紙の本
日本は冷たい国かもしれない
2009/09/11 08:19
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
非漢字語圏から初めて「文学界」新人賞を受賞し、その後芥川賞の候補ともなった、イラン生まれのシリン・ネザマフィさんの二編の短編が収録された一冊である。
『白い紙』(「文学界」新人賞・芥川賞候補作)は、芥川賞の選考委員から「文章がたどたどし過ぎて」(山田詠美)などと酷評されたが、この国の視点ではない、別の文化圏からみたこの国の姿を今後も期待したいところである。
物語は、イラン・イラク戦争下でのイランの地方都市の高校生男女の幼い恋愛を描いたものだが、戦争や宗教や民族といった現代の日本ではなかなか理解しづらい世界にあって、主人公たちの淡い恋愛はどこかで『野菊の如き君なりき』(伊藤左千夫)のような甘酸っぱさを感じるし、国のために戦争へと向かう青年ハサンにしても、なんどもこの国にあって製作されてきた戦争映画の、若者が常に犠牲者であるような図式に見えてしまう。
ネザマフィさんは日本に住んで十年あまりだというが、この国のそういう型の表現方法が余分な力を彼女に与えている。
もし、この物語を彼女が母国語で描いたとすれば、主人公の高校生たちの性格形成ふくめて、まったく違うものになったのではないだろうか。その時、主人公たちのもっている紙は、「白い紙」ののっぺりさではなく、もっとざらざらとしつつも、自分たちの「色」の紙だったような気がする。
もう一篇、『サラム』(留学生文学賞受賞)の方が作品の出来としては上かなと感じた。『白い紙』のあとの作品かと思ったのだが、こちらが『白い紙』(2009年)より二年ばかり早い。
主人公はアフガニスタンの言語ダリ語を話せる中東からの留学生である女子大生。難民認定のための通訳のアルバイトでアフガンの少女レイラと知り合うことになる。2001年に同時多発テロ事件が起こって、急速に悪化していくアフガニスタン事情と相まって、少女レイラはアフガンに「強制送還」されていく。
難民の受け入れに慎重である日本という国を、ディズニーランドからの帰りで談笑する家族の肖像にだぶらせた著者の、まちがいなくこの国の人間ではない視点で、この国の薄っぺらさを描いた一篇である。
ちなみに「サラム」とは、「平和」という意味らしい。
◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でご覧いただけます。
投稿元:
レビューを見る
ちょっと類別が分からなくもないけど、
もとから日本語だから日本文学。
ニュースになってたから気になってて、
本屋さんでたまたま見つけたから読んでみた。
なんだか、言葉に出来ない。
投稿元:
レビューを見る
今だ平和の兆しの見えない地域に住む、私。
イスラム教の男女のあり方に少し怯えながら、
同じ学校に通うハサンにほんのりと思いを寄せる。
しかし、ある事を切欠に医者を志していたはずのハサンは
戦場へ向かう選択をする事に。
戦場に生きる子供達は、真の意味でまっさらな「白い紙」と
言えるのか?
