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投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
沖縄には二度行ったことがありますが、何れも那覇や本島のみで離島には行ったことが無く、先島諸島の文化の歴史が古いことに驚きました。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
那覇、糸満、石垣・竹富島、与那国島。南からの日本人ルーツを探る。古き良き文化が残る島社会をめぐる。中心部や離島など多様性に触れることにもなる。
この国の南限を極めに
2023/06/30 02:48
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の手掛けた、所謂「街道物」の
第六作です。
本書の舞台は沖縄。
著者は島尾敏雄とのやりとりがあったあと、
更に足を伸ばして先島諸島に至ります。
この国の南方を極める
2022/05/22 02:48
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投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の物した「街道物」の第六分冊です。
舞台は沖縄。島尾敏雄とのやりとりがあり、
更に足を伸ばして先島諸島に至ります。
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アメリカ施政権下から本土に復帰して2年足らずの沖縄をゆく旅。那覇では島尾敏雄氏と語らい、薩摩藩の侵略や明治国家の琉球処分を振り返って「日本における近代国家とは何か」を考える。まぼろしの「南波照間島」を思いつつ石垣・竹富・与那国の離島に足を伸ばすみちでは、「司馬民俗学」とも呼びうる、言語・宗教・建築・製鉄・造船などにかんする幅広い知見がつづられる。
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今回の紀行とは関係ありませんが、司馬さんがお話の中でチョイチョイ東大阪について語る所が好きです。
よく、大阪の東郊の雑な町で、と表現されています。好きなのだか嫌いなのだか分からないけれども、お亡くなりになる迄住んでいらっしゃったのだから、きっと嫌いではないのでしょう。
私も大阪市の東に住んでいますので初対面の人への自己紹介では、大阪市の東郊です、と言うことにします。
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沖縄・先島が特殊だというなら、薩摩や津軽など、明治時代の廃藩置県前の日本列島の他のエリアと比較すれば、特別に特殊というわけではないと主張しているのは、さすが司馬遼太郎という感じ。
確かに、例えば言葉を事例にすれば、沖縄語も津軽弁も薩摩弁も同じ系統の言葉であるとしながらも、標準語とは全く別の言葉であって、お互い会話は成り立たないだろう。
私の想像では日本列島の住人は、明治政府による大日本帝国という近代国家ができる前は、自分は日本人だと思っている人は少なかっただろう。薩摩人であり、長州人だと思っていただろう。それも我々が無意識に今感じている近代国家のそれとは大分違っていたのではないかと思う。そもそも大多数を占める農民の人たちにとっては、支配者が誰だというような状況だったかもしれない。
沖縄が特殊だとすれば、沖縄は日本列島の中でも距離的に他のエリアとは大きく離れたエリアであり、それが要因で、鉄の導入の遅れなどが原因で文明化が他の日本列島の地域(例えば今の近畿地方)よりも数百年遅れ、国家が形成されてからは、主に明代の中国と朝貢国の立場をとっていた点かもしれない。
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沖縄旅行の帰り、機内用で買った。
沖縄の文化や人、またそれらの影響について、司馬遼太郎の視点で書かれています。
こういうエッセイって最近もあるのかもしれないけれど、すっかり見られなくなったなぁと感じます。司馬遼太郎の知識の懐の深さを感じることができました。
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司馬さん意外なことに、自分の小説にそんなに自信をもっていなくて、「もし自分の仕事の中で後世に残るものがあるとしたら、この『街道に行く』シリーズじゃないか」って何かのインタビューで言っているんですよね。それくらい愛着があって自信のある仕事だったんです。なので、淡々としているんだけど、なんか読み心地がいいんです。
(石田衣良公式メルマガ「ブックトーク『小説家と過ごす日曜日』」12号より一部抜粋)
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2008年刊(週刊朝日初出1974年)。
沖縄本島の那覇・糸満、石垣・竹富島、与那国島を巡る紀行文。
先に見た「南からの日本文化」「琉球からみた世界史」ほど新しくはなく、遺跡やその解釈に関しては古さがないわけではないが、例えば、沖縄(特に先島周辺)における、中世倭寇の根拠地と解される遺跡の存在など、前提として知っておいた方が楽しめるトリビアが様々。
また、南西諸島を経由した日本本土への米の流入につき、移動用船舶に「籾」積載を常態としていた点(著者は漂着先での食糧確保目的と見る)が関連している点も同様。
なお、著者の軍隊評。
もちろん軍も官僚組織であり、また組織体においては、自己保全・維持欲求と同視できる行動態様を採るのが一般的だとなれば、納得の内容だ。
まあ彼の場合には、自身の軍隊体験(いわゆる職業軍人の物言いも含め)に強く規定されている印象はあるが…。
とはいえ、それもむべなるかなとも。関東での本土決戦用として北関東に展開した著者所属部隊の上官。北関東に混乱しながら疎開してくることが予想される民衆につき、轢き殺しても進めという主旨の発言など、軍人の物言いの酷さには鼻白むほどであるため。
