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小説家の書いた本だけれど、社会学者たちも無視できないものだと思います。1年後、最も論文に引用されることの多い本になることでしょう。
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最近キレる老人が多いという。突然に大声で怒鳴り不満を撒き散らす。コンビニで長時間の立ち読みを注意された老人はチェーンソーを持ち出しエンジン音を威嚇に使いながらまた雑誌を読みふけったという・・。わからん。ゆがんた自己顕示欲が理解不能の行動を誘発する。時代や社会の速すぎる速度についていけない老人たち。経験則が無効な社会。現代社会の病巣を描いて興味深い。
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想像してた内容とちょっと違った。
「そりゃ無茶やなぁ」というような事例が面白おかしく書いてあるのかなぁって思ってましたが、「(新)老人」が何故切れるのかきちんと解説してある本でした。
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役所行ったらたまたま暴走してたご老体がいたので本屋で勢い余って表紙買い。
文章はとても読み易いのであっさり読めたけれど、過去の事例を色々と繰り返すのが多くて「どうしたらいいのか」っていう解決の糸口のところがいまいちだったような気がする。
言ってることは分かるんだけど。
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この本は、タイトルと装丁で選んではいけない見本のようなものである。いたる所ですぐキレル老人の羅列などでは決してない。キレル老人を見るにつけ、どうしてそうなってしまったのか、変貌する社会、とりわけコミュニケーション作法の違いという点で捉えている。ただ著者がいうような閉塞感のなかで、新老人に隠れていた暴力性が露出するというのであれば、暴走するのは老人だけではないはずだ。ケータイやネットに関われないのは年齢の問題ではなく、それを使える所得があるかどうかでもある。なのでその論でいけば、格差社会に泣くニートも暴走しやすいし、実際凶悪犯罪を犯す人は年齢に関わらず無職が多い。なので暴走老人という言葉で括るのは如何なものかとも思う。
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最近増えている、突然「キレる」老人についての考察本。
老人に限らずキレる人が本当に多くて怖い世の中だ。
サービス業の過剰な丁寧ぶりが消費者をつけ上がらせ、
それに慣れてしまった私たちが、ある一定以下のレベルの
対応をされると、ものすごくバカにされたような、
ひどい扱いを受けたような気がしてしまう傾向があると
私も常々思っていた。
他人にどう思われようと構わない人も増えている。
日本の未来は暗い。
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暴走してるのは子供達やモンスターペアレンツだけじゃない
確かにコワイ老人もいらっしゃいますね。
老人と接することも多いのですが、
歳の取り方が顔に顕れるなあ・・・ってつくづく感じます。
人生が顔に出る・・・というか・・
謙虚に・・そして感謝して生きて
カワイイおばあちゃんになりたいと思わされます。
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走老人を実際に見たことはない。でも、最近のニュースで、いい年(私と同じか年長)をした人が殺人、暴行事件をおこしたり、騒音を立てたり、万引きしたりしているのは、気になる。若者の凶悪犯罪は減少しているのに対し、2005年に刑法犯で検挙された者のうち65歳以上の人の数は16年前の1989年の5倍に上るという。
著者は、時間、空間、感情面から考察している。時間でいえば、ケータイやインターネットの普及で時間の感覚が変容し、「待つ」ことが「待たされる」に変わり、待つ楽しみは待たされるいらだたしさに変わる。空間的には、個のテリトリー意識がどんどん変化し、それについていけない人はトラブルの火種となる。感情面では、マニュアル化されたコンビニやスターバックスでの応対とそれに対するふるまいなどに見られる「透明なルール」などの問題がある。加速する社会の変化によって、それにふさわしいメンタリティを身につけられない、受け付けられない、不適応性を秘めた人が増えたのが問題だという。今は500年の変化が50年でおしよせているというのだから、ついていけないのは無理もない。
約半世紀前に国連が「高齢者は65歳以上」というように定義したそうだが、寿命が延びて、元気で若々しい高齢者も大勢いる今、60歳代の人は自分を老人と思っているだろうか。広辞苑によれば、中年は40歳前後を指すというが、知人で60歳すぎの人たちのパソコンクラブは中年パソコンクラブと称していた。そのようなまだ自分を老人とよびたくない人が、時代に取り残されたと感じると、もう老人だからとあきらめられず暴走してしまうのだろうか。あと著者が指摘するように一人住まいが増えたことも大きいのだろう。緩衝材、防波堤となる家族はなく、社会での軋轢は自分一人でかぶらなければならない。
「情報化社会という「社会風景」の地下では、人々の内面=感情、情動のあり方が地鳴りを響かせながら揺れ動いている」というのには、はっとした。著者は「老人批判を展開したかったわけではありません。暴走の現実を追いかけていくことで、現在進行している人と人のかかわり方の根底的な変化を見たかったのです」というが、こう考えると老人だけの問題とは思えない。そのせいで、読み始めてすぐに夢中になって読み進めてしまったのかもしれない。
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タイトルで期待してしまったが、時代考から筆者の推測に過ぎず、なんだかスッキリしない。
具体例の羅列にするか、事例の老人や周辺の人に直接インタビューするか、
どっちにしろもっと突っ込んだ読み物ならよかったと思う。
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病院でのトラブルの多くは待つことから生まれる。待つことの耐性にかける大人の増加を意味しているのではないか。 なにか楽しいことが現れる瞬間をまつことは、その瞬間の喜びと同じほどの幸福感、快楽を人々に与える。言葉を帰れば待つことを失ったとき、人は生きる力を失うのではないかと私は思う。待つことが何もない人生は、間違いなく不幸である。 ケータイという道具は新しいコミュニケーションのありかたを社会にもたらした。それと同時に、私たちから待つことを奪い取った。 人は老人になるほど待つことに耐えられなくなるのではないか。 問題を抱えた人は、自分一人で作り上げてしまった物語りに囚われて、身動きができなくなってきている。 暴走する老人とは心情式に順応できず、うまく乗り切れないために、情動を爆発させるしか無い、システム化社会の鬼っ子とでもいえるのではないか。
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突然「キレる」困った老人が増えている。でも結局いまの社会が悪いんだよ、という本。
*ここ数年、高齢者の犯罪が急増している。
*医者・看護師にキレて噛みつく(文字通りガブっと!)老人。
→医療関係者で暴力にあった人はなんと55%!!
