紙の本
街道をゆく・・・と思ったら、大変だった
2010/02/28 11:28
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ももんじゃ05号 - この投稿者のレビュー一覧を見る
1 本書は、中世(鎌倉時代から戦国時代くらいまでの期間)において、「道」をテーマにして書かれた本である。なお、ところは、主に、関東(鎌倉街道)である。
昔、移動は、徒歩だった。行軍、通商など人の移動、物資の移送、さらに、情報の伝達も徒歩が主体だった。そして、この移動のために、人々は道を使っていたのである…というと、今だって道つかっとるだろうと思われる方もおられるだろう。
しかし、当時は、中世である。そこらじゅうで、戦争してたのである。また、技術的な制約、自然災害等から、いろいろ不便があった。
2 以上のような、不便を当時は、「路地不自由」などと言った。そして、これが断り文句の常套句になるほど、この不便が存在していた。
敵対勢力の中を通る時は、もちろん捕縛のおそれがあり、また、戦争が始まれば、利害関係者でなくても、襲われる危険がある。さらに、峠には山賊が出るわ、ときには、土砂崩れ、河川の氾濫で通行ができなくなるは、艱難辛苦の目白押しである。
上杉謙信が、関東で領土を拡大しようとしたら、武田や、北条に煽られた在地の領主に街道を封鎖され、困ったなどという話もあった。軍勢があれば、なんとかなるというものではなく、どのような通路を通れば安全に通行できるかという情報面でも制約を受けるんだそうな。
3 特に、河川通行は、問題である。当時、河川は浅瀬を渡るのが普通だったが、これもどこなら渡れるか地元の人間でないとわからない。また、橋を渡ることもあったが、当時、橋といえば、今のような常設の橋を指すのではなく、舟を並べて板を渡した舟橋というのが主に使われた。ところは、関東である。かの有名な坂東太郎こと利根川がご鎮座ましましている。当時の技術力では、氾濫時の利根川の水には到底かなわなかったので、常設の橋は技術的にも、経済的にも難しかったんだそうな(あと、これだと、車輪を使った移動手段が制約を受けるので、輸送量についても悪影響が出ると思う)。
そのため、河川の渡河点というのは、戦略的に大変重要であった。
5 また、江戸というのは、実は、戦国時代から結構な城郭があって、一大拠点だったそうな。これも、江戸が交通の基点となる要衝だったからだそうである。寒村だった江戸を徳川幕府が開拓したというのは、徳川幕府の創世神話みたい側面があるんだそうである。
6 交通の便宜にかかわらず、不便な時こそ、みんな意識するようになる。現在、安全に通行可能できる道路事情からは、全く想像もつかない。しかし、年度末の道路工事はどうにかならんか。まあ、どんなときもなかなか思い通りにはならんもんです。
電子書籍
戦国の道
2020/05/15 20:40
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦国時代の道がどのようなものだったかを史料を駆使して語る本。今なら橋を渡るだけの利根川の都下が当時なら行軍経路に大きく影響していたのがわかる
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史を道から眺めることは大切。街道の整備やどのようにして人や物が移動していたのか、わかりやすく解説。今は便利さを追求するあまりに失われた移動手段の大切さも伝わってくる。
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[ 内容 ]
積雪、河川の増水、険峻な峠…。
交通を制する者だけが乱世の勝者となる!
[ 目次 ]
第1章 路次不自由(古文書は語る;戦国人の時空間;政治・軍事・自然)
第2章 川を渡り、峠を越える(越すに越されぬ利根の流れよ;舟橋を架ける;峠の鬼、そして地蔵)
第3章 道は誰のものか(越境可能な存在;通行を左右するもの;道路を管理する人びと)
第4章 すべての道は鎌倉に通ず?(メインルートは上道;河川交通と陸上交通の結びつき;鎌倉の地位低下、江戸の台頭)
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第1章 路次不自由(古文書は語る;戦国人の時空間;政治・軍事・自然)
第2章 川を渡り、峠を越える(越すに越されぬ利根の流れよ;舟橋を架ける;峠の鬼、そして地蔵)
第3章 道は誰のものか(越境可能な存在;通行を左右するもの;道路を管理する人びと)
第4章 すべての道は鎌倉に通ず?(メインルートは上道;河川交通と陸上交通の結びつき;鎌倉の地位低下、江戸の台頭)
著者:齋藤慎一(1961-、東京都、日本史)
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Lv【初心者】~【中級者】鎌倉・室町東国・戦国を知ってるとなお面白い!
