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紙の本
味わう
2011/08/08 22:24
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
ツリーハウス 角田光代 文藝春秋
87才の口が重い祖母とその孫息子が、旧満州、現中国東北部の長春、大連を旅する。「永遠の0(ゼロ)」百田尚樹作とか、「赤い月」なかにし礼作、日本映画「壬生義士伝」の医者夫婦が満州へ渡るというラストシーンなどを思い出して期待しました。見たことが無い風景を見たことがあるように書く才能に秀でた作家さんですが、最初の勢いはやがて薄れ、後半は、年表の項目をうわべでなぞるだけの説明となり、尻すぼみでした。全469ページのうち439ページ付近で、作者は創作に失敗したことを自ら悟るかのような記述になっています。満州での暮らしや孫と祖母の旅を厳しく書ききれていません。「八日目の蝉(せみ)」とか「ロック母」同作者著にあった「執着」がみられません。
主人公となる家族は「藤城家」です。同家がデラシネ(根無し草)と呼称されます。祖父母は親族や日本国を捨てて満州へ行きそこで暮らした。終戦後帰国したものの夫婦の親族は本土を捨てた夫婦を受け入れてくれない。3世代をとおして「逃げる」ことが藤城家の体質となっている。269ページにある、生きていくことは「後悔」を増やしていくことが、生活行動の基準を表している。213ページの、この国には父親がいないは、胸にズキンと響く。藤城家の家族は、お互いに干渉しない。他人でも自家に住まわせる。家を出て行くことも止めない。人種差別をしない。そのルーツ(根っこ)は祖父母の満州での体験にある。祖父母はしたい放題のことをしてきて子どもたちの命を失うという罰を受けた。彼らは帰りたい。ただ、帰りたいのは場所ではなくて、満州で親切な外国人たちに囲まれて暮らした楽しかった過去へ帰りたい。
(以上を書いた翌朝再び考えてみた。)
祖母は、満州で自分たち夫婦やこどもたちを温かく受け入れてくれた食堂経営者ファミリーのような家族を日本でつくりたかった。努力はしたけれど、つくれなかった。めいめいが自分のことだけを考える家族になってしまった。この家族だけでなく、日本の家族が藤城家のような形態をとるようになった。終戦後、高度経済成長期を経て、不況を体験し、「昭和」の終焉を迎え、日本人が生きる気力をなくしてきているという時代背景もある。
そういったことを考えていたら、この作品はかめばかむほど味わいのある作品であることに気づいた。
紙の本
最近の角田光代の本を読んでいると、そのレベルの高さに驚かされます。なかでも、このお話は、ある意味、彼女の仕事の頂点かもしれません。戦後最高の作家となった角田が見つめる戦後、それは胸が痛くなるような時でもありました。
2011/08/11 19:28
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一章~第十二章までの全十二章構成。私、このカバー画を描いている大岩オスカールって大分前から知っているんです。気になっている画家さんの一人。でも、無名時代から手を出そうなんていう気にはならない人でした。なぜって、作品が大きいんです。彼の絵でSMなんていう小さなものなんてないんじゃあないんでしょうか。その大きい作品を描くということは少しも変わらずに、それなりに有名になってしまった。
ですから、ますます縁遠くなってしまったわけです。で、カバー画、本をみると装画 OSCAR OIWA「GARDENING(Red Flower)」(個人蔵)、と書いてあります。サイズこそ書いてありませんが、きっと大きいんです。そうか、個人蔵か、羨ましいなあ、なんて思ったりして。それにしても、この絵、どこの町なんでしょうか。彼が生まれたというブラジル? サンパウロ?
