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先日、行きつけの料理屋のママさんが、「先生にぴったりの言葉を見つけんです。聞いてくださいますか?」と美しいカバーに包まれた小ぶりのノートを大事そうに取り出してこられました。テレビや本で心に響く言葉を見つけた折々に書き記しておかれるのだそうです。「孔子の人柄は、温和であって、しかも厳格であり、威厳を備えながらも、威圧感がなく、礼儀正しく、しかも窮屈を感じさせなかった」「ほう、すごいですね」
「そうでしょう。この言葉を聞いたときに、杉先生そのものだって思ったんです」私自身としては、儒教の創始者であり世界四聖として名高い孔子になぞらえていただくなど、全くとんでもない限りです。いずれにしても、このような人間像を最終的な私の目標として心の片隅に定めておきたいと思います。そういえば、と家に帰って井上靖の「孔子」を開いてみました。特別装丁の立派な本です。裏表紙の書き込みを見ますと、1991年6月、かつて、ある大学の学長を務めておられたH先生の
脳梗塞後の精神的リハビリに毎週通っていた、その帰りに買い入れたと覚書がありました。
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哲学の話、儒教の話?かな弟子たちが孔子について洗いざらい語りあった結果の産物みたいな。。ですが内容的にはちょっと難しい?!
ですが、儒教(?∀?)モエッや孔子(?∀?)モエッだったら特効薬かも!?www
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井上靖最期の長編・集大成的作品らしい。
まぁこれが最期になると本人が思っていたのかどうか疑問は残るが。
孔子に興味持って読むと失敗すると思う。恐らく間違いなく。自分はそうだったので失敗。期待ハズレ。しかし作品的にもこれを集大成と謳いあげるのはどうかとおもうなぁ。
たしかに井上靖が書きたいものを書いた気はするけどね。んー・・正直特別いい作品には思えない。
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人間がこの世に生きていくうえには、「天命」という、すこぶる正体のわからぬ、
合理的とも不条理ともいえる掟のようなものがあって、どうやら人間というのは
そこから自由になることはできないようです。
自分が思う「正しいこと」をしていようと、しまいと、無関係。
そのうえで人間がどのように生きるべきか。
大きい天の摂理の中に自分を投げ込み、成敗は天に任せ、その上で己が正しいと信じた道を
歩まねばなりません。
ボクが高校生の頃ベストセラーになっていた本。
30代半ばにして読む。
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主人公は孔子の架空の愛弟子が、孔子の死から33年後、若い孔子の研究者に向かって語るスタイルの物語。
孔子は中国の春秋;期の国人です。孔子は中国の著名な人物です。中国に対して重要な影響があります。孔子の精神品格は「三人行,必有我;焉」という意味が私は聖人ではない、人は金持ちで貧乏ではなく、知識を持っていれば、誰でも聖人になると思っています。
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孔子のふるさと・山東省の曲阜へ行く前に。
論語の教えがちりばめられていて分かりやすい。
孔子一門が雷をじっと座って見ているという場面がすごく印象的。
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井上さんの作品は、まだ数冊しか読んでいないのですが、これはすごいと思いました。
架空の弟子の口から語られる孔子と孔子を取り囲む弟子たち、揺れ動く国と歴史。
たとえば同じ設定、同じ筋書きで別の人が書いていたら、この作品はなかった。
井上靖という人間の精神の深み、その澄み具合がこの作品を書かせたのだと思います。
物語の展開だけで泣かせるような、安っぽい感動はありません。でも読み終えたあと、激しく泣いてさっぱりしたような、このままでいいのかと訳もなく焦ってしまうような、熱いにかたまりが残ります。
――――――なんて、えらそうに書いてますけど! 私だってちゃんと読み込めてるとは言えないんですけど!