少年と少女の少し距離のあるやり取りが初々しく、
かつイスラム教の行事やその様子、日常生活の
描写なども生き生きと書かれている。
投稿元:
レビューを見る
今年上期の文学界新人賞を取った小説です。作者のシリン・ネザマフィさんはイラン・テヘラン生まれ。日本の大学を出て、日本企業に就職し、システムエンジニアをされている30歳の中東美人です。日本語で書かれていますが、舞台も登場人物もイランです。イラン・イラク戦争を背景に、一人の少女の淡い恋と別れ、そして戦争と人の運命を描いたものです。
基本的には僕はけっこう好きですが、物足りないと言えば確かにその通りかな、と思います。好きだというのは、読みやすいということ。少女の視点から一方的に書かれていますが、『私』という主語はほとんど出てこない。そのため、文章は非常に軽く、さらりとしすぎかな、と思います。日本語を母国語としない方が書いたわりには、文章は上手です。僕よりよっぽどうまい。たいしたものだと思いました。ただ、せっかくイランの方が日本人に読ませようと思って書いたにしては、イラン人が書いたという意味が、そして日本人に読ませる意味が、薄い。たまたま日本語で書いた、たまたま日本にいたから、そうした、というような気がします。もったいないな、と思います。
でも、彼女は今ドバイにいるそうです。日本企業に努めているので、いずれ帰ってくるのかもしれませんが、これからも日本人向けに書いてくれるのかどうか、わかりません。できれば読者に選ばれたいですね。期待しています。
投稿元:
レビューを見る
イラン生まれの作者!アジア圏の人間でもないのに、日本語で小説を書いている・・もうそれだけで興味津々。
内容も日本人にはなぞの多い中東のお話でなかなか興味深く読めます。
個人的にはサラムが好き。アフガニスタンの難民の少女の話です。泣けます。
投稿元:
レビューを見る
日本語で書かれているので忘れそうになるが、イラン生まれの彼女が日本語で書いたという点に評価があがるのは当然でしょう!
エキゾチズム小説として経験値も書かれているとすれば、その分は実体験だから整理して日本語で書けばよいものなんでは? と、この手の小説を読むときにはつい感じてしまう。
それにしても才色兼備ってこういうことよね。個人的には意味深く、普通に読めました。
投稿元:
レビューを見る
新聞の書評を読んで、去年から気になっていた本。『白い紙』、『サラム』のどちらもズシンと胸に残るものがあったが、どちらかと言うと私は『白い紙』の方が好きだ。
物語の冒頭で、先生が生徒たちに「誰もが持つ白い紙に豊かな人生を描け」と言う。その白い紙と、モスクの地下で回された、兵士入隊のための白い紙は同じものなのだろうか。言葉では都合のいいことを言っておきながら、実際大人が子どもに突きつけているのは、後者の白い紙なのでは。。と、読後ぼんやりと考えてしまう。
投稿元:
レビューを見る
この歳になっても「白い紙」のつもりでいられるこの国に生まれたことの幸せ、というより不思議さを直接心臓に訴えてくる本。
投稿元:
レビューを見る
イラン出身の著者が日本語でここまでの作品を作りだして人を引き寄せる作品の完成度に、とても感動した。
『白い紙』:文學界新人賞。
イラン・イラク戦争下での恋を描いている。
学びたいのに学べない、自分の気持ちより国として正義とは何かを考えるをえない状況。
ほんとに、日本はある意味能天気で平和な国なのかもしれない。
イスラムのことやムスリムのこと、女性の外での行動の規制などがよくわかる。
白い紙は、未来あらわす。
その真っ白い紙を何色に染めるかは
ほんとうに自分次第だなー・・・
『サラム』:留学生文学賞
9・11がおきた原因となるスンニ派とシーア派(少数派)のことが少し理解できた。
難民をどんどん受け入れればいいと思っていたが、
難民を受け入れることによってその国としての性格を大きく変えてしまう可能性があること、それによって差別や摩擦などさまざまな問題を引きおこす可能性があることに気づいた。
先進国を謳っている日本は、ほんとうにやるべきことを見極めなければならないと思う。
******************************
命をまず保障しなければいけない国が多い中で、
自分は教育という分野で何ができるのか。
それを考えていきたいなと思った、そんな1冊でした。
先輩のオススメの1冊でしたが、確かに悲しいお話ではあったけど
これからの自分の考え方にエッセンスとなった1冊で、
