紙の本
読みかえす喜び
2009/07/03 08:24
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前福音館書店の編集者であった菅原啓州氏が児童作家石井桃子の思い出を語るという講演を聴いたことがある。そのなかで菅原氏は「編集者は自分の作ってきた本について語るべきではない」旨の話を冒頭にされた。家にたとえて、「できあがった家がすべて」と話されていたのが印象深く残った。
元文藝春秋社の編集者で自ら須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』と『ヴェネツィアの宿』ができあがる現場にいた、本作の著書湯川豊氏もその編集者としての倫理を崩していない。
「私は、本ができるまでの舞台裏を書く気はない。一冊の本ができるまでには多かれ少なかれ曲折がある。その曲折なるものは、できた本のなかに、この場合は須賀の文章のなかにすべて含まれているはずだ」(35頁)。
これは本作に出てくる湯川氏の言葉だが、こういう清清しい心構えが、生前にわずか五冊のエッセイ集を出しただけにも関わらずいまなお多くのファンをもつ須賀敦子の魅力を一層際立たせてくれる。
須賀敦子の魅力はなんといってもその文章の巧さであろう。
関川夏央はかつて「須賀敦子はほとんど登場した瞬間から大家であった」と書いたことがあるが、この美しい日本語と背筋のとおった力強い文章の書き手が『ミラノ 霧の風景』でデビューした時すでに六十を越えていたことは関川でなくとも読書界にとって大きな驚きであった。
湯川氏も本作の中で「きわめて洗練されていながら論意的な強靭さを秘めている文章」(9頁)「文章の息が長く、ゆったりしていること」(56頁)「類まれなといっていいほどの、趣味のよさ」(159頁)など、くりかえし須賀の文章の魅力について語っている。
「須賀敦子を読む」ということは読書の快楽なり愉悦を満喫することにちがいない。
湯川氏は「須賀のエッセイは、内に「小説」を秘めているとも」いうべき、きわめて独創的な作品」(161頁)であり、「エッセイという私的な形式で文章を書きながら、自分の個性によりかかっていない」と評価している。その上で、須賀敦子は「小説」を書こうと願ったのではないかと推論する。
もし、須賀敦子が「小説」を書いたとすれば、その作品はどのような言葉たちによって紡ぎだされただろうか。
残念ながら私たちは須賀の「小説」を読むことはできないが、須賀敦子は何度でも読みかえすことができる。
なんという、仕合わせだろう。
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須賀敦子のどこが魅力かをあらためて探る【赤松正雄の読書録ブログ】
気がついてみたら、ほとんどこの人の作品を読んでしまっている。彼女が亡くなって10年。最近では、いわゆるガイドブックの類いまで読んでいるから、我ながらその入れ込み方は尋常ではないと思う。この度も、極め付きの案内書を一気に読み、いま余韻に浸っている。湯川豊『須賀敦子を読む』である。
須賀敦子さんのものを読むようになったのは、かれこれ10年前、その死の直後くらいからだ。湯川さんと言う人は、かつて編集人として須賀さんを担当。いまは、大学教授。たまたま9日の聖教新聞の文化欄に、「須賀敦子を読み解く」とのタイトルで、著者インタビューが掲載されていた。そこでは、「エッセーという枠組みの中で、ヨーロッパの小説技法を徹底的に使いこなしている」ことが、須賀敦子の魅力の中核にあるというのだが、あまり意識したことはない。
ミラノ、コルシア、ヴェネツィア、トリエステ、ユルスナールと地名が冠せられた五冊のエッセイ集。これらのひとつひとつを溶き解いてくれ、余すところがない。「須賀のエッセイは、人や事物、あるいは本の世界を語るときでも、具体的な物語をつくっていて、抽象的な思索に傾くのを拒んでいる」との指摘がなされる。そのあとで、同じように異国体験をエッセイで表現した森有正のものが「きまじめな人生論に傾いてゆく気配を示した」のと対蹠的との捉え方が提示されており、興味深い。
須賀敦子の魅力を私はどう感じて今まで読んできたのだろうか。カトリック信仰者としての実践活動と、「書くという私にとって息をするのとおなじくらい大切なこと」との両立を意識して、未完のままに終わった「アルザスの曲がりくねった道」のくだりがヒントを与えてくれた。「文学と宗教は、ふたつの離れた世界だ」が、「もしかしたら私という泥のなかには、信仰が、古いハスのタネのようにひそんでいるかもしれない」と須賀敦子は晩年に書いた。いままでの仕事はゴミみたいなもんだから」と、死の直前に語ったという彼女の言葉が紹介されている。恐らくは「信仰と文学」を初めての小説という形態で表現しようとしたものと思われる。こうした確かなる信仰に裏付けられた、一途なまでの書くことへの執念こそ、私が感じてきた魅力に違いない。この解説を持ってひとまずは私の「須賀敦子読書行」も区切りにしたい。
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(2009.12.22読了)
須賀敦子の文章を読むとその文章の不思議な魔力に魅せられ、たちまちにその虜になり、ファンになってしまう。僕もその一人です。
この本の著者は、文芸春秋に勤めていたときに編集者の特権を活かし、須賀さんに会い、「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」の出版を担当した。何ともうらやましい限りです。僕が須賀さんの本を読んだのは、2003年ですので、すでに須賀さんは、あの世に旅立った後でした。何とも残念なことです。でも、著作は残りました。
