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16 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

私にとっては5年ぶりの古井由吉

2011/01/04 18:23

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一気に読ませるだけでなく、そのほとんどの部分が諄々とこちらにしみわたる圧倒的に面白い本だった。語り手=著者(全篇が「聞き取りをもとに編集部が文章を構成し、著者校正を経たもの」と巻末注にある)は《でも、面白いというのはどういうことか。面白くないものほど面白いということもあるんです》と言うが、著者のある種の小説にある退屈のなかの手ごわい面白さとは異なり、平明な語りに直結した単純な面白さが、ここにはある。その意味において、この本の面白さは、同じようなことを著者がエッセイのかたちで述べたものをさらに超えている。
 読みながらいろいろ考えたが、マルクスとフロイト、という象徴的な名が浮かんだ。マルクスでは片付かない時代であることは分かるし、フロイトもすべてに通用することなどありえないだろうが、時代、とりわけ経済が人の生におよぼす決定的な影響を語り、また人生のなかにおける性にあらゆるかたちで接近しようとする姿勢には、著者の得意な言語圏における二人をイメージせざるをえなかった。
 しかも著者はその二人の名を一切、口にのせることなく(そんなことをしたら幻滅だ)、日本のどの書くひととも異なる想像力をもって、自分の経験、見たもの、聞いたことから、すべてを語る。
 あるいは古井由吉はマルクスとかフロイトなどを意気込んで読んではいないかもしれないが、人間の生をごく自然に考えるにあたって、時代、経済というものを視野におさめながら、もう一方で、性というもののまとわりつき方を思案する彼の姿に、なんとなくこちらが二人の名をイメージしただけなのか。
 それにしても私がこの本を面白く読んだのは、ずっと著者のファンでありながら、ここ数年なぜか著作にご無沙汰していたためもあろう。
 1970年代に著者の小説を読み始めたとき、まだ本に収められていない大学の紀要に掲載されているドイツ文学論を探したり(そのとき同じ紀要に蓮實重彦の論文もあった)、ムージルどころかブロッホの『誘惑者』という長大な翻訳さえも読んだりした。その後も、芥川賞選評やさまざまなエッセイなど単行本未収録の文章を図書館の雑誌を借りては、せっせと読み続けた。
 本になったものは残らずといっていいくらい読んでいたが、正確にいうと2005年の『詩への小路』から、ぷっつり読んでいない。その後の『辻』『白暗淵』『やすらい花』だけが、私が読んでいない著者の小説のような気がする。
 一筋縄ではいかない文体のために、そうした小説の単行本を1日で読むことは不可能だが、本書は昼間の読みかけを横になってから読了できた。その易しさと、また面白さがあったからだ。
 古井由吉の熱心な読者だから面白いということはあるにしても、まったく彼の本を読んでいない読者に、古井の世界への案内になるような本と言えるだろうかと、ふと思った。だが少なくとも私にとっては、しばらく読んでいなかった著者の本をまた読もうと思わせた。著者の未読の小説をじっくり味わうことは私のこれからの人生の楽しみの一つ、そんな感じさえする。

 さて本書においては短いスペースのなかに重要なことのすべてが語られているといっていい。恋人であり後に結婚した相手のことも、さりげなく話題になる。まったく語らないことも語りすぎることもなく、きわめて自然なかたちで。
 私はこれまでに古井由吉が書いたもの語ったもの(対談など)だけでなく、彼について書かれたものも可能なかぎり読んでいた。
 そのなかに大学時代の古井由吉の師であったらしい手塚富雄が古井由吉作品集(ある時期、それまでのすべての小説を7巻におさめた本が出た)の月報に書いた「古井君の日常性」が、後に奥さんになった女性のことにふれていて興味深い。《東大大学院独文科の出身》の《睿子さん》は《物静かで》、《おりおり向ける眼が澄み徹っていて、たいがいのことは見抜かれてしまいそう》であり、そんな女性であるから、作家以前の存在だった古井君の《人間力を見抜いていた》、という文章だった。
 この本はインタビュアーの言葉は消去されているが、一種のインタビュー構成の本であろう。その点で昨年『考える人』に掲載された村上春樹の3日間がかりのインタビューと比較できる。だがこちらは1年近くのなかで5回にわたって、しかも異なる相手に対してのものでもあり、内容が濃いように思えた。
 たとえば著者はこともなげに《いまの僕でも、「杳子」と競ったら、勝ち負けならば負けじゃないかと思います》と語るが、そのままには受け取りにくい言葉だという意味において、なんとなく納得できる。一方、村上春樹はあまりにも自身の小説に対して達成度の評価をはっきり、しすぎているような気がする。どんなことにおいても分かったと思うとき、人は何かを見落としているのではないだろうか。
 最初に著者の言うことが諄々としみわたる、と書いたが、実はさまざまな違いも同時に感じている。階級、環境、時代の差がそうした差異を意識させるのは言うまでもないが、著者はそうしたことをわきまえた喋り方をしている。

