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紙の本
古井 由吉の本だから、淡々としたつまらない日常が、あるいは高尚な話ばかり出てくるのかと思ったら、全くちがって、無論、フツーではあるんですが、これがなかなか面白い、老人が死ばかり考えている、っていうのは周囲の思いこみかも・・・
2010/11/27 10:39
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
本のカバーに切れ目をいれて、本の表紙を見せる、珍しい手法ですが初めてみるものというわけではありません。菊地の装幀でみるのは初めてかもしれませんがミルキィ・イソベの仕事では何回か見ていますし、昔読んだ米澤敬『変』もそうでした。これが函に切れ目、となるともう少し増えて、手に入りやすいものでは講談社のミステリー・ランドや『村上春樹全作品』などがあります。
でも今回は新潮社の本、しかも装幀が菊地信義で、見返し写真が平野光良(新潮社写真部)、著者が古井由吉となるとどうでしょう。何といってもスリットの入り方が面白いです。本の左を斜めに走ってカバーの折り返しの少し入る。おまけにです、そのカバーの紙色といったら実にこれが渋い。いや本の表紙のほうだってそうで、これこそ文藝の新潮社、純文学作家・古井のふさわしいものなわけです。それにこの技を入れる、唸ります。
ここで脱線です。今、確認のために米澤敬『変』を出した〈牛若丸出版〉のHPを見ていたんですが、ともかく面白い装幀の本ばかり出しています。どう面白いかもHPで本の写真をクリックすれば、その詳細を画面でチェックできる優れもの。で、やけに松田行正が装幀を担当したものが多いな、なんて思ってみていました。第一、2001年に米澤敬『変』を注文した時、出版社名をみて「ざけんな!」って思ったんです。なんだ会社に〈牛若丸〉はないだろ、って。
といっても、今年になって松田行正の『線の冒険』を注文しているんですけど。でも、社名については疑問に思い続けてました。で、今さっき、ネットで確認したんです。そこには1985年東京設立、なんと、グラフィックデザイナー松田行正主宰とあります。そして牛若丸の本について
「本総体としてオブジェらしい本である」「机や棚に置いてあるだけで存在感のある、手にとってみて、開いてみて手触りとともにオブジェとしか名状しがたいもの、本という形態を保ちながらも本を超えたと思わせるような、そんな本である。しかも、アーティストの作品集というよりは編集が思いきりなされていて明快な意図が流れていることが望ましい。」
なんてことも書いてあります。いやはや、です。『線の冒険』は内容はともかく装幀は普通。でも、米澤敬『変』は本当に、変でした。まさに「「机や棚に置いてあるだけで存在感のある、手にとってみて、開いてみて手触りとともにオブジェとしか名状しがたいもの」なんです。まず、京極夏彦なら当たり前ですが、この本も立ちます。凄い存在感。で、表紙に使われてる布がなんとも珍しい。で、表紙に穴が開いている。やっぱりオブジェでしょ、これって、なんて思いました、実際。
閑話休題、この本、自分の語ったことが本になって、あたかも自分の文章のようなことになっていることの不思議さを冒頭の「ゆめがたり」で書いていますが、基本的に全体を通して感じるのは古井の優しさです。どうも老い、というのとは微妙に違って、こう柔らかさとでもいうのか、たとえば原稿料についてもあっさりと書いてしまうのですが、それが決してギラつかない。もう自然たいなわけです。
どこにも大上段に「語ろう」なんていう気配が見えない。自然体なわけです。文学を語る、というよりは作家生活、自身を語る。就職してどんな暮らしをしていたかとか。無論、東大を出ているわけですからそれなりに順調ではあります。でも、東大の仲間の話よりは古今亭志ん朝や塩野七生と同じ高校にいたということのほうが面白い。隣のクラスの志ん朝はドラムをやりたかったとか、塩野は同級生で、結核のせいで一年遅れだったとか。それと生きかたです。張り切り過ぎるなと
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僕は、若い頃の貧しくて気ままな暮らし方を引きずったまま、たまたま生き延びた人間ですから、あまり参考にもならない考え方ですが、いくら社会に出て会社に勤めたとしても、日程をそうぎしぎしと固める必要はありません。自分の都合で固めたつもりでも、結局、会社や仕事の日程に合わせているわけでしょう。いま、いろんな職業で大事なことは、七分の真面目、三分の気ままです。どこか気ままな部分がないと、仕事もちゃんと身につかないものです。上役からやいのやいのいわれるかもしれませんが、三分くらいは遊んでいるつもりがいい。
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それから、ああ、と思ったのが日本の変化についてです。団地の登場を日本人の性生活と結びつけたのは初めてでしょうか。無論、洋風建築、個室との関連というのは以前から言われていましたが、団地を洋風生活と私などは認識していませんでした。
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戦後の日本人の生活は、それこそ根底からすべて変化しているんです。これまで、その変化を、あまり意識しないできているような気がします。それから、過去から現在に至るまで、どこかに断層のようなものがあると捉えている向きが多いようですが、断層ではなくて連続的な変化が、合わせれば大変化になっているんです。
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他にも日々の執筆時間や、ネットカフェ、草食系男子、携帯電話、文学賞を受けない理由、書評員制度と若くしてそれに選ばれることの問題点といった現在のことまで話は多岐にわたります。言及が多い作家は中上健次、三島由紀夫、大江健三郎、吉行淳之介、島田雅彦、第三の新人で、中上がいつまでも新人扱いされることについての指摘もですが、村上春樹について
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村上春樹さんの小説が相当な売れ行きをみせはじめたのの、バブル期のことでした。僕はデビュー前に、一度だけ会ったことがあります。人柄はとても地味そうで、時計屋さんのように、店先にじっと座って作業しているような雰囲気でした。ところが、スターとなると同時に世間から自分の姿をくらましてしまいます。不思議な現象です。
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ともかく、これ読んじゃうと文学者って食べていけるじゃない、なんて間違った考えを持つ人がいるんじゃないか、って心配してしまいます。でも古井、東京大学大学院独文科卒なんです。やっぱり東大卒っていうのは、違うんです。なにより、周囲の見方が。特に、古井が生まれたのが1937年です。その頃の東大出(1950年代入学)はやっぱりレア。東大出、っていうだけで就職ができ、半ば遊んでいてもお給料がもらえる。そういう人の人生を、今の人は真似ちゃいけません。できっこない。
で、本書の成り立ちを注意書きで確認すれば
・本書は、古井由吉氏からの聞き取りをもとに編集部が文章を再構成し、著者校正を経たものである。
・第一章―2008年8月4日、第二章―08年10月10日。第三章―佐伯一麦氏が同席し08年12月3日。第四章―早稲田文学/下田桃子・西条弓子・横山絢音・市川真人各氏が同席し09年3月23日。第五章―讀賣新聞/鵜飼哲夫氏が同席し09年5月27日。第六章―島田雅彦氏が同席し09年7月7日。
とあります。ほぼ一年にわたって行われた聞き取りをまとめたものなんですね。
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