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紙の本
生きるための「昭和の仕事」たち。
2010/06/11 08:05
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
表紙に使われている写真は昭和の仕事の一つであった「紙芝居」である。バアちゃんが握らせてくれた五円玉を持って走り、飴をなめなめ、オジサンの名調子に引き込まれていったのは懐かしい思い出である。その「紙芝居」風景をよくよく見ると、オジサンの左足は義足である。腰に下がるラッパから傷痍軍人として復員した人と思えるが、戦争に負ければ国家補償は当てにならず、片足では重労働はできず、窮余の策として始めた「紙芝居」だったのだろう。
ページをめくると伝説のフォークシンガー高田渡の作品『相子』が目に留まる。
《人間なら 日に二食で丁度ええぞと 父はいい 人様の分まで盗ってはいけんぞと 母はいい》という歌詞が心に響く。
その作詞をしたのが本書の中心人物、詩人の高木護氏。「焼酎一杯飲むことの何たる幸せなことか」というセリフとともに、氏ははにかんだ顔を五十八ページに覗かせている。
高木氏が経験した職種は昭和の職業史そのままであり、その職歴の雑多に驚く。高木氏が経験した職種以外にも現代ニッポンでは消滅してしまった飴屋、貸本屋、三助、駄菓子屋、ニコヨン、パンパン、露天商と百四十種以上の仕事が紹介されている。パンパンという高木氏では用をなさない職もあるが、敗戦後の昭和二十年代から四十年代初めにおいて日本全国のどこでもみられた女性の仕事だった。同級生の母親にも元米兵専門だった人がいたが、売れるものなら何でも売らなければ生きていけない時代だった。
本書で感動したのは百五十二ページから始まる「ポン菓子」だった。
戦中の飢餓に苦しむ子供たちのために、十二倍に膨らむ食べ物を作る機械を求めて大阪から北九州に出向いた吉村利子氏の話である。小学校の教員という職を捨て、子供たちにひもじい思いをさせたくないという熱情から始めたことだったが、その原因となった朝鮮人親子の話は胸が痛むものだった。
昭和という時代について感傷的に眺める人を見受けるが、敗戦後の日本はとんでもなく悲惨な日々だった。国じたいが貧しい上に戦時賠償でカネが無く、米軍放出の脱脂粉乳でも無いよりマシと飲んだ経験があるだけに、本書の内容は身につまされるものばかりだった。とにかく、その日、その日を生き抜くことだけに必死だった人々の姿が「昭和の仕事」としてこの一冊に詰まっている。
ただ一つ、一度は体験しても良いかなと思ったのは高木護流「放浪」である。
紙の本
昭和の仕事
2010/07/17 13:31
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:阿智胡地亭 - この投稿者のレビュー一覧を見る
書評を読んで、自分が小学校の下級生時代を過ごした北九州の戦後も描かれているらしいと思って買った。元手のない人間がそれでも生きていくために、身体一つを使って働く。それは江戸のもっと昔からやってきた仕事でもあり、昭和の30年代まで残っていた。
その仕事の120種類くらいについた人にインタビューした内容が主になっている。
なぜその仕事、職種が、日本の社会から消えていったのかを考えるよすがになる本だ。なんとまあ沢山の手仕事が世の中から消えていったものよとびっくりする。
江戸には坂の下でたむろしていて、大きな荷車がくるとそれを坂の上まで後押しをして駄賃をもらう「立ちんぼウ」というのがいたと、落語で知った。
そのような類の仕事?手間仕事で日々を過ごすしかなかった人間が昔の都会には一杯いたのだ。
著者の分析は思ったより表面的で、文章も紋切り型の表現が多く、おいおい学生の作文では無いんだけどと思う箇所が多いが、あまり類書がないせいかそれなりに面白い。
決して表の歴史に記録されることがない、無名の人たちの暮らしを、文字に残すと言う史料価値がある本ではある。
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