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舞台は昭和末。日雇労働の生活を抜け出せないまま黙々と続ける貫多は、バイト先で知り合った専門学校生と知り合ったのをきっかけに生活を少しずつ変化させてゆくが、結局は仲違い等から下の生活に逆戻りしてしまう。一言で表すなら、不条理な小説。
1ページ目から饐えた臭いと曇天のじめじめした世界が頭に浮かんでくる。決して悪い意味ではないが、読み心地の良いものではない。2011年2月6日朝日新聞の朝刊12面に鴻巣友季子氏の書評が載っており、「理不尽さにただ打ちひしがれるなら、それは単なる悲劇だが、虫歯を嚙むことに笑いが生まれ、痛みとの距離ができる。虫歯をいかにスタイリッシュに噛むかということに、西村文学の本領はある」とのこと。
クソが付くほど重苦しい舞台なのに軽快に読み進められたのはそんな理由だったのか、と合点。ただ、或る程度成熟した人間ならばともかく、自分のような未熟かつ不安定な立場の人間にとっては虫歯は早急に抜くなり治すなりする対象であって、「痛みが笑いに」とか「スタイリッシュな笑い」とか言っている場合ではないな、とも思う。主人公が置かれているのは、言ってしまえばクソみたいな状況であり(人のことを言えた義理ではないが)、たぶんそれを笑いとして受容できる余裕は残されていないように思える。生き急いでいるだろうか。
筆者は、自らの体験をもとに小説を書き(勿論フィクションではあるが)名のある賞を受賞するに到ったが、この小説を共感する誰もにそうした道が有るわけでもない上に、そこに行きつくまでに筆者が重ねてきた努力は想像も付かない程だ。小説の中の貫多も同様に、物語が終わった後どこかで自分の世界に変化を及ぼしていると想像できる。
この小説を理不尽だ不条理だと嘆くのは簡単だ。だが、そんな話を慰めにしてはいけない年齢なり境遇に自分はある。いつまで続くとも知れない苦役への従事の中で、いかにして貫多は変わる(?)ための何かを見つけていったのか。彼の尻ポケットの中には藤澤清造の小説のコピーがあった。ポケットに手を入れても何もつかめなかった自分に、強い焦燥感を覚えた。
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読めば読むほど、虚しく悲しい気分になった。ここまでダイレクトに心持ちに影響を与えてくる所に、表現者としての凄まじい才能を感じる。とはいえ、文体やテーマ故に読者を選ぶ作品だろうし、私はやはり苦手だった。「エンターテイメントはハッピーエンドであるべき」と思っている私のような人には、到底オススメできない。
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主人公貫太の卑屈な心の在り様は、一言でいえば下劣である。
しかしながら、彼の劣情は私自身の内に思い当たる節も多く、彼に親しみのような、あるいは身につまされるような感覚を味わう。
己の卑劣さに真正面に向き合いつつ、どこか俯瞰で眺めているかのように思わせる著者の冷静な筆致が、どことなくおかしみを感じさせる。
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まさに芥川な感じの文学小説でした。
センない男のセンない人生をセンなく物語っています。
ダメ男の人生を。淡々と。
人生楽ありゃ苦もあるさ
じゃなくて
人生苦もありゃ苦しかねぇ。
的な人生楽しいことなんかありゃしねぇ。
的なその主人公の行動にいてもたってもいられず、
人足で生計立ててる19歳に将来の不安を拭いきれない
でも、人は生きる。生きるしかなく。
金もない、女もいない、友達もいない。
でも生きる。生きる意味を見いだして。
初めての友人に心躍らせ、嫉妬していく様がなんともミジメで‥‥‥
「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」では、
その約20年後の主人公が語られている。
性格はかわるはずなく、暮らしぶりはそのまんま。
ただ、生きる目標はできてた。
小説書いてた。
でもやっぱり、センない人生だった。
ぎっくり腰。
コワイ。
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芥川賞受賞、おめでとうございます。ドロドロしてて素のままの人間、それも決して美しくない面を悪し様に描いてくれて正直、私は読んで良かったと思いました。他の方感想はいろいろございましょうが。
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先だっての芥川賞受賞作品、帯には「平成の私小説作家、ついに登場!」とあった。19歳の港湾労働者を綴ったこの一遍、少し古さを感じさせる文章、スラッシュメタルのようなザクザクしたリズムに引き込まれ、一気に読んだ。気が付いたら主人公貫多に入り込んでいた。
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主人公は、周囲とのトラブルやそれによりさらに屈折を重ねていきます。
また、見下していた友人に恋人がいると知ったときの救いようのない行動が
赤裸々に描かれ、とても印象的です。
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ここ数年、芥川賞作品は大体購入して読んでいる。芥川賞作品に共通する感想は変な作品ばっかだなというのと、こんなの国語の教科書に載せられないだろというもの。今回も国語の教科書に載せるのはどうかと思うw
主人公北町貫多はある意味父親の逮捕など環境によるところもあるだろうがちょっと凄絶な人生だが、性格的にはやっぱりDQNと呼ばれる部類だろう。一人称が「僕」であるところがギャップを感じてなんかよかった。
