紙の本
西武百貨店の歩みを通して、日本の消費社会の軌跡をたどることができる
2011/04/16 18:00
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書はポスト消費社会のゆくえなど、ほとんど展望しない。堤清二氏が率いた西武百貨店を中心とするセゾングループの興亡史になっている。ところが、これが実に面白い。
1960年代、70年代と日本経済が成長していくにつれて、セゾングループは規模を拡大させていった。80年代には成熟期に達し、90年代には衰退と再編期を迎える。
堤氏は54年に百貨店入りし、91年にビジネス界から引退を表明したので、その歴史を概観するにふさわしい人である。いや、その興亡の当事者であった。
百貨店の成長期と黄金期には、ベンチャー精神にあふれた西武百貨店の戦略は成果を収める。ただ、60年代にも、ロサンゼルス店の失敗、池袋店の火災など試練に直面している。
そうした場合にも、縮こまるのではなく、むしろ新規出店をすることで損失をリカバーしていく。結果的には、それがうまくいったのだが、かなりの冒険であったことが、堤氏によって率直に語られる。
この堤氏の率直さが、本書を何よりも面白いものにしている。往々にして企業トップの回顧録は自慢話でしかなかったりするのだが、堤氏は、過去の企業経営を突き放してみているため、とても興味深いものになっているのだ。
これを成り立たせているのは、ひとつには辻井喬という、堤氏が持つもうひとつの顔である。ちなみに、本書の著者名は辻井喬になっている。
もうひとつの要因は、上野千鶴子という強いキャラクターをもつ対談相手の存在である。上野の突っ込みは相当にするどい。本の中から現れ出てきそうなほどに強烈だ。堤氏も上野に煽られて、すでに経営者を退いた者が口にしないようなことまで次々に語ってしまう。堤があいまいな形で頭の中に浮かべていることを、上野は具体的に言い当てて、形にしていってしまうのである。
それにしても、企業経営というのは生やさしくない。これは綱渡り、かつ度胸試し、および周囲の幹部社員との闘いといってもよいほどだ。
辻井喬という文人の顔を持つので、もっとしっかりとした経営哲学をもっているのかと思ったら、きれい事をゆるさないビジネスの世界で生き抜くしたたかさを、その都度発揮しながら、セゾングループを率いていたのが分かる。
かつて百貨店へ行くことが「ハレ」のおこないであったというくだりは、そういえばそうだったかも知れないと思わせ、百貨店をとりまく大衆文化の回顧にもなる。
その時代にくらべれば、90年代以降は「ケ」のおこないになってしまい、百貨店が消費文化を体現する場ではもはやなくなっているのが示される。
堤氏は、90年代以降、もう百貨店は使命を終えていると言い切っている。このあたりも衝撃的だ。もっと正確には70年代の終わりには、もう下り坂であること見抜いていた。
かなり早くから、これから伸びていくのはコンビニであると理解していた。だが、セゾングループは、堤氏が退いてから、ファミリーマートというコンビニを売却してしまう。
総合スーパーの今後の厳しさについても指摘している。かつての百貨店の代替機能のようなものだからだ。実際、90年代後半には、ユニクロなどの登場で価格破壊が進行し、ダイエーが経営危機に陥ったのは記憶に新しい。
さて、そうした業態が次々にダメになったあとにくるポスト消費社会はどういうものか、それがまさに書名になっているのだが、残念ながら明示されていない。
ジャック・アタリ氏であれば未来学のようにして、将来展望を自由自在に語るのだが、この二人の対談にはそうしたものはない。だからといって、本書の価値にはいささかの影響もない。
セゾングループの栄枯盛衰を通して、60年代、70年代、80年代、90年代の日本の消費社会を見ておくのは、なかなかためになる。そして、経営者の成功と失敗にも考えさせられるものが大いにある。これは読んで損はないと一冊と思えた。
紙の本
なまなましい経営の成功と失敗の分析
2010/10/15 00:27
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
かつてセゾングループをひきいていた 辻井 喬 こと 堤 清二 が 上野 千鶴子 につっこまれつつ語っている. かつて 堤 清二 がしてきたことに対して,ときにはするどく自己批判的に語っているところが印象的だ. 経営者がちがっていればセゾンが破綻せずにすんだとはかんがえていないというが,グループがなぜうまくいかなくかったのかを,いろいろな面から分析している. 上野のツッコミにこたえるかたちだが,重要な点はみな辻井の口からでている. ふつうは語られないであろう,なまなましい経営の成功と失敗の分析として,価値がある.
