紙の本
結局、何だったのだろう。
2023/12/17 15:02
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投稿者:satonoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
本を知って何十年も経て、やっと読んだ。
しかし、さっぱりわからない。
読み返したら納得するという小説でもなさそうだ。
それぞれの登場人物の虚無感ばかり感じられた。
サガンが描いた当時のフランスでは、こういう人たちがはびこっていたのだろうか。
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少女の物憂げな感情、ナイーブさ、
その機微が見事に言語化されていると思います。
あと、冒頭の「見知らぬ感情」
という言葉がなんか好き。
自分の感情って、自分のものというより、
見知らぬものって感じることが多いし。
自発的じゃなく、偶発的だからかな。
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ついに読んだ!案外簡単に読めてとても良かった。
人間の性質がことごとく描かれていて、サガンの人間に対する絶望と、それでも愛するという気持ちがひしひしと伝わってくるように思えた。タイトルの意味もわかって、ドキドキした。
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思春期頃の女の子の残酷な感じが出ていました。びっくりな展開だけど、わかるような気がするところが恐い。
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サガンは…中学校の時にこの1冊読んでからほっぽらかしていたのですが、今回新訳で読み返しました。
やっぱり字が大きくて、読みやすい!のが良いですね。
個人的に表紙も前のより好きだし…。
他のサガンの小説も早く復刊されないかなぁ。
山田詠美好きにお勧めな小説です。
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久々に読んだ。
新訳版。
少女小説だよなぁ。
言葉の才能だけで書いてる感じが物語の痛々しさを増幅させていてよかった。
20120921再再読
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基本的にフランス文学のまだるっこしい文体は好きじゃない。はずだった。
どうにも整理がつかない感情の動きを、これほど言葉で表現している小説には文句のつけようがない。
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最近新訳がはやってますね。
それだけ日本語が変わってきたのでしょうか。
サガン、今度映画にもなるから読んでみました。
文章が好きです。
うちは体言止めで会話をしているらしいとわかった。
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おそらく誰もが名前は聞いたことがあるであろう作品。
思い切って読んでみたら、おもしろすぎて、薄さも手伝ってかあっというまに読み切ってしまった。
実体験でないんだとしたら、18歳にしてのこの作品を生み出すこの感覚は、果たしてフランスの社会が織りなすものなのか、はたまた、サガン自信の豊富な文学体験からきたものなのか。
作品全体を包む倦怠感と初初しさという対立的な二つの感覚が作り出す渦巻きに取り込まれたかんじ。
アンニュイとはこのことか。
悲しみというもののある一面からついた本質を、一つの文なぞではなく、『悲しみよ こんにちは』という一つの作品によって見事に編み出している。
この作品がもつ評価を私は知らないが、訳者後書きの通りに、「おんなこどもの読むもの」と片づけられてしまっているのだとしたならば、この小説の一つの登場人物である「父」と共に、「おとこ」という存在のなんととるに足らないものか。
サガンに対したところで一言のろくな感想も述べられないように、私はこの作品を翻訳で読んだのであるが、この新訳自体が、自分の今このように書いている文章の稚拙さが恥ずかしくなるほどの名訳でもあると思われる。原文で読めるようになりたいものだ。
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これを19歳のときに書き上げているなんて信じられない。
とても賢い心理の変化、
感情のつながる道筋、
1+1=2にはならない心の動く過程。
わからないことはどうしてわからないのか。
とまどいはどこから生まれてくるのか。
しみじみ、やっと読めるようになった類いの小説。
うれしい。
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何んとなくで読んでみたけれど、良かった!!
内容も文体も好きだった。
主人公の心理も理解できる。
読んでいる間にアンヌの気持ちを全く想像することができなかったけれど、
最後を読むとやはりかわいそうだな、と。
今の私はアンヌみたいなのはおもしろくなーい!人生面白く楽しみたーい!と思って
全く感情移入できなかったけれど、40歳になって読むと違うのかもしれないですね。
とりあえず私は好きな本でした。
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-そしてものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、立派な名をつけようか、私は迷う-
六本木の女子校に通っていたとき、オスカル的な容姿の美しい、無口な、二つ年上の先輩が、卒業文集の一言欄に、この言葉を引用していて、ついに観念して手に取った。(当時、周囲があまりに「女」に溢れていたので、心のバランスをとるために、女流文学は手に取らず、日本男児的文学やら哲学書を好んでいたので。)この本の出版時、わずか18歳だった美少女サガン。彼女の存在自体が神秘的で、一時夢中になったもの。しかし何度読み返しても、この冒頭の一文を読むと「戦慄」する。元気のないそのキブンを、サガンの「悲しみ」にスライドさせて、同化させて昇華させるのはいかが?
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この本を読んでいる間、ずっと高校のときの国語の先生の声がちらついていた。
その先生ー30代の女の先生。細い体に似合わず、黒板に大きく力強い字を書いたーが、
この本を朗読しているような感覚。
そして気づいたのだけど、この感覚。
高校の国語で夏目漱石の「こころ」を習ったときの感覚に似ているのだ。
「悲しみよこんにちは」と「こころ」が似ているというわけではないのだけど、
あの、自己満足のために大切な人を裏切ること、そしてその取り返しのつかない結果と、押し寄せる後悔。
読んでいるだけの自分まで、やってはいけないことをやってしまった!と思ってしまうあの感覚に似ていた。
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表現がなんと繊細で精緻なことか!登場人物の生き方や価値観に共感できなくとも、個々の描き方が巧みである種非常に客観的であると、こころに響くという感覚は、スタンダールの『赤と黒』と同様。心理描写が丁寧でかつ表現が理知と情緒の両者に富む人には本当に圧倒される。
こうゆうのを和訳で読んで感動すると、一方で原著を読めるだけの語学能力と感性が欲しくなる。
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新訳らしいのだけど旧訳は読んでいないので違いは、分かりません。18歳くらいの少女が、書いたみずみずしさ、甘酸っぱさいっぱいの青春小説でしょうか。感情表現の感覚がおしゃれです。