紙の本
私にとっては5年ぶりの古井由吉
2011/01/04 18:23
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
一気に読ませるだけでなく、そのほとんどの部分が諄々とこちらにしみわたる圧倒的に面白い本だった。語り手=著者(全篇が「聞き取りをもとに編集部が文章を構成し、著者校正を経たもの」と巻末注にある)は《でも、面白いというのはどういうことか。面白くないものほど面白いということもあるんです》と言うが、著者のある種の小説にある退屈のなかの手ごわい面白さとは異なり、平明な語りに直結した単純な面白さが、ここにはある。その意味において、この本の面白さは、同じようなことを著者がエッセイのかたちで述べたものをさらに超えている。
読みながらいろいろ考えたが、マルクスとフロイト、という象徴的な名が浮かんだ。マルクスでは片付かない時代であることは分かるし、フロイトもすべてに通用することなどありえないだろうが、時代、とりわけ経済が人の生におよぼす決定的な影響を語り、また人生のなかにおける性にあらゆるかたちで接近しようとする姿勢には、著者の得意な言語圏における二人をイメージせざるをえなかった。
しかも著者はその二人の名を一切、口にのせることなく(そんなことをしたら幻滅だ)、日本のどの書くひととも異なる想像力をもって、自分の経験、見たもの、聞いたことから、すべてを語る。
あるいは古井由吉はマルクスとかフロイトなどを意気込んで読んではいないかもしれないが、人間の生をごく自然に考えるにあたって、時代、経済というものを視野におさめながら、もう一方で、性というもののまとわりつき方を思案する彼の姿に、なんとなくこちらが二人の名をイメージしただけなのか。
それにしても私がこの本を面白く読んだのは、ずっと著者のファンでありながら、ここ数年なぜか著作にご無沙汰していたためもあろう。
1970年代に著者の小説を読み始めたとき、まだ本に収められていない大学の紀要に掲載されているドイツ文学論を探したり(そのとき同じ紀要に蓮實重彦の論文もあった)、ムージルどころかブロッホの『誘惑者』という長大な翻訳さえも読んだりした。その後も、芥川賞選評やさまざまなエッセイなど単行本未収録の文章を図書館の雑誌を借りては、せっせと読み続けた。
本になったものは残らずといっていいくらい読んでいたが、正確にいうと2005年の『詩への小路』から、ぷっつり読んでいない。その後の『辻』『白暗淵』『やすらい花』だけが、私が読んでいない著者の小説のような気がする。
一筋縄ではいかない文体のために、そうした小説の単行本を1日で読むことは不可能だが、本書は昼間の読みかけを横になってから読了できた。その易しさと、また面白さがあったからだ。
古井由吉の熱心な読者だから面白いということはあるにしても、まったく彼の本を読んでいない読者に、古井の世界への案内になるような本と言えるだろうかと、ふと思った。だが少なくとも私にとっては、しばらく読んでいなかった著者の本をまた読もうと思わせた。著者の未読の小説をじっくり味わうことは私のこれからの人生の楽しみの一つ、そんな感じさえする。
さて本書においては短いスペースのなかに重要なことのすべてが語られているといっていい。恋人であり後に結婚した相手のことも、さりげなく話題になる。まったく語らないことも語りすぎることもなく、きわめて自然なかたちで。
私はこれまでに古井由吉が書いたもの語ったもの(対談など)だけでなく、彼について書かれたものも可能なかぎり読んでいた。
そのなかに大学時代の古井由吉の師であったらしい手塚富雄が古井由吉作品集(ある時期、それまでのすべての小説を7巻におさめた本が出た)の月報に書いた「古井君の日常性」が、後に奥さんになった女性のことにふれていて興味深い。《東大大学院独文科の出身》の《睿子さん》は《物静かで》、《おりおり向ける眼が澄み徹っていて、たいがいのことは見抜かれてしまいそう》であり、そんな女性であるから、作家以前の存在だった古井君の《人間力を見抜いていた》、という文章だった。
この本はインタビュアーの言葉は消去されているが、一種のインタビュー構成の本であろう。その点で昨年『考える人』に掲載された村上春樹の3日間がかりのインタビューと比較できる。だがこちらは1年近くのなかで5回にわたって、しかも異なる相手に対してのものでもあり、内容が濃いように思えた。
たとえば著者はこともなげに《いまの僕でも、「杳子」と競ったら、勝ち負けならば負けじゃないかと思います》と語るが、そのままには受け取りにくい言葉だという意味において、なんとなく納得できる。一方、村上春樹はあまりにも自身の小説に対して達成度の評価をはっきり、しすぎているような気がする。どんなことにおいても分かったと思うとき、人は何かを見落としているのではないだろうか。
最初に著者の言うことが諄々としみわたる、と書いたが、実はさまざまな違いも同時に感じている。階級、環境、時代の差がそうした差異を意識させるのは言うまでもないが、著者はそうしたことをわきまえた喋り方をしている。
ところで調べてみると古井由吉の小説は、ほんの少し英語、フランス語、ドイツ語に訳されているが、その数はとても日本文学における彼の重要性に比例しているとは思えない。とはいえ古井由吉の小説の言葉は、容易に外国に理解されないだろう。海外にも古井由吉のような小説家がいるのかと思うと、文学の底の知れなさに恐ろしくなる。
