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紙の本
高峰秀子とは・・・過酷な人生にも折れなかったタフで優雅な教養人。
2010/06/22 12:53
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:甲斐小泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が彼女のことを意識したのは「ミセス」に連載していたエッセイ。彼女が親世代にとっては、国民的アイドルだったらしいのは「でこちゃん」と彼女を呼ぶ父の言葉で薄々知ったけれど、既にエッセイにシフトしていた頃ではないかと思う。
物語に親しんできた子どもにとって、日常身辺を描いたエッセイというのは、まだ面白いとは言いがたかったものの、モウモウの善ちゃんと夫君の事を呼んでいるという一文がいやに印象深く残っている。彼女のエッセイには、夫の松山善一氏の事がよく登場していたように思う。
エッセイの名手という事と、子役から役者人生をスタートしたという事くらいは、何となく知っていたけれど、私の興味はほかの方に走っていて、ちゃんと彼女の事を書いた本を読んだのはこれが初めてである。
確か、母が「高峰秀子は学校も行っていないのにたいしたもんだ」というような事を語っていた記憶があるけれど、(当時の芸能界には、子どもを全く学校に通わせなかったり、子どもの稼ぎを当てにしたり・・・今なら児童虐待で訴えられそうな親もいたようだ)実母が亡くなると、父親の妹である叔母に引き取られた彼女。
この養母というのが、高峰秀子、松山善三夫妻をかあちゃん、とうちゃんと呼んで慕う著者から見たら、とんでもない女で、彼女の稼ぐ金を当てにして、学校にも通わせず、嫌がらせや、彼女の資産の横取りなど、したい放題。後述のような稀有な人格を持つ高峰秀子すらが「母」とは呼べず、その容貌から「デブ」と呼ぶような女であった。が、そんなデブの最期を看取ったのも高峰秀子である。
著者が高峰秀子夫妻に心酔しているために、時として、神格化に近いものを感じる場面もあったが、多数の著名人にインタビューをして来た著者が、女優という人からちやほやされる職業についていると、ほぼ確実に生じる悪癖を一切持たない人が高峰秀子、と述べると、やはり説得力がある。
章ごとのタイトルの殆どが、彼女の特性を表しており、動じない、求めない、期待しない、振り返らない、迷わない、甘えない、変わらない、怠らない、媚びない、驕らない、こだわらない・・・と並べるだけで、凡人には考えつかない精神力の持ち主だと分かる。タフと言うのはこういう人の事だと思わされるが、一方で、苦労人ゆえの心配り、繊細さも持ち合わせていて、こまめな礼状や、お手伝いさんや運転手さんと言ったいわゆる使用人に対しても見下したりせず、対等に接している様子も紹介されている。
そんな彼女が唯一甘えを見せる相手が夫君である。身内から搾取される凄まじい子ども時代、思春期を送った彼女が、人気女優と助監督という映画界での身分格差をものともせず結ばれただけに、素晴らしい結婚生活を送っている・・・というのが、ところどころにはさまれた有名・無名の人が撮った夫妻の写真からも感じられる。
それにしても、一流の映画人や芸術家等と接していたところから学んだのだろうけれど(勉強の機会を奪われた彼女の貪欲なまでの学びたい気持は凄まじく、独学で字を読むこと、書く事を覚えたと言う)、下品な成金趣味に堕しても不思議ではない境遇に育ちながら、夫に「この人の好みは間違いない」と言わせしめ、趣味の良いセレブリティとなり、多くの人に憧れられるようなスッキリした暮しを送って来た彼女の強さは・・・元々、桁外れな精神力を持つ子どもだったのだろうと思うけれど、それを磨いたのは、もしかしたら、あまりにも強烈な反面教師となったデブの存在だったのではないだろうか。
理想的に見える人生を送る夫妻は、妻があまりに過酷な子ども時代を送ったために子どもを持たない事を決めたのだろうか?それとも、授からなかったのか・・・子どもを介した場合、この2人の人生はどのようになっていたのか・・・恥ずかしながら、子は鎹(かすがい)になっていない私としては、子有りの理想的な人生も見せていただきたかったと言うのが正直な思いである。
紙の本
尊敬できる生き方にめぐりあえます
2010/05/25 23:47
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:さあちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
表紙から見つめている品のいい老婦人。この人が子役時代から絶大な人気を誇り50年女優を続け名女優と讃えられながらすばっと引退した高峰秀子本人である。御歳85歳の時の写真だという。その真っ直ぐな眼差しに見つめられると思わず背筋を伸ばしてしまう。
残念ながら私は高峰秀子が活躍していた頃をほとんど知らない。名前は知っているけど作品は観たことがない。だからどれほどの人気を誇っていたかということはわからない。それでも戦地から日本国高峰秀子様で手紙が届いたというのだからそれこそ日本国中知らない人はいないぐらいの人気だったのだろう。それもテレビが無い時代の話である。子役から大成する女優は少ない。彼女はそれを成し遂げただけでなくこれまた著名な夫君松山善三氏と50年以上にわたり睦まじい夫婦生活をおくってきたのだ。半世紀。その歳月を考えるとめまいがしそうである。そんな彼女が家族から引き離され叔母の養女となりその叔母に搾取され有象無象の親せきの生活を支えるために5歳から女優という仕事を続けそのために学校にさえ通えずにいたというのは今の時代からは考えられない驚きである。その上女優という仕事が嫌でたまらなかったそうだ。その嫌でたまらなかった女優という仕事で名声を極めそれでも55歳ですぱっと引退しそれからは自分の思う通りの生き方を貫いている。まさに敬服するしかない潔さであり憧れである。
驕らない。振り返らない。甘えない。こだわらない。動じない。怠らない。ひとつでも難しいのにそのすべてを成し遂げているという奇跡。何を善しとして生きるのか。その人の生き方日々の暮らしの中にそれはある。その一つの指標がここにあると思う。