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終わってしまった時代、過ぎ去った日々、だからこそ美しい。
過去に対する感傷、これを批判的にとらえるかどうか。
でも文豪と言われる人でさえ、失った痛みや戻れないことをいとおしむ気持ちを持つのかという発見がある。そしてそれも当然、と思うほど、描かれるパリでの修業時代は楽しくうつくしい。
死の直前ということを抜きにしても、ヘミングウェイのいちばんやさしい部分に触れる気がするこの作品ならば、私たちには訪れえない時代への感傷、そのきらめきを素直に共有することができる、かも。
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ヘミングウェイの遺作だけれど長らく出版されていなかった本。新潮文庫で復刊されていた。晩年のヘミングウェイが20代を過ごしたパリを懐かしみつつ、お金の乏しかった頃の暮らしを実名をたくさん使って書いた本。いろいろな人間関係が見えて面白い。当時、世界の才能がパリに集まり、友人を紹介しあい、活気のある文化を生み出していった。その空気がわかる。
タイトルの意味は冒頭に書かれている。若い頃パリに暮らすことができたら、その後の人生でどこにいようとパリはあなたとともにある。パリは移動祝祭日だから。
私は人生で合計70日ほどをパリで過ごしている。それだけでもパリは確かに自分の中にあるように感じる。何年とそこに住めばその土地というのはそんな感じを持つものだろうけれど、パリというのは特別だ。その実感が持てる本。
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パリで過ごした若き日々を、晩年のヘミングウェイが回想する長らく未発表だった遺作。淡々とした中にも作家や芸術家仲間との交流や最初の妻との生活が、生き生きと描かれている。世界中から若き芸術家が集まった1920年代のパリの活気を伝えながら、どこか寂寥感があるのはもう二度と戻れないあの時代、あの場所への喪失感が根底にあるからなのかもしれない。パリは、確かに不思議な磁力を持った街ではある。
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もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、
その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。
パリはa moveable feastだからだ。
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言わずと知れたパパの遺作。真実でないって話しもあるけど、読み進むにつれ、ぐんぐんのめり込む魔力がある。特にフィッツジェラルドとの交友に関しては特に面白かった。
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「きみが幸運にも青年時代にパリに住んだとしたら、
パリは一生きみについてまわる
なぜならパリは移動祝祭日だからだ」
この言葉がずっと頭の片隅にあった。読んだこともないのに。
で、パリ滞在中に読まなくては!と思っていたが、結局、GWの旅行中に読むこととなってしまった。
ヘミングウェイが自殺して亡くなる前に、30年以上前の話を思い出して書いている。最初の妻との幸福な話や、パリで知り合った有名人、パリの街の情景などなど、活き活きと描写されててなかなか興味深かった。
結局、彼は4度の結婚を繰り返したのだが(大体、自分の浮気のせい)、最初の妻との思い出を残したのだろう?最初の妻も現在の妻も困るだろうに。結局、才能ある人も「若い頃は良かった」と感傷にひたってしまったのかしら...?できれば、ずっと今が一番いい!と思えるように生きていきたいものです。
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ヘミングウェイの移動祝祭日は、彼が死の間際まで書いていた。
内容は、彼が作家として仕事を始めた若い頃、パリで前妻と生活していた頃の話。
短編集「我らの時代」とか、「日はまた昇る」を発表した頃らしい。
以前、読んだとき、とてもおもしろかった覚えがあって、今回、新潮文庫ででたので、わくわくして読み直した。
アレイスター・クロウリーが出ていたことは覚えていたけど、一瞬だった。
ジェイムス・ジョイスとかフィッツジェラルドも出ていて、おもしろい。ほかに僕の知らない作家、芸術家が大勢でてくる。知っている人には、もっとおもしろいんだろうな。
けど、僕が一番おもしろいと思っているのは、「書くことについて」書かれている部分かなと思う。
