にしようと考え,守山を治める織田信光に伺いをたて,快諾を得る。しかし,信光が,その兄の織田信秀とひそかに呼応して清康を討ち取る策をとるとも考えられる。家臣たちは清康に諫言し,清康もしぶしぶその諫言を受け入れる。清康の兄であるが,庶出であるため棟梁になれなかった松平信定は様々な行きがかりから今回の美濃攻略に出陣しておらず,これまた家臣たちに清康外征中に松平家を乗っ取るのではないかと不安がる。その不安が,家臣たちの混乱を招き,家臣の安部定吉一家が内通疑いを掛けられ,檄昂の余り定吉の子の安部弥七郎が清康を弑してしまう。これを守山崩れと言い,棟梁を失った松平家がこれから混乱の様相をみせていく。清康の子,広忠は,暗殺から逃れるため,流浪の末,今川を頼りつつ,本拠地の岡崎城へ帰城を果たすのである。清康が滅びたのは,一度,清康が信定を叱呵したことが遠因となったが,怒り怨むことはおのれの滅びを招くのだと新八郎は考えた。三河の混乱に織田信秀はつけ入ることを忘れない。矢作川をはさみ,岡崎城の正面になる安祥城を奪い,三河侵略の先手を打った。それに対し,松平方も岡崎城と,安祥城を挟む形となる小河の水野家と婚姻関係を結ぶ,広忠と水野家のお大の方を結ぶというものだ。お大の方は,いわゆる家康の母である。
3巻。お大の方は,竹千代が生まれる前,男子誕生を祈願して,厳冬の鳳来寺に籠る。鳳来寺の薬師如来に祈願したことから,家康は薬師如来の生まれ変わりだともいわれた。と同時に,野田菅沼家にも嫡男が生まれる。この子こそ,武田信玄の最後の戦いの相手となり,天下に驍名を馳せる野田定盈である。
竹千代(家康)誕生後,水野忠政は死去する。水野家を継いだ信元は,父の忠政の松平と組んで,斉藤道三とも結び,織田を包囲するという方針を180度転換し,織田方に趨る。このため,やむなく松平広���はお大の方を水野に返す。小河に戻ったお大の方は,久松俊勝に再嫁し,三男四女を産む。その三男は後に家康から,生母が同じであることから松平姓を与えられ久松松平となり,子孫のひとりは伊予松山十五万石を領する。
織田からの侵略の脅威に晒されている岡崎松平家は内紛もあり家内の戦力はそがれていく。進退きわまった広忠は今川に助けを得るべく,竹千代を人質として駿府に送ろうとするが,その途中,なんと竹千代は織田方の(というか,今川憎しの)戸田正直に略奪され,織田方に送られてしまう。
四巻。人質となった竹千代は織田での軟禁生活を余儀なくされるが,そこでは,明るい織田の風土に触れるという利点があった。松平家は,義理やしきたりを大切にする風土が,時に保守的と言われるほどであるが,それに商売という開明的な性格を竹千代に与えたことは,将来の家康に少なからず影響を与えたはずである。人質となった竹千代を粗略に扱わなかったことに対しても,竹千代は織田家に恩を感じたはずである。しかし,人質を奪われた今川方も汚名をはらすために,雪斎を使い,人質交換を成立させる。ただ,竹千代はこれで自由の身になったのではなく,単に,幽閉の場所が変わったのみであり,竹千代の家来たちは三河の産物でも駿河にいる竹千代の口に入ることがないことを悲憤する。
雪斎が人質交換を行った後,織田信秀は家督を嫡男の信長に譲る。これにより,これまで優勢であった今川家も今後,衰退の兆しが現れる。その大一歩が雪斎の死でもあった。
竹千代は元服し,元信と称するようになった。元とは今川義元の元で,授けられた名前の一部を自分の名前の上の一字にするのが礼であることによる。それから2年後,元信は元康と名乗りかえる。康とは当然,元信の祖父の清康からとったものであろう。そのころ信長はすでに頭角をあらわし始めており,斉藤道三にも一目置かれるようになっていたのである。
そのころ,菅沼一族では内紛がおきており,野田菅沼家は,頭領である定村,その兄弟の定満,定貴も失う。そこで,野田菅沼家を背負ってたつこととなった定盈の登場である。野田菅沼家の混乱を即座に収拾しえたことに,定盈の今後の活躍が期待されるようである。