紙の本
古井ファンにとっては貴重な本です
2019/10/26 17:32
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
古井由吉の作家人生を語り下ろしたものです。書かれたものではないので、古井由吉の本にしては大変分かりやすいものになってます。珍しく社会的な事柄についても言及しています。古井ファンにとっては貴重な本です。
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なんと素敵な人なのでしょう。
様々な考察、大変面白かったです。
「読書」という行為を存分に愉しめました。
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前にある人が「文学とはエロスだ」というようなことを言っていて、その時は閉鎖的な囲いに違和感を感じ、「はぁ」とか「ふーん」だとか適当に思っていたのだけど、エロスに想いを馳せる古井の姿を見ていたら、あながちその通りなのかもしれない、とも思うようになった。しかしながら、この本の「人生の色気」という大きな題名から私が勝手に想像していた、終わりに向けた死の色気とは異なり、生への色気、続く色気であることに、男を感じさせるのだが正直少し物足りない。おせっかいながら題名を変えた方がいいと思う。
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http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/0159f0f2a244df3a55b696848936b633
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「男の性欲はしょうもないものだけれども、ある時期から衰えてきた。昔の流行歌で「男はみんなオオカミよ」というのがあったけれど、いまの女性は狼という感じは受けないでしょう。「草食系」とか呼ばれている男の子が増えているけれども、草食獣だって雄雌はあります。性の方は、肉食獣より激しいです。」(160-161頁)ここでの最後の一文に虚を突かれたのは私だけではないはず。少し吹き出しました。
いまや通念、あるいは常識と思い込まれているものが、実はほんの数十年のうちで大きく変貌していることを「普通に」語って聞かせる著者の恐ろしさ。裏の見開きにはパイプを片手に写る古井氏の静かな佇まい、その彼の口から性と生と死が絡み合う言葉の数々が紡がれているという事実、このギャップに背すじがぞっとし、それがまた痛快でもある。
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古井氏の作品で初めて読んだ。タイトルに惹かれた。エロスという言葉がでてくるが、今まで意識したことがない中で古井氏の言葉を読んでいくと、不思議と人生を有意義に過ごすための人間観が変化していくのを感じた。世代間のギャップを感じておられるようだが、本質的なところは現代にも通じると思う。
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教科書みたいに読みやすくて、きれいな日本語。
うまく説明できない、ある物事に対する
なんとなく感を、「あぁ、そう言えばいいんだ」、
「なるほど」と、教えてくれる。
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先日とある先輩に勧められたので読んでみました。
大学時代に芥川賞受賞作「沓子」を読んで以来です。
これは数年前に出版されたもので、語りおろしのエッセイのような体裁をとっています。大作家と思いつつ、金沢と立教での合計8年間の教師生活の話が「戦後」をリアルに描写している。
基本的に1人称なのですが、対談相手が結構大物だったりします。
古井由吉は70歳を超えた現在でも書き続いているのに驚きました。物事への距離のとり方が絶妙ですね。こんな風に歳をとりたいです。少年のような好奇心を内包しつつ、成熟と円熟を重ねること。なかなかそんな大人はみつからないですね。
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話し言葉を綴っているのに、言葉の豊かさはさすが。
人間は時代や社会と無縁に生きているわけではない。そんなシンプルなことを深く実感させられた。
自分の生きているこの時代をもっと深くとらえながら生きてゆきたいと強く思う。
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とても優しい語り口。
染みてくる言葉たち。
“読書は、自分を見つけることもできれば、自分を離れることもできるという、不思議な効用があります。”
“面白いことを追うためには、面白くないことにうんと耐えなければいけません。”
“七分の真面目、三分の気まま。