でも、わたし的には中国の都市です。行ったことはありませんが、大連とか横光利一が書いた『上海』。この小説でいえば、新京。その雰囲気がとてもよく出ています。でも大岩って中国の都市なんて描いたかなあ? と思って早速ネット検索、するとなんと2009年に東京画廊+BTAP(北京)で、「アジアの台所」という名前で個展をやっているらしい。ま、装画の注釈に制作年代が入っていないので、これがその時の作品とはいいませんが。図案は上楽 藍、装丁は大久保明子です。
初出は、産経新聞大阪本社夕刊にて2008年10月4日から2009年9月26日まで毎週土曜連載で、HPにはこの本について
*
すべての家庭の床下には、戦争の記憶が眠っている
謎多き祖父の戸籍──祖母の予期せぬ“帰郷”から隠された過去への旅が始まった。満州、そして新宿。熱く胸に迫る翡翠飯店三代記
西新宿の小さな中華料理屋「翡翠飯店」を巡る三代記。祖父母、両親、無職の叔父、孫に加えて、常に誰かしら出入りするゲストハウスさながらの大家族の足元には、大陸帰りの物語が眠っていました。祖父の死で虚脱してしまった気丈な祖母ヤエを伴った満州行が、封印された過去への旅の幕開けとなります。戦争、引揚げ、戦後を生き抜き、半世紀の間ヤエが抱えてきた思いを知った時、私たちが失いつつある美しい何かが頁の向こうに立ち上がってきます。(OY)
*
と書かれています。ともかくいい小説です。面白いことに、最近、三代記ものや敗戦時の混乱を描いた傑作が続々と登場しています。伊集院静『お父やんとオジさん』、デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』、三代記ではありませんが姫野 カオルコ『リアル・シンデレラ』、井上 ひさし『一週間』。私としては桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』が引き金になっているんじゃないか、って思っていますが、そうなればそのルーツはガルシア・マルケス『百万年の孤独』ということになります。
で、『ツリーハウス』、描かれるのは新宿に中華料理店を構える藤代家の三代です。具体的に言えば、全体の中心にいるのが三代目の、現在30になるかならないのか、定職には就いていない藤代良嗣です。ただし、中心にいるといっても、自分の家のことを知っているかといえば、全く知りません。
ただし、それは兄の基樹、姉の早苗についても祖父母のことはもとより、両親のことについても殆どと言っていいくらいに知りませんから、いわゆる何も知らないでも生きていることができる私たちのような戦後生まれ、というよりもう二周りくらい若い世代の代表として登場すると言ってもいいでしょう。ただし、重要なのはその世代の軽い歴史ではありません。
重さだけでいえば、小説開始早々に亡くなってしまう祖父・泰造の人生ということになりますが、実際には泰造と結ばれることになった祖母・ヤエの目を通した夫、夫婦のあり方が核になります。彼女が一代目代表です。二代目は、父親の慎之介ということになりますが、その弟で今も独身をつづける居候的存在の太二郎の人生も二代目を飾るにふさわしいものといえそうです。
藤代家の特徴は、その求心力のなさです。各人は好き勝手に生きていきます。そして、その殆どが逃げの人生です。特にそれは男たちに顕著で、祖父も父も叔父も、兄も弟も現実を直視し、それを克服するといった気配は全くなく、目の前に壁がありそうだと思うと、その道を回避します。だから、でしょうか正業にはつきません。ま、父親は祖父の店を継ぐことになりますが、決心するまでは逃げ回っていました。
料理屋をやっている、というのは戦後ではやはりつぶしがきいたんだと思います。誰も、贅沢さえ望まなければその店に寄生して生きていける。そのかわり、贅沢をしたくなればアルバイトをするなりして他所からお金を稼いでこなければなりませんが、でも、それを望まなければ何もしなくていい。親も祖父も文句をいうことはありません。だから人生とか将来なんていうことは一切考えずにだらだら生きている。それで満足か、といえばそれすら考えない。ただ寝て食べて糞して生きる家族・・・
今の藤代家には、大勢の人間が暮らしています。まず祖母のヤエがいます。その長男が藤代慎之輔です。中華料理店・翡翠飯店の主人で、若い頃は漫画家を目指していましたた。文江はその妻です。そして弟で無職の太二郎がいます。兄のところに同居し、近所の喫茶店「白鳥」に入り浸っています。宗教施設から帰ってきて以来、引きこもっているような状態を続けていますが、頭はいい。今日子は、慎之輔の妹で、新宿ゴールデン街で飲み屋をやっています。基三郎は末弟です。
そして、慎之輔、文江の間には三人の子供がいます。長男の基樹は、大学を三年で中退、アルバイトをしたりしていたがバックパックを担いで海外に行き、そのまま連絡してこないような男で、長女の早苗は基樹に影響されたのか、高校時代から外泊を繰り返し、妊娠したため実家に恋人と一緒に転がり込んできます。次男の良嗣は、大学を出て食品輸入会社に勤めたものの、三年前に「なんとなく違う」と退社、以来、実家に戻ってなにもしていません。一見、自堕落なだけの家族です。
単に伏せられたことがミステリ的に発見されていく、といった話ではありません。重要な事柄は、他人に見つけられる前に、物語の中で描かれています。ただ、それは誰にも語られてはいません。それが、最期に家族の歴史として共有される、そして家族が新しい一歩を踏み出す、そういう壮大で、そして息詰まるような暗く思い話です。前にも書きましたが、角田光代はこんなところまで来てしまったのです。もしかすると、日本が生んだ最高の女流作家となるのかもしれません。そんな予感を抱かせる一作です。
紙の本
私たちは、70年前とちっとも変ってはいない
2010/11/16 16:34
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
貧しい田舎で喰いつめて旧満州に飛びだした祖父とそこでめぐり会った同じような境遇の祖母。敗戦の大混乱の中を命からがら引き揚げ、誰のものとも知れない新宿十二社のバラックではじめた小さな中華料理屋翡翠飯店が、父親と母親、そしてその子良嗣たちの生活の拠点となる。きっとそんな来歴の店がいまも西新宿にはあるのだろう。
若くして家と祖国を見捨てた祖父母にとって帰国した母国は、すでにそれ自体が異国であり異郷であるから、息子や娘たちに対して境界と秩序と規矩のない開放的な空間が提供されることになる。
ここに集うのは、大陸からの引き揚げ者なら誰でも寝泊まりさせて平気な祖父母、放恣な性関係を続け女性を冷たく捨てて顧みない長男慎之輔、カルト宗教にいかれ、教え子の女子高校生を店に連れ込んでくる次男太二郎、反体制運動に入れあげ原因不明の自殺を遂げる三男基三郎、男に捨てられて出戻る妹今日子、狭い庭の木の股に秘密基地トリーハウスを開設する慎之輔の長男基樹……、いずれも私たちがどこかで見聞きしたはずの人物ばかりだ。
こうした常に動揺して入り乱れる藤代家の面々の面白くてやがて哀しいヒストリーを、いわば客観的な物差しとして測定するように割って入るのが、慎之輔の次男良嗣の視線で語られる祖母ヤエの中国望郷旅行である。夫と共に青春時代を過ごした故地で見知らぬ中国人の前で深く頭を下げたヤエは、帰国すると間もなく死ぬのだが、藤代家にはすでに4代目の家族たちが暮らしている。
デラシネ家族たちが作り上げる規範のない共同体は、これからいったいどこへ行こうとするのだろうか?