5巻。桶狭間で義元が信長に討たれた。松平元康は,義元の元を捨て,八幡太郎義家の一字を借りて,家康と名乗る。今川家に訣別したということだ。野田新八郎定盈も今川家に見切りをつけることになる。ただ,人質として出していた妻の奪還に向かうが,連れ戻すことが適わず,今川氏真に磔刑に処せられた。このころから,今川,北条,武田による駿,遠,三の覇権を争った,陰に陽にの争いが熾烈を極めてくる。今川氏真は知も徳もなく,北条は上杉が気になり,武田が本命となってくる。信長も家康も現状では武田には適わないと,友好関係維持に努めるが,信玄は適当に扱っている。戦が続く中で,野田定盈は家康の騎下で次第にその知徳武を買われはじめる。特に,城攻め・城守りに才を認め,定盈も家康の戦の仕方に魅了されていく。松平家康は,苗字を徳川に変える。家康の祖父の清康は新田氏の庶流の世良田を姓としたが,家康はその姓をとらず,世良田の本家にあたる得川を選定した。ところが,得川氏の嫡流は消滅していなかったため���やむなく一字を変えて,徳川とした。得川も新田氏から分岐した血胤のひとつであるから,家康の希望としては,源氏の旗頭である新田の氏姓を自家のものとしたかったのであろう。
八幡太郎源義家は清和天皇の血筋をもつ賜姓皇族であり,義家の三男の源義国の長男の源義重(新田義重)が新田氏の祖である。その8代目の子孫が新田義貞。徳川家康は征夷大将軍職を得るために新田氏の分家である得川氏の後裔を自称した。得川氏は新田氏の祖である新田義重の四男の義季が得川郷の領主となり得川四郎と称したことに始まる。
6巻。いよいよ信玄が西に向かって本格的な侵略を始めた。信玄が進むところ,戦いもせず城を明け渡す者が多く,わずか3日間で三河の3分の1を制圧してしまう。信玄は道義を軽視しすぎている。恨みの種をまきすぎているとも言える。その上に立脚している強さは,仮象でしかなく,滅亡は必死であり,滅亡するときは一朝一夕に跡形もなくなってしまう。実際,信玄は仁術によって他国の人心をとったわけではない。常に武威をかざし,人を脅し,屈服させてきた。その武威が衰えれば,たちまち人は離れてゆくのは明白である。だが,徳川はそうではない。徳川はいわば情の政体であり,宗教団体に似ている。たとえ被害が甚大でも斃れにくいしぶとさを備えている。
菅沼一門もご多聞に漏れず,城を明け渡す中,また,家康や信長の後援も得られぬにもかかわらず,野田菅沼家のみが屹立し,信玄に立ち向かう。信玄と戦って勝てるものは天下にひとりもいないというのが当時の認識のひとつだったろう。家康も信長もそう考えていたのではないか。上杉謙信でさえも負けなかったと言うべきであり,決して勝ったわけではない。
定盈は信長も家康も助けにこない中,結局,信玄方についた菅沼他家が家康に差し出している人質との交換という条件で和議が結ばれる。野田城は明け渡したが,後に定盈は取り返すことになる。菅沼新八郎定盈の驍名が天下に知れるようになったのは,籠城から開放され,信長からの熱い褒詞があったためだという。褒詞には,『不堅固なる小塁に微勢にて立て籠もり,大軍猛将の信玄を防ぎける段,往古の楠木正成にも劣らざる英雄なり』と書かれていた。
本書のクライマックスは,定盈の籠城から開放のシーンまでだと思うが,その後,本書では,信玄が病に斃れ,子の勝頼が信長に長篠で破れるまでを端的に語り,定盈が隠居するところまでが簡単に触れられている。
定盈は隠居するが,慶長5年の関ヶ原の決戦前,江戸の留守居は新八郎定盈しかおらぬと再び家康から呼び戻され,江戸城の留守居番に加わるのである。定盈は慶長9年の7月18日に六十三歳で亡くなる。
全6巻。
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最終巻まで読み終わった。徳川家康までの三代、織田信長までの三代、武田信玄ら戦国武将らを背景に、菅沼野田家の三代を書く。家系図が欲しかった・・大筋を追うのが精一杯。
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2023/1/13読了。新三河物語から引き続いての第一巻。こう言った戦国時代前期の地方の群雄割拠、諸豪族の足跡を見るのも楽しい。長いが辛坊強く。これをベースに家康のDNAが分かりそう。第一巻はその祖父清康が生き抜き守山崩れ迄。