「形容詞」のこととか、どんなふうに書いているのかとか、手本にするわけではないけど、どんなことを考えて書いていたのかを知るのは楽しい。
そういえば、最初の何作かが発表された頃か、評価され始めた頃か、彼の原稿が全部盗まれたことがあるらしい。数作だけ残ったそうだけど。そのもどかしさ、わかるなあ。
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「日はまた昇る」の短編集様な感じです。
ヘミングウェイの文体や傾向はつかめる様な気はします。
「老人と海」はまた別なので。一応w
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いちばん長い「スコット・フィッツジェラルド」の章が読ませる。
それにしても、この本はヘミングウェイが晩年に若き日を回想して書いたものだと、解説を読むまでわからなかった。とてもそんなふうには読めなかった。
セーヌ河畔の美しい風景と感傷が書かれた「セーヌの人々」の章も秀逸。
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三連休が終わった。地下鉄の中で、Siri HustvedtのThe Blindfoldを読んでいた。地方からニューヨークに出てきた19世紀英文学専攻の女子大学生が、生活のために、不思議なバイトをするという出だしだ。彼女の英語は明晰で、とても読みやすい。
死んだ若い女の遺物についての観察をテープに吹き込むという奇妙なバイトだ。遺物が、本当の物になってしまう前に、その息吹を記録するという作業。囁き声でという注文。
The whisper is essential, because the full human voice is too idiosyncratic, too marked with its own history. I’m looking for anonymity so the purity of the object won’t be blocked from coming through, from displaying itself in its nakedness. A whisper has no character.
(囁くことが大切なんです。人間のはっきりとした声はあまりに、その人固有のもので、声自身の歴史にようなものが刻み込まれています。対象の純粋さが、裸のままで、現れてくるのを妨げないために、私には匿名性が必要なのです。囁きには個性がありません。)
不思議なトーンが、今日の東京のぼんやりとした灰色に似あっているような気がした。
ヘミングウェイの移動祝祭日(movable fest)を、昨日の夜、読み終えた。
この無敵のタイトルには、昔から強くひかれつづけてきた。でも、読むのは今回が初めてだ。1Q84、グレートギャツビーとのChain Readingの中で、フィッツジェラルドの件が読みたかったのだ。ただ、題名ほどは、冴えた読後感はなかった。フィッツジェラルドに対する彼の記述には、Fairであろうとすることや、一種のinferiorityやら、負債感がブレンドされた奇妙な味わいがあった。
ただ、フィッツジェラルドの章の最初にエピグラムのように書かれた、ヘミングウェイの文章はとても美しく、その部分だけには、素直な、彼の感情が露出しているような気がした。
「彼の才能は蝶の羽根の鱗粉が綾なす模様のように自然だった。ある時期まで、彼は蝶と同じようにそのことを理解しておらず、模様が払い落されたり、損なわれたりしても、気づかなかった。のちに彼は傷ついた羽根とその構造を意識し、深く考えるようになったが、もはや飛翔への愛が失われていたが故に、飛ぶことはできなかった。残されたのは、いともたやすく飛ぶことができた頃の思い出だけだった。」(高見浩訳)
彼の文学的才能に嫉妬し、夫の失敗を求める妻ゼルダ。文学的創造の泉としてゼルダを必要としながらも、その無軌道さ故に、長編小説というものに代表される文学的達成から不可避的に排除されていくスコット。そういった無軌道な乱舞の中から生み出されたグレートギャツビーという古典。スコット・フィッツジェラルドの文学が、自分の作品よりも長い生命を持つことへの、苦い確信を持っていたはずのヘミングウェイのこの回顧録は渋滞し、混乱している。その中で、唯一、このエピグラフだけは、彼の純粋なスコット・フィッツジェラルドという作品への愛情に満ちているような気がする。
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ヘミングウェイが最晩年にパリ時代を回顧した自伝というか交友録というか自伝的短編小説というか、まあ、どう読まれようと彼の巧さに変わりはない。「a moveable feast」というのは「パリ」の比喩。「牡蠣には濃厚な海の味わいに加えて微かに金属的な味わいがあったが、それを白ワインで洗い流すと、海の味わいと汁気に富んだ舌ざわりしか残らない」という意見には賛成出来ないけれど、そんなことは彼にもわかっていたはずで、よくもわるくも、それがヘミングウェイ。