でもすごいなあ。この人でないと書けなかっただろう小説。そんなものを書けた人がいるんだなあ。
個性とか、そんなものを飛び越えて、そのさらに奥にまで到達している気がする。
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井上靖先生の本ということで、何とか最後まで読み通したが、私の様な素人にとっては、同じような内容の繰り返しが続いていると感じてしまい、小説としてはかなり今一との感想です。
中国で公開されている「孔子」の映画は孔子の伝記構成と成っており、それを期待して、この本を読むとかなり目的が違ってしまいます。
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孔子の伝記ではない。架空の弟子が昔を思い起こす形で語られていく。孔子の人生というよりも、孔子という人やその言葉はこのようなものではないだろうかというのが描かれているように思う。
孔子というよりも井上靖の人生観みたいなものに興味のある人におもしろい本かなと思った。
伝記を読みたくて&孔子も良く知らないし&中国の歴史もなじみがないのでちょっと読みにくかった。予備知識がもっとあったほうが読みやすかっただろうなと思う
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孔子の死後、弟子の一人が師匠と同門の高弟たちについて語る。
人生をかけて学ぶに足る師を見出した弟子たちの姿と、彼らを愛し、導いた師の人間としての大きさが、じわじわと膨らんでくる。
類似した内容が繰り返される描き方には読みにくさも感じるが、孔子が生涯をかけて、いかに繰り返し同じことを説いたかを考えると、自然に思える。その手法は、弟子が見聞きした師・釈尊の行跡や教えを語り合い、編纂された仏教経典の記述を思わせる。
孔門の「師弟」の人間的豊かさに感動し、驚かされもしたが、現代では失われつつあり、共感されにくいものでもあると思う。
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孔子廟は孔子を祀っているんですね。あまり孔子に興味を持っていませんでしたが、お爺さんに勧められて読んでみたら、今も使われている含蓄のある言葉をたくさん遺していることに驚きました。この本に感激して論語も読みました。
論語は人生の座右の書です。
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小説ですね。
孔子と題打ってますが、
孔子の弟子による孔子とはどんな人だったかと得々と語る小説と言ったところ。
孔子死後から論語が出される間の話という扱い。
最後まで読めたので面白くないことはないけども
孔子の一生を追う話ではないので、表題に騙されちゃうかもしれない(私です)
やはり論語は一度読んどくべきかもしれないと確認。
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孔子の死から30年後の時代設定で、孔子研究家達との対話から孔子像を浮かび上がらせるというアイデアは流石であるが、これといった展開があるわけでは無い為、正直退屈感を覚えた。
が、解説で著者晩年の作品であることが分かり納得。架空の弟子蔫薑の口を借りてどうしても書いておきたかったのだろう。
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井上靖の遺作である。駄作であると言っていいだろう。孔子の本質、孔子像に迫ることに失敗したことが明白。80歳を超えて人生の残り時間が迫っていることや連載の形をとったことも原因だろう。作品としての練りこみが足りない。
孔子の架空の弟子「焉薑」の回想で始まる。おそらく著者はその一人称による語り口と子との随行を通して、孔子の実像に迫る予定だったのだろう。それが序盤にて破綻する。その後は孔子研究会なる団体との問答を通して、孔子の人となりや思想を語る。しかし、同じテーマを何遍もくどくどと論じたり、また問答における雑音としか感じられない挨拶の連続で小説としてのリズムは一気に崩れる。
極めつけは、焉薑が孔子が歩く道程を「コース」という英語を使って表現した箇所である。理屈を言えば、日本語で語る時点で中国語とは違うとは言える。しかし、語りに漢語的表現を使う以上、そこはあくまでも最低日本語で留めるべきであり、英語を使った表現はいただけない。むしろ開き直って英語を使用するならば、随所にその表現が出るべきであろうが、英語を使った箇所は一箇所だけである。おそらく、筆者も編集者もろくに見直しもしないまま載せてしまったのだろう。
この作品によって井上靖の作家としての晩年は汚された。
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内容は冗長なのに、エンキョウが見た風景が脳に焼き付いている。物語はゆっくりと行きつ戻りつしながら進む。こういう時間の流れ方はとても贅沢だ。それが本の中であっても、あるいは本の中だからこそ、余計に贅沢に感じるのか。
井上靖の小説はいつもこうだ。
読書がすばらしいのは、こういう体験ができるからだと改めて思った。