言わずもがなだが、船舶の籾常備が意味するのは、水田稲作というシステムが南西諸島を経由し日本本土に移転していったというものではなく、あくまでも、当該稲種が移転していった傍証になるという意味に止まる。
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「街道をゆく6 沖縄・先島への道」司馬遼太郎。1974年、今から46年前に連載されたもの。2019年3月に読了。
46年前、復帰2年後の沖縄を司馬さんが旅行して、見聞したことと、考えたこと。
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沖縄は15世紀くらいまで、神話の時代という感じ。それについて、「鉄、鉄器が土地的に無かったから」。なるほど。
(本文より)
この事実を、冷静に知的にそして濁りのない情緒で把握しなければ、現代にいたるまでの沖縄史と、沖縄問題の本質をとらえぞこねるのではないかと思える。 われわれが人間の歴史を考えるとき、歴史教科書的な把握法からまぬがれることは、どう用心しても困難である。つまり、歴史は均等に発達するものだという迷信を理性のなかに組みこんで物事を論じてしまうことである。
(本文より)
人類に金属器が普及したときに、社会が飛躍的に大型化したし、人の心も、金属器によってそそのかされた。金属器によって生産や所有への欲望が増大しただけでなく、いっそ生産と人間を独り占めにしたいという大権力も成立した。これらで、青銅器時代から鉄器時代に移ったときに人の心はよほどたけだけしくなったにちがいない。
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司馬さんはこの稿では、沖縄戦などについて感情的な、批判的なことは、かなり避けて居ると思います。
ただ、戦車兵だった自分の体験から、こう述べています。
(本文より)
軍隊というものは本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊を通じ、ほとんど稀有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える。
これ、「軍隊」を「国家」や「権力」や「企業」に置換して考えてみたいですね。
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司馬さんの本は小説しか読んだことがなかったんですが、紀行本がこれほど面白いとは思いませんでした。内容自体もですが、ちょいちょいこちらの鳩尾を的確に衝いてくる表現が出てくる。須田さんの糞便のくだりは爆笑してしまいました(4Pも割く話なのかと…笑)。
ところでこれは40年以上前に書かれた本ですが、本土の不動産屋の進出について言及されていて、現状の沖縄にいたる開発がこのとき既に始まっていたことがわかります。「沖縄」って何だろう。
―彼女は急に眠ったような埴輪みたいな表情に化って、「それはね」と勿体をつけ、「ハテルマ、ハテルマと言うてゆくのよう」と、いった。何度繰りかえし質ねても、その呪文のようなことをいうのみで、質問者としてはらちが明かなかったが、しかし一面、古代の中にいるようで、神韻縹渺とした世に漂うような気分になった。ハテルマ、ハテルマととなえているうちに言霊の力でハテルマへゆけるというのであろうか。(200P)
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「街道をゆく」シリーズの第6巻。沖縄の神は海から来る。宗教的な空のことをアマと言い、同時に海をもアマと言うように、海は神聖者が渡来してくる道なのである。「南波照間島はそういう理由で幻出してきた・・・」自在に展開する「司馬史観」。
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朝日文芸文庫
司馬遼太郎
街道をゆく 「沖縄 先島への道」
重厚な紀行文。面白い。琉球文化の深さなのか、著者のような識者が掘れば掘るほど 面白さが出てくる感じ
著者の目線は 近代の超克
沖縄史を研究し、足を運び 現地の人と話しながら、国家を超えるものを探しているように思う
明快な結論はないが「倭人」という言葉を近代超克のヒントにしている
*倭人=日本という国家の規制を受けず、村落共同体に生きる人
*国家ではなく、村落共同体で人を捉えるという意味だと思う
沖縄に行くなら
沖縄戦、琉球処分、人頭税、柳田国男ら沖縄文化論、池間栄三 「 与那国の歴史 」を 理解してから行きたい。
軍隊についての言葉は 衝撃的
「軍隊というものは〜自国の住民を守るものではなく、軍隊そのものを守るもの〜軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといった崇高なものであって、具体的な国民ではない」
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以下抜粋
・「もし首里の街が戦前のままそっくり残っていたら、沖縄は京都、奈良、日光と肩をならべる」観光地になっていたろうと言われる。
・竹富島は、民俗学の宝庫とされている。というよりも沖縄の心の宝庫だという意識が住民の側に濃厚にあり、外部資本に土地を売らないだけでなく、住民がいまの暮らしの文化をそのまま維持できるよう、経済的にも配慮されたのが、この徹底した民宿主義なのである。
・床の間はいうまでもなく室町文化の所産である。
室町というのは乱世だが、しかし生活文化からいえばこんにちの日本の文化からいえばこんにちの日本の伝統芸能や生活文化の源流のほとんどが室町期に発している。
食事が日に二度から三度になったのも室町末期からだし、茶道、いけ花、能狂言や謡、歌舞伎、行儀作法から結婚式のしきたりにいたるまでがそうで、われわれがごく日常のものとして馴れっこになっている生活文化の光源は室町に発し、いわば室町文化を灯台としていまもそのひかりを浴びつづけているのである。
・日本の原始神道の斎主が女であったように、沖縄においてもそうで、神の前では女がより神に近く、男はより遠い。
・真の信仰とは事実を信じることではなく虚構を信ずることによって真実に入りうるのだという意味のことを親鸞はその語録の「歎異抄」でいっているのである。