*「待つ」ことができないで、キレる老人。
*コンビニで3時間立ち読みして、注意されたので「キレ」てチェーンソーを振り回した年寄り。
*ゴミ屋敷老人
結局
*今の社会は移り変わりが激しいので、老人はついていけない・置いて行かれる恐怖があるから。
*「現代」の「買い物」の仕方は、「昔ながら」の「会話のある」商店街から、「会話のない」「スーパー・コンビニ」を利用するようになったために孤独を感じるのだとか。
*「お客様は神様」→この「現代特有」の考え方が医療の現場にも蔓延している。
少々乱暴にまとめちゃったけど、「何故暴走老人が増えたのか」今の社会が悪い!敏感な老人がそれに反応しているのだ…というまとめ方で、かなり主観的。
著者自身も、スタバなどのチェーン店カフェや携帯音楽プレーヤー、携帯電話・今の学校教育などを非難していて、ステレオタイプなものの見方だなー、と思わずにはいられなかった。
和田秀樹の「困った老人と上手に付き合う方法」(宝島社)を読んだほうが、若者・老人双方にとって良いと思われる。
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好きなブログ人がほめていたので読んでみたけど、ぜんぜん説得力のない体験談と個人的感想だけで、なんにも得るとこなしじゃったわい。
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社会に適応できるか、できないかを意識しているのはまだ良いとして、変化を変化として認識できず、昨日のように今日を生きようとすることは、時代につまずくことになる。それが今を生きる高齢者の困難さではないだろうか。
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分別のある存在、気長で他者に寛容という固定観念に逆らい最近急増している高齢者による犯罪。無害な弱者と見られていた老人による殺人や暴力。作者はこのようなときに不可解な行動で周囲と摩擦を起こす、或いは暴力的な行為に走る高齢者を「新」老人として、その行動はどのような理由によって引き起こされるかを考える。実際に作者が出会った「新」老人たちや新聞やニュースに載った老人たちは確かに見回せばわたしの周囲にも思い当たる人が何人かいるし、今日も老人同志の喧嘩から殺人になったニュースを見た。第1章にある「時間」にはなるほどとうなずける部分が在る。日に日に一日は長く感じるのに1年は本当に早く過ぎていく。世の中の変化のスピードについていけないのは老人たちだけではない。という事は、私の中にも「新」老人としての要素はあるという事だろうか。第2章の「空間」は自らが憧れ作り上げた核家族化、新興住宅地が年月がたち過疎化、孤立化することによって孤独化する老人たちが書かれているが、読んでいてまったく別のことを思ってしまった。何世代も続いた家や街、そこには住んでいる人たちが作り出した庭や家々の調和という文化のようなものがある。何年か前とても綺麗な大きなつつじの木のある家がその家の老夫婦が病気か何かになり引っ越された後家は取り壊されその木もなくなっていた。一代限りでは育たないものもある。核家族化はそんな地域の雰囲気が育たない。郊外の新興住宅には「ふるさと」が残らない。本の内容とはあまり関係ないことだが。第3章「感情」は正直あまり理解できていない。「新」老人たちが急増することに感情が絡んでいることは理解できるが。その中で「若い世代の中になるほど、文字通り薄氷を踏むような慎重さで他者とのかかわりをもつ(あるいはもたない)が、新老人はかってなかった場所に張られた氷の存在に気づかない。」とある。KYな存在、しかし問題は常に空気を読まなければならないことのほうにあるのではないだろうか。やはり、私の中には暴走する「新老人」になる要素はかなりあるようだ。気をつけよう。
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時代の急速な変化についていけず、他人に異常な怒りを向ける老人を「新・老人」と名づけて論じる本。 かと思ったが、冒頭はインパクトがあったものの段々尻つぼみになって斜め読みいたしました。