併録の「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」も北町貫多の21年後40歳の話だが、こちらの方が面白く感じた。雑誌発表順の関係だろうが、先に発表された「落ちぶれて~」の方にはルビが振ってある漢字も、「苦役列車」にはルビがない。単行本化にあたり「苦役列車」が先に掲載されているのだから、あとに載ってる方にルビ振っても意味がないよ。出版社にはこういったところもしっかり見てほしい。
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中学卒業から19歳になる現在まで、日雇い労働者を続け1人無気力に生きる貫太が、専門学生と仲良くなったりもするんだけど、やはり違う世界に住む人だと気付かされる。そしてその間、彼やその彼女に、嫉妬や憎悪、葛藤の感情を繰り返すが、彼貫太はまた無気力に日々を生きる。
芥川賞を取った作品の中でも、著者の経歴が逮捕歴や日雇い労働者として過ごすなど異質だったため、興味があって読んでみました。
彼自身をモデルにしているこの著書ですが、文章の力強さが凄いです。
上手いわけでもないし、表現の仕方もはっきり言えば気持ち悪いんですが、生き様というかリアリティが伝わってきます。偏見に満ちていて自分勝手で小心者で、そして3大欲を常に垂れ流しです。
ただ貫太と同じような境遇にいる人が世の中には沢山いるんでしょう。そして貫太と専門学生のように生きるステージが違えば、やはり考え方、生き方も変わりますよね。しかし、自堕落に過ごしていたら、すぐそのような境遇は手招きをしてきます。
貫太のような人物を完全な反面教師にして、逆に強くしっかりと生きようと思わしてくれる一冊でした。
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「どうで死ぬ身の一踊り」に比べて、文章ははるかに熟達しているが、そのぶんこの作家独特の粗削りかつ異様な迫力は薄れているようにも思える。とまれ、こういう私小説の書き手が他に見当たらない状況下では、西村賢太の存在感は大きいね。
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9割が事実という私小説なのでリアリティがあって結構面白く読めた。男なら誰でも主人公のようなコンプレックスを抱えたり周りと比べたりするし。日下部の彼女を見て15点と判定する所なんかは確かにあるあると思ったりしたかな…これってある意味、青春小説でもあるように感じた。最近読んだ 錨を上げよ の短篇みたいにも思えたかな。
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文体が昔風に書かれているが、リアルで隠すことない描写でぐんぐん読み進めました。私小説なので作者自身の経験そのままなのか・・・。まあ人間謙虚に誠実にが一番だなと思う。
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すごく面白くて一気に読めた。汚い感情や惨めさをストレートに書いてるところに好感が持てる。タイトルにある「苦役」は、作品を読む前は日雇い労働の辛さのことを言ってるのかと思ったら、ちがった。変われない自分を抱えてずっと生きていかなきゃいけないことが苦役なんだ。まさに人生そのものが苦役。こんなこと考えてりゃそりゃ鬱屈した気持ちになりますわよ・・・。
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第144回芥川賞受賞作。
先に読んでいた同時受賞の朝吹真理子『きことわ』とはまったく違う、対極に位置するような作風であり、続けて読んだことによって正直かなり面食らった。こちらはド直球の文学作の趣きで、強烈な私小説でした。
西村賢太を文字った北町貫多という男が主人公であることからもわかるように、実体験をもとにした私小説であることが大きな特徴。文学作品は多かれ少なかれ私小説的な要素が含まれるとは思うのだが、中卒で家賃も払えない状況下で日雇いのその日暮らしをしていたという現在では珍しい経験を持っているとなると、その劣等感丸出しの激しい心情吐露には相当なパワフルさが加わっているように感じられ、インパクトも強かったです。
普通の学生生活を送るヤツらに対しての憎悪と羨望が滲み出ていて、来るところまで来ちゃっている感じ。ある種の嫉妬は誰でも持ったりするが、ここまで研ぎ澄まされて肥大化されてるものが、文章を通じて表現されてくるとやはり圧倒される部分はあるし、同時に不快感までも残ってくる。
世間をすべてを敵に回すような貫多だが、会話での一人称は常に「ぼく」になっていた。相手を罵るときでも「俺」ではなく「ぼく」を使うので迫力が薄れていて、それが貫多という男の弱さを暗示していたと思う。そんな憎めない部分が、実は滑稽にも見えてとても印象的でした。
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主人公がどうしようもないやつだと、メディアを通して聞いていたので、どれほどの奴かと手に取った。
主人公は、根暗、父親が性犯罪者という、先天的にも後天的にも堕落する性質を備えている。実際主人公は日雇いのバイトをたびたびするだけで、家賃もままならない文字通りのその日暮らし。人に優越感を抱くことで自分を保っているようなクソ野郎である。
正直、私はこの小説を読んで、主人公がそれほどどうしようもない人間だとは思わなかった。確かにその自虐的な描かれ方は誇張されて凄まじさは感じるが、嫌悪感はあまり受けない。
むしろ「小さい」という言葉の方が適当だと思う。主人公は主人公なりにある意味まっすぐで素直な人間にしか僕には見えない。その身に授かった何かが彼をそうさせているだけのようにすら見える。
身に授かったものに対するスタンスだけ取ってみれば、こういう風に生きている人間は、それこそ社会の底辺にも頂上にもいるだろう。
主人公の言い訳がましくないところに、私は好感を抱く。こういう人間がいたっていいと思う。そう思わせるリアリティがこの小説にはあった。頑張ることができるだって才能なのかもしれない。その言葉が僻みでなく肩の力の抜けた救いとしてこの小説からは聞こえてくるような気がする。