初っ端から俺様の孫・息子・そして家宰の「通路不自由」の言い訳が乱舞する面白構成!
っていうかお前ら言い訳しすぎだろ!www
鎌倉・室町・戦国時代の例が巧みにクロスオーバーする。
後北条氏や上杉謙信もよく登場するな。
そして!新田義貞が進軍した鎌倉街道上道は、実は戦国時代には寂れてしまっていた!という衝撃の事実。
原因は……鎌倉府が崩壊、政治の中心が、古河、五十子、そして鉢形城に移ったから。
そう、俺様たちの享徳の乱や長享の乱のせいなんだよな、というのが良く解るエキサイティングな一冊だ!
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中世の書状の中によく書かれている「路地不自由」の意味を、他の文献や明らかになっている史実などの証拠に基づいて、状況ごとに丁寧に説明している本。実在する多種多様な古文書を例題として、自然地形による制約、天候による制約、政治状況による制約を区別して論じており、とても分かりやすい。また、中世の鎌倉街道の盛衰と変遷を例にとり、「古道といえども時代によって付け変わる」という当たり前のことを理路整然と説明している点も面白い。
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2010年刊。著者は㈶東京都歴史文化財団江戸東京博物館学芸員。中世とあるが、基本的には戦国時代(一部、合戦史が基礎の室町時代の解説有)の関東平野における道の実態を見せ、江戸時代に五街道が整備されたというステレオタイプ的な道開発観を修正・是正する意義を持つ。実際、判らないことが多いそうだし、また、利根川の渡河面は兎も角、川運・海運との関係性は十分な記述とは言い難い。とはいえ、時・場所の対象範囲が狭く明快でかなり楽に読める。引用文献(手紙類が多い)も現代訳での掲載で、判りやすさ・読みやすさは確か。
自然環境(山岳地帯、洪水や川の氾濫、積雪・豪雪地帯)に加え、大名の支配の強さや、支配領域から見て辺境か否か等、交通発達の多面な要因が垣間見れる。一方、地域分析とは外れるが、中世的な関所の存在理由(単なる通行規制ではなく、通行に要する安全確保などの実費徴収の面)、織田権力の楽市楽座の意味、近世期の関所との異同等、上手く読めば、別のテーマにも思いを馳せることができそうな書である。
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<目次>
はじめに
第1章 路次不自由
第2章 川を渡り、峠を越える
第3章 道は誰のものか
第4章 すべての道は鎌倉に通ず?
<内容>
歴史も視点を変えると違って見えることを証明した本。単純に行きたくないので上杉謙信や北条氏政が手紙でごまかしたのではなく、利根川の渡渉は中世においてはかなり難儀なもので、特に雪解けの時期は難しかったこと。中世後期(享徳の乱以降)の関東は、北関東が政治の中心になったこともあり、道が変わった(具体的に言うと鎌倉時代からの「かまくら道」(鎌倉街道)が機能しなくなっていたことがわかる(鉢形城の研究などから証明される)。なかなか面白かった。
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中世の道路交通について、その困難さを文献から迫ってます。中世は地図が無い、あちらこちらでドンパチやってる、川は氾濫する、雪が降れば通れないし溶ければ川が暴れると、今みたいに気楽に出かけられる状況では無かったようで。特に川は、今はダムで水量を減らしているので渡れそうに見える川も当時は雨が降れば大暴れだったのだから、川幅が広すぎたりするとわたることが難しかったのですね。
話は中世から飛びますが、江戸時代に川に橋を架けなかったのも、暴れ川に橋を架けるのが大変だったのものあるかも。