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長い。題名がミスリーディング。基本西武百貨店の本だから。でも中身は結構面白い。7-80年代はセゾングループが消費を牽引していた時代。今から見ると相当ふわふわした感じがするけど、当時はそういう軽い感じだったんだろうな。「さよなら大衆」。個性が賞賛され始めた時代。欲が肯定され始めた時代。イトイが最先端を行っていた時代。楽観ムード。未来はばら色だったのかなあ。そうでもないんだろうけど。100%。
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2008.06 西武をネタにした近代回顧的対談集。面白いといえば面白いが、それ以上の深さはないかな。
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2008/6
全体の半分はセゾングループの歴史と哲学の対談。そして、後半はそれを踏まえた対談となっている。
と書きつつも前半部分が戦後の日本社会の流れを踏まえた内容になっており、読みやすくもなかなか深い物になっている。対談した二人の考察もよいが、このようにうまく編集できた編集者の力も評価したい。
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なんだかボケとつっこみのような対談集。勿論、今だから話せるみたいな回顧録的な場面も多い。デパートは街の中での情報発信基地だった。苦手な池袋でも西武美術館には通ったし、渋谷西武からパルコにかけての生き生きとした「街」の動きは刺激的だった。
私たち世代は「自分たちの街」と思い、親しんだ。そんな思い出とからめての流通業の回顧と総括は生き生きとして上野氏の分析力も光る。しかし言い方がきつい人だね。表題の「ゆくえ」についてはご両人とも歯切れが悪い。
「繚乱と咲き誇った消費社会の後に何がくるのか」誰もわからんという結果である。当たり前のことだけれど肩透かしだな。
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やはり堤清二さんという人は、経営には向いていなかったんですねぇ、という結論は何となく端折りすぎの感が自分でもしますが。
しかし、この本での堤さんは驚くほど達観していて、上野女史に何を言われても、怒りもせず解脱者の域。
もっと反論してもよいのになぁ。
理想主義で経営するのが通った時代もあり、通らなくなった時代もあり、後者にいたってセゾンは解体した、くらいにしておきますか。
日本の労働者も二週間くらいの有給休暇をとるようになるべきだ、、、というべき論で作ってしまったサホロリゾート。
だから、本気であれは庶民のために作ったのであり、今日の富裕層マーケティングなどとはおよそ対局にある。
でも、「当のセゾングループの社員に二週間の有給休暇を与えていましたか?」と訊かれ、「差し上げてないですね。」
と回答するあたりは、悲しいほどずれているが、それはあくまでも今から振り返っての視線だ。
たぶん堤さんは本気で一億総中流で豊かになる社会を考えていたのだろう。
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上野千鶴子がフェミニストとしての自分を振り返り、
「ずっと反逆者をやって石を投げてきたはずの人間なのに、
いつの間にかエスタブリッシュメントと第三者から思われ、アイデンティティの危機を体験した」(p.277)
と述べたのに対し、辻井さんが「すごく心強い」と返したのが印象的。
自分は何でも言うタイプで、親米派の父親・康次朗にも食ってかかる嫌米派だったと語る辻井喬=堤清二も、
部下には「『素直に意見を言ってくれ』とおっしゃられていても、本音では賛成してほしいに違いない」と勝手に解釈され、
そうした惰性が結局、80年代以降のセゾンの解体を招いたと、かつてのリーダーは嘆いている。
叩かれて伸びる(のに叩いてもらえない)タイプの人間としても、その心情には共感できた。
あと、三島由紀夫の自決に関してのエピソードも面白かった(p.280〜)。
死後の緊急座談会で、参加者がみな「三島、三島」と呼び捨てで批判するのに抗議して、
「どんな事情があったにしろ、私は三島由紀夫を敬愛しています。あなた方とは正反対の立場です」
と語った部分は、武勇伝的な自己言及であるとはいえ、素直にかっこいい。
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かたいタイトルなので読みづらいかと思いきや、意外に読みやすい。身近な百貨店の変遷とその裏側がわかります。
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[ 内容 ]
セゾングループの歩みを振り返ることは日本の戦後消費社会の歴史を考えること-消費社会論の研究者でもある上野千鶴子氏が元グループ総帥・辻井喬(堤清二)氏へのインタビューを通して、ポスト消費社会をどのように再構築していくか、その手がかりを探る。
[ 目次 ]
第1章 1950’s~70’s(前史 激動 ほか)
第2章 1970’s~80’s(黄金期 第十期 ほか)
第3章 1990’s~(失敗 解体 ほか)
第4章 2008(戦後共同体から遠く離れて 産業社会の終焉)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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自らの功罪について、自覚的で、不思議な距離感で批評できる辻井嵩に対し、ある種の魅力を感じてしまう一冊。辻井(堤清二)とセゾングループの功罪の影響を直接受けた人が、その態度をどう感じるのかは分からないけど……。それとは別に、上野の遠慮のなさと受ける辻井の掛け合いが、とにかく面白い。
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タイトルは正確ではなくてセゾンの歴史を通してみる消費社会論だった。堤の人間性含めてめちゃめちゃおもしろい。
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永江朗「セゾン文化は何を夢見たのか?」に導かれて本書にたどり着きました。本人たちが自覚的なように上野千鶴子のツッコミ、辻井喬のボケという役割でセゾングループの50年が語られていきます。印象的なのは、自分でもかなりめでたい人間だったなあ、とか、そこんところは迂闊なんだなあ、というボケ役の徹底した軽さ。そのフワッとしたヒューマニズムとかロマンチシズムみたいなものが当時の日本の社会、経済、文化を重厚長大な地面から浮揚させたのかな、と思いました。もちろん、ツッコミ・ボケ構造だけでなく、辻井喬が語る堤清二という二重性も本書に縦横無尽さを与えています。「マージナル産業論」「生活総合産業」という実業家、堤清二、文学者、辻井喬が求めてきたテーマは今こそ、そこから考えてみたい気になりました。
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再読です。以前、読んだときも面白かった。今回も面白かった。何故、面白いのでしょう。理由は簡単です。社史を担当していたので、上野さんが、よく知らべているのです。個々の店舗の状況も、よく知っているのです。面白くならないわけがありません。社会学というよりも、経営学の本だとおもいます。もう一度読んでも面白いはずです。
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個人的にはめちゃめちゃ面白かった。来年は辻井喬(堤清二)の本を集中的に読む時期を作りたい。あと、インタビュアーとしての上野千鶴子に感心。さすがだと思いました。