丁寧に紡ぎあげられた作者の巧みな伏線の糸をたどって、つらつらこの本を読まされているうちに、藤代家一族3代およそ70年の歴史が、まるで作者自身の家族の物語であると同時に、わたしたち日本人の平均的な家庭、あるいはもっと飛躍して言えば八紘一宇的な「日本」という共同体の原基であるような不思議な感慨に襲われた。おそらく私たちは70年前とちっとも変ってはいないのだ。
紙の本
引き継がれる「血」とは?「絆」とは?
2011/10/06 11:07
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ゆう - この投稿者のレビュー一覧を見る
祖父の死をきっかけに、祖母、叔父とともに祖母の思い出の地、満州を旅することになった良嗣。訪れる土地で語られる祖母の想いと、数々のエピソードを織り交ぜながら描く親子三代記。
戦後の混乱の最中、中華料理店『翡翠飯店』を営み、世代を築き上げた祖父と祖母、そして父と母・・・。
時は流れ、子から孫へと繋がり、引き継がれていく“血”の流れが巧みに描き出され、そこにある“絆”という名の脆く危うい存在に、何度も何度も打ちのめされたような気分になりながら読み上げた。
更に、実在した事件やエピソードを織り交ぜたリアルな時代背景や、神々しいまでの見事な人物描写、そして、最後まで全くぶれることのない展開に、ただただ感服、甘さ、緩さが許されるようになってしまったこのご時世を、批判しつつも受け入れざる得ない、いや、受け入れてしまった腹立たしさが、静かに伝わってきて、何度も泣きそうになった。
この作品に関して、残念なことを一つあげなければならないとしたら、この物語の素晴らしさを巧く伝えきれず、書きつくせず、もどかしさでいっぱいになってしまっている今の自分くらいしか、他には見当たらない。
紙の本
「逃げる時」と「逃げてはいけない時」
2011/04/22 08:53
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
西新宿にある、家族経営の小さな中華料理屋「翡翠飯店」。
祖父母、両親、居候の叔父、語り手の良嗣の7人家族と
大所帯の上、子どもの頃からいつも誰かしらが出入りし
泊まり、また消えていく不思議な家でした。
叔父が働かないことも
自分たち3人兄弟がフリーターなことも
両親は受け入れてします。
「許す」というよりも「面倒だから考えない」。
しかし祖父の死をきっかけに、足腰も気も丈夫な祖母と、
かつて祖父母が出会い、暮らした満州への旅が始まります。
太平楽な叔父の太二郎と祖母ヤエ、良嗣の3人旅行と
藤代家三代の物語がクロスカッティングし
これがとんでもなくおもしろい。
ベースにあるのは、「逃げる」こと。
これが家族のルールになってしまいました。
「逃げる」ことが時代によってさまざまな面を見せます。
戦争の時はそれで生きのびました。
戦後はそれによって人様に恩返しのようなことができました。
しかし、この平成では、「逃げ」は「何もしない」ことに
なってしまいます。
平成の日本人そのものが立ち上がっていて身に迫り
小説は少しずつ動き始める藤代家の人々の背中を押します。
戦争中や昭和の悲劇や悲惨なことがたくさん出てきますが
それでもやっぱり「逃げる」ことも時には必要で
でも「逃げてはいけない」時も必要です。
江戸っ子は三代続けて生まれて、ようやく江戸っ子。
きっとこの三代というのは
その地に根をはやすに必要な時間なのでしょう。
藤代家が三代を経て、新しい家族の歴史の扉を開けます。