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作家を志して状況した小泉純一。著名な作家を訪ねたり、知り合った医大生・大村と友人付き合いをしながら日々を過ごす中で板井未亡人と出会う。未亡人の謎めいた目に惹き付けられるのを感じながら、しかしそれを赦さないと自尊心が己を制す。フランス文学を読み、色々な人間と会う中で何者でもなかった彼の自己が少しずつ形作られ、板井未亡人に一種の失望を覚えた時「今こそ何か書けそうな気がする」作家への第一歩たる確信を得る。純一の中で何かが終わり、始まったのだ。それは迷い揺れ動く青年期の終焉、大人と言われるものの入口に立つこと。本書はとくにかくフランス語が多くて注解を見ながら読み進めましたが、なかなか難物でした。解説には本作は「教養小説」「発展小説」とのこと。知らない言葉や四字熟語も多く、浅学の私には勉強になりました。
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田舎から上京してきた小説家志望の青年の、性愛を巡った内面の変化がじっくりと描かれていた。性愛といっても誰に恋をするというわけではなく、東京で出会う様々な女性や、気の合う男性とのやりとりに何かしらの性愛の欠片を感じ取っているだけなのだけど、そこがリアル。
あとは上野、大宮、箱根などの身近な土地がたくさん出てきて、それぞれの街の大正〜昭和前期あたりの雰囲気が分かって面白かった。
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昭和54年2月15日 52刷 再読
時代は明治後期、作家志望の青年小泉純一が、上京して東京の友人、作家らに関わりながら、成長していく青春小説。
装丁の絵が同じで感動。というか、三四郎より青年の読者の方が少ないのでしょうか。
初めて読んだ当時、夏目漱石の「三四郎」に影響を受けて書いた事は知らなかった。続けて読むと、確かに似ています。青年の小泉君の方が、話の流れから美形でちょっと裕福でモテてしまう事はわかりました。
青春日記の様相なので、凄く面白いとはいかないですが、当時の青年の歳上女性への恋心、歳上女性に振り回される様子など、「三四郎」とセットで当時の青春を知る文化遺産だと思います。
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初めての森鴎外作品。まずは著者の文学、哲学・思想についての知識に驚愕。元々東大医学部卒のバリバリの軍医という経歴もさらに驚き、博識すぎ笑
文章自体はそこそこ難解なところが多いけど、思想・心情について的確に描写しているという印象を受けた。田舎の裕福な家に生まれた青年が、普通じゃ嫌だといって小説家になるために東京に出てくる。文学の知識はあるから、作中の登場人物の行動や思想を批評したりして頭でっかち感がある一方、大村の言葉に素直に聞き入るといった受容性の高さもある。自らの哲学がまだ不安定なところで様々な女性との出会いを重ねていき、ありていに言えば「大人としての経験を積んでいく」。
主人公は最後までなかなかモノを書くことから遠ざかっていた。それは最後の方でも少し触れられているが、とりあえず書こうとしているものはあってそれがなかなか進捗しないように思える。その原因のひとつとしては、思想的な迷いや技術の未成熟さがあると思われる。この点は大村との交流を含め、自身の哲学や心情を客観視しながら議論しており、精神的成熟が進んでいる。一方、モノを書く衝動みたいなものが欠けているのも事実。とりあえず東京に来た感、漠然と小説を書こうとしてる感は最初から拭えない。そこで未亡人との箱根での一件では、そうした浮ついた主人公に羞恥心、劣等感、嫉妬、虚無感、憤怒といった種々の感情が巻き起こり、創作意欲を駆り立てる。いわゆる、スイッチが押されたんですね。
要するに、内面の成長と意欲を駆り立てるイベントが、どちらもいい感じに進んで、創作意欲が湧いたみたいです。このイベントが恋愛ごとで、いかにも青年っぽい青く初々しいものです。
現代社会の我々も、勉強やOJTを通して知識や技術を会得しながら、何かしらで自分自身を駆り立てなければならないですね。
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漱石らしき人物が登場していることから、かなり漱石を意識しているようだ。
本作の内容も夏目漱石の「三四郎」に比する小説だろう。住んでいるところはどちらも谷根千界隈で、女性に振り回されるところも一緒。
地方から出てきた若者が思い悩むさまが描かれるところも似ている。
ラストが唐突なのは、書くべきことは書いたということなのだろうが、「ストレイシープ」の方が、悩ましさが出ているような気がする。
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夏目漱石の『三四郎』に影響されて書いたとされていますが、正直いって『三四郎』のような深みはないですかね。
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ストーリーや文体はともかくとして、やたらフランス語が出てくるし、同時代の作家のパロディみたいなのも登場するし、文学かぶれの同人誌に載るような作品に感じる。当時の評価はどうだったのかな。
今なら袋叩きにあいそうな描写もあるし、注釈も、その言葉に説明がいる?と思うところも多く、いろいろ時代を感じる。
そもそも、学校へ行くわけでもなく、誰かに弟子入りするわけでもなく、仕事もせずなんとなく東京で部屋を借りて一人度暮らすという身分。資産家の息子という設定でも、そういうのも時代を感じる。いや、そういうご身分の人は、今もいるのかもしれないけど。
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恋愛それは時に苦しめ、まようものである。
そしてこの小説にはフランス作家、芸術家が記載されている
また思想面をみても奥深さを感じた
また再読したい
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鷗外の作品は、読者の洞察が必要、とドナルド・キーン氏が述べている。
ただ、短編だと、その洞察がいい具合に効いてくるのだが、長編だと散漫になるきらいがあるだろうか。
ところどころに当時の反自然主義文学の匂いがするし、性に対する抑制的な表現も、その表れなのだろう。
鷗外らしく、ところどころに哲学的、思想的なエッセンスが埋め込まれており、それを噛みしめながら読むのがいい。
以下抜粋~
・(日記について)「人間はいろいろなものに縛られているから、自分をまで縛らなくても好いじゃないか」
・「利己主義の側はニイチェの悪い一面が代表している。例の権威を求める意志だ。人を倒して自分が大きくなるという思想だ。人と人とがお互いにそいつを遣り合えば、無政府主義になる。そんなのを個人主義だとすれば、個人主義の悪いのは論をまたない。利他的個人主義はそうではない。」