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米沢旅行のお供におススメ。
『天地人』よりもコンパクトにまとまっていてかつ非常に面白い。
司馬遼太郎は華やかな兼続よりも寡黙で沈思黙考型の景勝さんが好きだったようで主従関係がとても好ましく思えました。
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『佐渡のみち』の中の、孫悟空と佐渡、の話が良かった。面白くて、何回も繰り返し読みました。よくこんな話を思いつくな、と感心します。
西遊記なんて子供用の物語だと思ってましたが、そうでもないようです。今度一回読んで見ます。
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羽州は今の山形秋田。佐渡はもちろん佐渡島。謙信のあと羽州米沢に移され窮乏した上杉家や、金鉱で沸いた一時期を除き中央から顧みられなかった佐渡の話など。いずれも歴史的に華やかではないが、このシリーズはそういうトコほど面白い。
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本著では、山形県の羽州街道と佐渡のみちを著者が歩いている。
羽州街道の章では、以前に大河ドラマ「天地人」の主人公ともなった直江兼続や、上杉鷹山の人物に触れられているほか、今では山形名物となっている大鍋の芋煮も紹介されている。
佐渡のみちの章では、江戸時代初期の町奉行・辻藤左衛門に重点が置かれて著されている。
米沢藩も佐渡も、「田舎」と呼べる地域がある。この日本人が持つ「田舎観」について著者は言及している。他国と異なり、「田舎」にはどこか蔑視の感があるというのである。確かに、「田舎者」、「お上りさん」といった言葉が定着している社会を見ると、著者の指摘は的を射ていると思える。また、豊臣秀吉が上杉家を越後から米沢・会津に転封したこと、佐渡が流刑地となっていたことなどの歴史的事実も、その裏付けとなるかも知れない。
確かに田舎は不便な点が多い。交通の便が悪いため、モノと情報が入ってこない。佐渡では明治維新後も1ヶ月半にわたって徳川家の直轄領と認識していたようである。この便の悪さは、自然と閉鎖的な社会を生むと同時に、独自の文化を築く。本著でも紹介されていた、大量の芋を短期間で消費するために生み出されたという山形の芋煮はその一例であろう。
現在、田舎回帰の傾向もある。都会の方が素晴らしいという妄言から、今後解き放たれていくのかも知れない。
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今回は山形と佐渡。米沢の上杉と佐渡の金山を見ながらの度という感じです。佐渡は一度行ってみないといけないと思いつつ、相川以外にも訪問すべき場所があるようで日帰りでは大変そうだなぁと。いや、一泊すればよいのだけど(司馬さんも日帰りではないし)
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『街道をゆく10』は「羽州街道、佐渡のみち」。地元山形の「羽州街道」を読んだままにしてたのだが、今夏の佐渡旅行を思い出しながら「佐渡のみち」を読み終えた。
大佐渡を「大陸の影」と勘違いした太宰治の逸話、鏡のように静かな真野湾、そして小木の海など、実感をこめて読むことができた。
最後の「無宿人の道」では、旅行時にはそれほど感じなかった水替人足に送られた無宿人の哀れを感じた。
「江戸幕府は、同時代の地球上のいろんな政府にくらべ、ほめられるべき点も多い。しかし最大の汚点は、無宿人狩りをやっては、かれらを佐渡の水替人夫に送ったことである(p257)」
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以下抜粋~
・中央政権は奥州征伐というものを繰りかえしたが、要するに弥生式農耕をすすめてまわる運動だったといってよく、その意味からいえば初期律令国家というのは水田農耕を推進して租税の増収をはかる公社といったような性格があった。
その公社に順った者は、「山夷」に対する言葉として「田夷」とよばれた。
・江戸期、佐渡は一円に能がさかんで、百姓たちが能狂言の役者になり、あるいは歌い手になり、かつ見物者としても楽しんだ。京や江戸でもここまでの謡曲の普及はみられなかったに相違いなく、この意味では佐渡は濃厚に江戸文化を沈殿させた土地といっていい。
・日本文学史における伝奇的空想力は中国のそれとくらべると実に小さく、このあたり、よくいわれるように「水滸伝」の大きさと「八犬伝」の小ささということを考えても、簡単に説明がつく。民衆にのしかかっている王朝悪(官僚悪)というものの重量が、比較にならないのである。
・中国の庶民は、歴史の中でも、ごく個人的な現実の暮らしの中でも、この種の経験を無数にしてきた。専制的な中国皇帝の分身が地方長官だが、長官のおさめるべき地域が広すぎたり、あるいは流通経済などを管理する場合、かれ自身が私的に採用した者を権能を持たせたりして仕事をさせる。その者が、長官にとっては金魚にすぎないが、現場では孫悟空でも歯が立たないほどの権力者になってしまい、私利の追求のためにどんなことでもする。
・封建時代では、いうまでもなく門地がすべてを決する制度である。しかしながら幕府の勘定奉行配下の役人ばかりは、門閥でその職を得るという例はほとんどなかった。川路のように卑い御家人身分から能力と人柄によって相応の職につくという例がふつうで、江戸幕府が二百数十年もつづいたという理由の多くは、勘定機構の人材がそれをさせたということさえ言える。
・江戸幕府は、同時代の地球上のいろんな政府にくらべ、ほべられぶべき点も多い。しかし最大の汚点は、無宿人狩りをやっては、かれらを佐渡の水替人夫に送ったことである。