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古井由吉 著「人生の色気」、2009.11発行、今年79歳の著者、72歳の時の作品です。半生記であり、折々の思い、考え方が綴られています。戦後の解放感は、とにかく生き永らえたという深い実感から発してるそうです。そして、日本の戦後の発展は、野放図な活力と几帳面な律義さによると。人の耳をはばかりながらのセックスから団地という別天地が出現するも色気、エロティシズムはなくなった。緊張感のない時代に年をとるのは難しく、ちゃんと年を重ねているのは、田中角栄、大平正芳の世代まで。
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今年で80歳になる老作家・古井由吉さんのエッセー集。
濃密な文体の小説と違って、実に軽やかな筆運びです。
このことから逆に、小説に全精力を注いでいることが分かります。
「貧寒たる文学環境の中で、僕自身は、なるべく丁寧に言葉を綴る、というただ一つを心得にしてきました。」
と古井さんは書いています。
そうなのだろうと思います。
本書は、老作家の半生をつづった回顧録でありながら、優れた作家論、小説論でもあるように思いました。
たとえば、
「作家は、真のタブーを上手く避けながら表現することによって、文章の色気を出してきました。」
「いま、作家は例外なく端正で整った文章を書くでしょう。なぜ、もっと奔放にやらないのかと思っているんです。文法なんか多少無視しても、活力のある文章を求めた方がいいのではないか。『第一次戦後派』の人たちなんか、テニヲハなんて構っていられないぐらい、書く欲望に溢れていました。」
「最近ではもう、三枚書くと相当書いたという気になります。でも、三枚書くと、翌日はそのうち一枚は書き直しです。勢いの乗って書いた文章は、どうしても荒っぽくなってしまいます。」
「たとえ三十枚の短篇だとしても、途中で必ず行き詰まります。どうにも停滞したところから小説をどう展開するか、これは書いている人間の予測の外のことなんです。次の展開は、いままで書いた言葉の力に任せなければいけません。だから、じっと待っているんです。」
「待つために必要なのは、やはり、毎日少しでも書くことです。もし清書できないなら、粗書でもかまいません。まったく先に進まない日でも、何かを書いています。」
「やっぱり、ずぶの現役でやり続けなければだめになります。いままでの作品を積み重ねたその年金で、文学者が喰っていける世の中ではないんですよ。名声を積み重ねれば老後を楽に生きていけるという時代はとうに去りました。」
「『私小説』のように、省略し、切り詰められた色気の現わし方は、西洋の文学では少ないと思います。これは、日本の文学の秀でているところですよ。僕自身の場合でも、ある行為を正面切って書いた部分を消すことがあります。前後の雰囲気やニュアンスの方が大事で、それだけ書けば十分に表現できているんじゃないかと思う。」
ドキリということも随分と書いています。
たとえば、
「変な話ですが、日当が五百円の時と日当が千円の時では、読書の意味が違ってくるのではないでしょうか。時間が金に換算されるようになれば、読書という行為ほど無駄なものはありません。」
よく稼ぐ社長さんやビジネスマンたちは、なべて小説を読みません。
ぼくはそれを、金というリアルな現実と日々対峙している時に、虚構なんかに付き合っていられないからだと解釈していました。
もちろん、それもあるでしょう。
でも、古井さんの言に従えば違うんですね。
時給換算で5千円も6千円も稼ぐ人にとって、読書なんて無駄どころか利益をみすみす逸失しているようなものです。
「年配者の姿を見ていると、お焼香の姿がサマになっていないんですよ。不祝儀の場の年寄りの振る舞いに、男の色気は出��ものなんです。稚いというか、みんな形を踏まえていない、しわくちゃな振舞いになっています。」
というのも鋭い観察ですよね。
私はよく神事を取材しますが、玉串奉奠で形が様になっている人はこれまで一人もいませんでした。
名のある社長さんたちでも、ですよ。
もちろん、私も満足に出来ませんが。
近頃、色気のある人が少なくなったと嘆く古井さんの言葉に、静かに耳を傾けたのでした。
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2019.08.25読了。
今年29冊目。
古井由吉さん、恥ずかしながらこの本を手に取るまで知らなかったのだけどこのエッセイものすごく面白かった。
ー身のこなしが訓練されているかどうかと色気のあるなしに深い関係があるー
ものすごく共感した笑
純文学、年のとり方、性と死、町の昔の姿、男女の今と昔、女性の化粧などなど書かれてる全てが興味深かった。
便利になった分、失われたものがたくさんありすぎて悲しい。
古井さんの生きてきた時代に生きてみたかったなぁ。
そして純文学をあまり読んでこなかった私ですが、読んでみたい本ができたので少しずつ読んでいけたらと。
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人生の色気
(和書)2010年01月22日 23:58
古井 由吉 新潮社 2009年11月27日
mixiの足跡を辿っていった先でオススメされていた本です。
非常に面白かった。読み易いし、作家って何だろうと言うことに率直に答えていて読んでいて楽しい。