読んでよかったです。
投稿元:
レビューを見る
日本で日本語で小説を書くイラン人女性作家の初単行本。
表題作「白い紙」は、戦時下のイランの小さな町を舞台として、医者を志望する少年の運命が、語り手の少女の視点から語られる。
一方で、「サラム」は、日本に留学中の女性でダリ語というアフガニスタンの方言の通訳をしている女性が語り手であり、アフガンでタリバンに迫害されている少数民族に属する難民の少女が、日本で難民として受け入れてもらえるかどうか、弁護士の通訳として状況の推移を見守り、語っていくという内容になっている。
「白い紙」において、少年は大工の父親が戦争に行っているので、少年は戦争に行く必要がなく、大学に推薦で進学できる可能性があるといように、家族の犠牲の上に将来の希望が成り立っており、「サラム」において、少女は実際に迫害されており帰国すれば命の危険があるにもかかわらず、そのことを証明できないために、日本の入管に強制送還を勧告されているというように、戦争だけではなく、法の理不尽さが傷ついた人々をさらに傷つけている様が描かれてる。
「サラム」は、挨拶の言葉だが、運命を受け入れる言葉でもあると語る少女の姿は痛ましい。
どちらも現代の戦争が日常化しているイスラムの理不尽で不条理な状況を主題とする小説となっているし、イスラムの宗教や慣習がわかりやすく紹介するとともに、現代のイスラムのリベラルな若者たちのそれらに対する距離感が、日本の若者が日本の伝統に対するそれとさほど変わらない(と言っては言いすぎか)こともわかり、9.11以降の状況において、もっと広く読まれてよい小説だと思う。
とりわけ「サラム」は、人の移動や言語をめぐる状況がかなり複雑でねじれている様態を捉えたであり、イラン人女性の語り手が、難民化してるアフガン人がイランにも多く、イランでもよく見ていたにもかかわらず、日本で初めて通訳としてほんとうの意味で出会うというねじれも興味深い。
参考:「イラン人美女の成功物語(シリン・ネザマフィさん)」by YUCASEE MEDIA (http://media.yucasee.jp/posts/index/1770)
「『サラム』『白い紙』は主人公はいるのだが、不思議なことに主語がない。母国語のペルシヤ語でも使わない手法だという」という辺りは興味深いと思う。
参考:岡真理『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008.12)http://amzn.to/gmAd7S
投稿元:
レビューを見る
「白い紙」「サラム」いずれにおいても、3月11日以降に読んだからこその感覚に晒された。
触覚が麻痺して痛みさえ感じられない。
絶望という名の風船が膨らんで今にも破裂しそうである。
投稿元:
レビューを見る
戦時下で生きることを知っている人だから書ける作品2編が収録されています。どちらも苦い結末で、特に『サラム』のほうは読むに従ってページをめくるのがつらくなっていきました。全くの偶然ながら読了したのが9月11日でした。
言葉の使い方に引っかかる部分もありますが、力強さを感じる文体でした。今後どういう作品を書いていかれるのか気になります。
投稿元:
レビューを見る
紛争国にいる人びとにとっても、紛争の無い国にいる人たちにとっても、お互いの国が同じ地球上に存在していることは信じがたいと思う。私たちにできることは、たぶんあるはずだ。
投稿元:
レビューを見る
文學界新人賞受賞作
芥川賞候補作
気になったので借りました。
ワンチャン書いたヤンイーさんと同じ道のりですよね、文學界新人賞、芥川賞候補、そしてヤンイーさんは受賞に至ってますが。
母国語とは違う言葉で書き綴る自分の国のこと、イランテヘランでのこと
思いの外話しに入りやすく、また言葉がね綺麗で哀愁漂っててね。
サラムは留学生文学賞受賞作。私はサラムより白い紙のが好きかな
でも、これを日本人が書いていても同じ評価にはならないと思う。母国語でない言葉で書いたからというのも評価に繋がっている気がしちゃいました
角田光代さんの書評から抜粋
――手を引かれ案内されている場所が、ちいさな狭い場所ではなく、未知の場所だとわかる(もちろん異国という意味での未知ではない)。一人称をいっさい使わないことで、作者は小説と格闘している。
投稿元:
レビューを見る
なぜこのテーマを日本語で書かなければならないのか?
それが見えそうで見えないところが、この作品の魅力のひとつなのかもしれない。