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毎日がお祭り騒ぎ。第二次世界大戦終了直後のパリは、アメリカ人のヘミングウェイにとって、まさに「移動祝祭日」でした。この本はヘミングウェイがパリ生活の折々に書き連ねた雑文を回想記としてまとめようとしていたもの。しかし本の完成を前に、ヘミングウェイは猟銃自殺を遂げてしまいます。その後メアリー夫人が中心となってなんとか形にしたもので、移動祝祭日というタイトルも「もし、きみが、幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ。」という文章からとられました。
この時期、アメリカから渡ってきた「異邦人」たちにとって、パリはパラダイスのような場所でした。第一次大戦後インフレが急速に進み、たった5年でドルは10倍近い価値を持つようになります。記者として赴任した当時貧乏だったヘミングウェイも、徐々にパリを楽しむようになり、周囲の芸術家たちと刺激的な日々を過ごしていたのです。
いまのパリは、当時とはずいぶん様変わりしてしまいました。しかし「花の都パリ」の神通力は決して衰えていません。ヘミングウェイの弁を信じるなら、できるだけ早い時期(若い時期)にパリを訪れるべきでしょう。その日から、自分にとっての移動祝祭日が始まるのですから。
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齢40過ぎにして、はじめてヘミングウェイを読んだ。時に狭小、時にフランク、そして万年腹ぺこボクサー。天才然としていない普通の人っぽくて好感が持てた。
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生前未発表で、1964年(ヘミングウェイは1961年に自殺)に発表された、
ヘミングウェイの事実上の遺作とされている本書。
「やるべきことは決まっている、ただ1つの真実の文章を書くこと、
それだけでいい、自分の知っているいちばん嘘のない分文章を書いてみろ」
を信条に、愛妻ハドリーとともに短編作家として駆け抜けた1920年代の回顧録です。
早朝からお決まりのカフェで執筆に没頭し、午後はハドリーとむつまじく過ごす生活。
そんな生活は質素だったが、彼らは幸福を存分に享受していた。
しかし、やがて注目を受け始めた彼は、「パイロット・フィッシュ」に導かれ、
この幸福な生活に幕を降ろすこととなる。
「日はまた昇る」「老人と海」などで名声を得た後、死の直前に、
このように幸福な情景を容易に想像させる回顧録を執筆できるということは、
彼にとってこの時期は、宝物のような位置づけになっていたのだろうか。
だとすれば、それを崩壊させたという「パイロット・フィッシュ」の存在には、
十分に注意を払いたい。(払えるものなのかはわからない。)
以前読んだ「頂はどこにある?」で述べられていた、まずは現実を直視し、
「真実は何か」を問うこと、これが大事なのかな、とも思った。
なお、「グレートギャツビィ」のスコット・フィッツジェラルドとの対話や旅行記は、
描いていたフィッツジェラルドのイメージ(何にも基づいていないが)を壊しました。
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一言でまとめてしまえば、「その昔、ごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である」という最後の一文が当てはまる。有名になる前の、1921年から26年までのパリでの生活を綴った本。実質的な遺作だという。
当初、ヘミングウェイは文学修行の場としてイタリアを考えていたが、シャーウッド・アンダスンに諭されてパリに住むことになった。書店兼図書室のシェイクスピア書店店主のシルヴィア・ビーチの厚意で、入会費もままならない状態のヘミングウェイは各国の文学作品に接することになる。
先日読んだ「シェイクスピア&カンパニーの優しき日々」の流れで読んでみようと思ったのだが、後半の三章はパリで出会ったスコット・フィッツジェラルドとゼルダ夫妻に割かれていて、たぶんここがこの本のハイライトなのだろう。
酒に溺れる生活から抜け出そうとするスコットと、逆に引き戻すゼルダ。世間の風潮にあわせて軽妙にアレンジするスコットと、その俗っぽさを批判するヘミングウェイ。注釈や解説も丁寧で、当時のパリの模様が頭に浮かんでくる。もっとも、「この本はフィクションと見なしてもらってもかまわない」そうだが。