まだすべてを読んだわけではないので、まだ新しい話が聞けます。
この本では須賀さんが生きている間に出版した5冊の本「コルシア書店の仲間たち」「ミラノ 霧の風景」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」と書きかけの「アルザスの曲がりくねった道」を読みながら、そこに何が書かれているのか、何を書こうとしたのか、何が書かれなかったのか、どのような表現方法をとっているのか、等、が書かれています。
須賀さんの著作を読むだけではわからないことが書いてあります。興味深く読めました。
●コルシア書店(11頁)
「生きるエネルギーの大半」を注いでいたというコルシア書店の活動に、須賀敦子自身がどうかかわっていたのかについて、この本ではほとんど語られていない
コルシア書店が「それ自体の歴史と思想」を持つという、その歴史と思想もまた明確に書かれているわけではない
●ナタリア・ギンズブルグ「ある家族の会話」(19頁)
自分の言葉を、文体として練り上げる。無名の家族の一人ひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている。
これは須賀敦子のエッセイの手法そのものではないか。
●「コルシア書店の仲間たち」(42頁)
一つの時代の、仲間たちとの日々をほとんど現在形で再現し、そうすることで須賀はその日々をもう一度生き直した。書き終えたちょうどそのときに、主人公ともいえるダヴィデ神父の死の知らせを受ける。
●須賀さんの文章の特徴(56頁)
一つは、文章の息が長く、ゆったりしていることだ。寄せては返す波のような呼吸がある。
二つ目の特徴は、カタカナの多用ということである。これは望んでそうすることではなく、西洋の人や物を語る対象にした場合には誰にも避けられないことだ。
私たちは須賀の文章の気品と優雅がカタカナに妨げられているとはほとんど感じない。
●「ヴェネツィアの宿」(73頁)
「ヴェネツィアの宿」は、雑誌『文學界』に1992年9月号から93年8月号まで1年間にわたって連載された。そして連載時のタイトルは「古い地図帳」だった。
古い地図帳と言うのは、父親が死の間際まで見ていた「戦後すぐにイギリスで出版された」地図帳のことだった。
父親のこと、そして父親と自分との関係を書くことがテーマとしてあった。
●パリ留学(94頁)
ヨーロッパに来たのは、文学の勉強をするためだけではないはずだった。戦後の混乱の中で両親の反対をおして選びとったキリスト教を、自分のこれからの人生の中でどのように位置づけるのか、また、ヨーロッパの女性が社会とどのようにかかわって生きるのか、学問以外にも知りたいことが山のようにあった。
●傘(130頁)
イタリアでは、学生を含めて、生活がぎりぎりという階級の男たちは傘を持っていない。
●貧困(153頁)
私は「トリエステの坂道」の家族の肖像の中に、貧困に対してたじろがない、また貧困を観念的に論じようとしない須賀敦子を見た。そのような姿勢は、須賀が長い時間をかけて身につけたものであり、おそらくは須賀の信仰に深いところでかかわっている。
●須賀さんのエッセイ(161頁)
須賀のエッセイは、内に「小説」を秘めているとも言うべき、きわめて独創的な作品である。
●影響を受けた作家(182頁)
ナタリア・ギンズブルグ、プルースト、ユルスナール、シモーヌ・ヴェイユ
☆須賀敦子の本(既読)
「ミラノ 霧の風景」須賀敦子著、白水Uブックス、1994.09.30
「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子著、文芸春秋、1992.04.30
「ヴェネツィアの宿」須賀敦子著、文春文庫、1998.08.10
「トリエステの坂道」須賀敦子著、新潮文庫、1998.09.01
「ユルスナールの靴」須賀敦子著、河出文庫、1998.10.02
「遠い朝の本たち」須賀敦子著、ちくま文庫、2001.03.07
「地図のない道」須賀敦子著、新潮文庫、2002.08.01
著者 湯川 豊
1938年、新潟市生まれ
1964年、慶応義塾大学文学部卒業
1964年、文藝春秋に入社
「文學界」編集長、同社取締役などを経て、
京都造形芸術大学教授
(2009年12月23日・記)
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須賀さんのエッセイは、
読んでいると時々、小説を読んでいるような感覚におちいる。
この本の著者は、須賀さんの第2作『コルシカ書店』を担当した編集者。
本作りの裏側を描くのではなく、
あくまでも須賀さんの文体について、深く読み込んでいる。
須賀さんの言葉
「書くという私にとって息をするのと同じくらい大切なこと」
湯川さんの言葉
「結局のところ作家は文章のなかにしかいない」
「『文は人なり』というけれど、ある意味では『文は人以上』なのである」
著者の須賀さんへの敬愛の念が心に沁みるいい本だ。
また須賀さんの作品をじっくりと読みたくなる。
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今、集中して読んでいる須賀敦子さんに関する本。
どうして私が須賀敦子さんの文章に惹かれたのか、すっきりとした文章で解説してくれます。
時折難しい単語があり辞書を引きましたが、読みが難しい熟語もあり、ちょっと苦戦しました。
著者や作品の背景を知ることが出来ると、改めて作品を読み返したくなります。
須賀敦子さんを読む良い手助けになる本。