 ところで調べてみると古井由吉の小説は、ほんの少し英語、フランス語、ドイツ語に訳されているが、その数はとても日本文学における彼の重要性に比例しているとは思えない。とはいえ古井由吉の小説の言葉は、容易に外国に理解されないだろう。海外にも古井由吉のような小説家がいるのかと思うと、文学の底の知れなさに恐ろしくなる。


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紙の本

古井ファンにとっては貴重な本です

2019/10/26 17:32

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る

古井由吉の作家人生を語り下ろしたものです。書かれたものではないので、古井由吉の本にしては大変分かりやすいものになってます。珍しく社会的な事柄についても言及しています。古井ファンにとっては貴重な本です。

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紙の本

古井 由吉の本だから、淡々としたつまらない日常が、あるいは高尚な話ばかり出てくるのかと思ったら、全くちがって、無論、フツーではあるんですが、これがなかなか面白い、老人が死ばかり考えている、っていうのは周囲の思いこみかも・・・

2010/11/27 10:39

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

本のカバーに切れ目をいれて、本の表紙を見せる、珍しい手法ですが初めてみるものというわけではありません。菊地の装幀でみるのは初めてかもしれませんがミルキィ・イソベの仕事では何回か見ていますし、昔読んだ米澤敬『変』もそうでした。これが函に切れ目、となるともう少し増えて、手に入りやすいものでは講談社のミステリー・ランドや『村上春樹全作品』などがあります。

でも今回は新潮社の本、しかも装幀が菊地信義で、見返し写真が平野光良(新潮社写真部)、著者が古井由吉となるとどうでしょう。何といってもスリットの入り方が面白いです。本の左を斜めに走ってカバーの折り返しの少し入る。おまけにです、そのカバーの紙色といったら実にこれが渋い。いや本の表紙のほうだってそうで、これこそ文藝の新潮社、純文学作家・古井のふさわしいものなわけです。それにこの技を入れる、唸ります。

ここで脱線です。今、確認のために米澤敬『変』を出した〈牛若丸出版〉のHPを見ていたんですが、ともかく面白い装幀の本ばかり出しています。どう面白いかもHPで本の写真をクリックすれば、その詳細を画面でチェックできる優れもの。で、やけに松田行正が装幀を担当したものが多いな、なんて思ってみていました。第一、2001年に米澤敬『変』を注文した時、出版社名をみて「ざけんな!」って思ったんです。なんだ会社に〈牛若丸〉はないだろ、って。

といっても、今年になって松田行正の『線の冒険』を注文しているんですけど。でも、社名については疑問に思い続けてました。で、今さっき、ネットで確認したんです。そこには1985年東京設立、なんと、グラフィックデザイナー松田行正主宰とあります。そして牛若丸の本について

「本総体としてオブジェらしい本である」「机や棚に置いてあるだけで存在感のある、手にとってみて、開いてみて手触りとともにオブジェとしか名状しがたいもの、本という形態を保ちながらも本を超えたと思わせるような、そんな本である。しかも、アーティストの作品集というよりは編集が思いきりなされていて明快な意図が流れていることが望ましい。」

なんてことも書いてあります。いやはや、です。『線の冒険』は内容はともかく装幀は普通。でも、米澤敬『変』は本当に、変でした。まさに「「机や棚に置いてあるだけで存在感のある、手にとってみて、開いてみて手触りとともにオブジェとしか名状しがたいもの」なんです。まず、京極夏彦なら当たり前ですが、この本も立ちます。凄い存在感。で、表紙に使われてる布がなんとも珍しい。で、表紙に穴が開いている。やっぱりオブジェでしょ、これって、なんて思いました、実際。

閑話休題、この本、自分の語ったことが本になって、あたかも自分の文章のようなことになっていることの不思議さを冒頭の「ゆめがたり」で書いていますが、基本的に全体を通して感じるのは古井の優しさです。どうも老い、というのとは微妙に違って、こう柔らかさとでもいうのか、たとえば原稿料についてもあっさりと書いてしまうのですが、それが決してギラつかない。もう自然たいなわけです。

どこにも大上段に「語ろう」なんていう気配が見えない。自然体なわけです。文学を語る、というよりは作家生活、自身を語る。就職してどんな暮らしをしていたかとか。無論、東大を出ているわけですからそれなりに順調ではあります。でも、東大の仲間の話よりは古今亭志ん朝や塩野七生と同じ高校にいたということのほうが面白い。隣のクラスの志ん朝はドラムをやりたかったとか、塩野は同級生で、結核のせいで一年遅れだったとか。それと生きかたです。張り切り過ぎるなと
                *
 僕は、若い頃の貧しくて気ままな暮らし方を引きずったまま、たまたま生き延びた人間ですから、あまり参考にもならない考え方ですが、いくら社会に出て会社に勤めたとしても、日程をそうぎしぎしと固める必要はありません。自分の都合で固めたつもりでも、結局、会社や仕事の日程に合わせているわけでしょう。いま、いろんな職業で大事なことは、七分の真面目、三分の気ままです。どこか気ままな部分がないと、仕事もちゃんと身につかないものです。上役からやいのやいのいわれるかもしれませんが、三分くらいは遊んでいるつもりがいい。
                *
それから、ああ、と思ったのが日本の変化についてです。団地の登場を日本人の性生活と結びつけたのは初めてでしょうか。無論、洋風建築、個室との関連というのは以前から言われていましたが、団地を洋風生活と私などは認識していませんでした。
                *
 戦後の日本人の生活は、それこそ根底からすべて変化しているんです。これまで、その変化を、あまり意識しないできているような気がします。それから、過去から現在に至るまで、どこかに断層のようなものがあると捉えている向きが多いようですが、断層ではなくて連続的な変化が、合わせれば大変化になっているんです。
                *
他にも日々の執筆時間や、ネットカフェ、草食系男子、携帯電話、文学賞を受けない理由、書評員制度と若くしてそれに選ばれることの問題点といった現在のことまで話は多岐にわたります。言及が多い作家は中上健次、三島由紀夫、大江健三郎、吉行淳之介、島田雅彦、第三の新人で、中上がいつまでも新人扱いされることについての指摘もですが、村上春樹について
                *
 村上春樹さんの小説が相当な売れ行きをみせはじめたのの、バブル期のことでした。僕はデビュー前に、一度だけ会ったことがあります。人柄はとても地味そうで、時計屋さんのように、店先にじっと座って作業しているような雰囲気でした。ところが、スターとなると同時に世間から自分の姿をくらましてしまいます。不思議な現象です。
                *
ともかく、これ読んじゃうと文学者って食べていけるじゃない、なんて間違った考えを持つ人がいるんじゃないか、って心配してしまいます。でも古井、東京大学大学院独文科卒なんです。やっぱり東大卒っていうのは、違うんです。なにより、周囲の見方が。特に、古井が生まれたのが1937年です。その頃の東大出(1950年代入学)はやっぱりレア。東大出、っていうだけで就職ができ、半ば遊んでいてもお給料がもらえる。そういう人の人生を、今の人は真似ちゃいけません。できっこない。

で、本書の成り立ちを注意書きで確認すれば

・本書は、古井由吉氏からの聞き取りをもとに編集部が文章を再構成し、著者校正を経たものである。
・第一章―2008年8月4日、第二章―08年10月10日。第三章―佐伯一麦氏が同席し08年12月3日。第四章―早稲田文学/下田桃子・西条弓子・横山絢音・市川真人各氏が同席し09年3月23日。第五章―讀賣新聞/鵜飼哲夫氏が同席し09年5月27日。第六章―島田雅彦氏が同席し09年7月7日。

とあります。ほぼ一年にわたって行われた聞き取りをまとめたものなんですね。

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2010/04/26 22:11

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2011/03/04 00:17

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