紙の本
「逃げる」
2004/12/01 23:55
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:すなねずみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「宗教」っていうのは、あんまり格好いいものではない。というか、とても格好悪い。おまけに危険な臭いさえする。それは、たぶんある意味では正しい。「宗教」には人間の弱さを煮詰めたような醜悪さがあるし、空想的な狂気と危険性が充満している。
そして、だからこそ、「宗教」というものを敬遠し、あるいはそれを一種の「逃げ」に過ぎないものとして斬って捨てるのは間違っている。
小説家・遠藤周作がキリスト者・遠藤周作を対象化し、自らの信仰告白として書いたのが、『イエスの生涯』(国際ダグ・ハマーショルド賞受賞)と『キリストの誕生』(読売文学賞受賞)である。『イエスの生涯』は徹底的に無力な「生活」無能力者としてのイエスの「人生」を、さまざまな研究や先達のイエス伝(たとえばモーリヤックの『イエスの生涯』)を踏まえ、小説家的な想像力を駆使しながら描き出した本である。
そして『キリストの誕生』は、イエスを裏切った弟子たち(裏切ったのはユダだけではなく、ペテロもヨハネも含めてすべての弟子たちが裏切ったのだ、というのが遠藤さんの考え方)の側から、そんな情けなくも弱すぎる人間がいかにして「キリスト教」を作り上げたかを描き出している。とくに「教会」の基礎を作ったペテロと「神学」の基礎を作ったポーロ(パウロ)このあまりに対照的なふたりを中心にすえながら。(『沈黙』のなかでロドリゴが踏み絵を踏むとき鶏が鳴く。ペテロが自らの命を守るために「イエスなんて知らねぇ」と言ったときに鶏が鳴いたように。そして遠藤さんの『沈黙』は当時、いくつかの教会で禁書扱いされた。で、遠藤さんの洗礼名はパウロである)。
この二冊の本を読んで、クリスチャンの僕(ほとんど完全に「転んで」しまっている現状だが)が受け取ったメッセージを言葉にしてみる。
「宗教」を持っている人間は、「宗教」を持っていない人間の多くが「逃げ」として侮蔑する「宗教」から逃げようとするときに「信仰」に捉えられ、それを意識するのであって、彼らは決して「現実」から逃げようとしているのではない。「宗教」を持っている人間はむしろ「宗教」から、「神」から逃げようとしているのである。
自らの意志とは無関係に「宗教」を持って生きることになった人間が、そのバカバカしさから逃げようとする。遠藤周作の作品(小説、エッセイ、戯曲)が、「宗教」を持たない多くの人間の心を捉え、その琴線をかき鳴らすのは、彼が一貫して「逃げようとする人間」を描き、それによって「人間の可能性」を伝えることに意を尽したからである。
ニーチェが(あるいはヘーゲルが)言ったように「神は死んだ」かもしれない。でも、だからこそ、この二冊の本を読んでみてほしいと思う(どちらか一冊というなら『キリストの誕生』を)。一人の「人間」の「死」を出発点として作り上げられてきたものについて学ぶことは、「宗教」とか何とかを超えて心に響いてくるものだと思うから。
>(ジル・ドゥルーズ『ニーチェ』)
>(同書の訳者解説「ドゥルーズとニーチェ」湯浅博雄)
紙の本
「彼とその弟子の物語」のX
2018/07/16 15:21
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
「イエスの生涯」の続編。イエスの死後、どのようにしてキリスト教が形成されていったのかを、ペトロやパウロが死に至るまでの、使徒たちの足跡を辿り考察した本です。ユダヤ人の範囲にとどまっていたキリスト教が、いかに世界に広まっていったかが理解できました。神の配剤とも言うべき使徒のリレーにより、不屈のパウロに至ったという印象です。そして前著でも謎だった「なぜイエスは信仰の対象となったのか」については、結局解は得られませんでした。逆にだからこそ、今でも信仰は脈々と続いているのかもしれないと思ったのでした。
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「イエスの生涯」続編。無力だったイエスに弟子たちがどのように神性を見いだし、信じ続け、広めていくか、についての本。作者自身の悩みが弟子たちの姿を通じて、ありありと伝わってくる。
苦しみ続けられる精神力と、捨てない力に感動をおぼえた。
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「イエスの生涯」に続く遠藤周作による、イエスと弟子達の話。人間イエスが原始キリスト教団によって「キリスト」になっていく。ペトロを中心とする生前のイエスに付き従った弟子達のグループと、パウロを中心とするイエスの昇天後、改宗した弟子グループの信仰の相違。人間イエスと、キリストの断絶。福音書を中心とする新約聖書が綴られるにいたった経緯。「キリストの誕生」の経緯には脚色された事実と、原始キリスト教団の願いによる、人為的な部分は否めない。それではイエスがキリストと言うのは人間が作り上げた造話なのか。。
しかし神が人間をして働かれるならば、人間の本心がキリストを呼んだ、なるべくしてそのようになった、こう思えて仕方がない。イエスはどうやって、死後十数年をして神格化されたのか。ただ犬のように死んだだけの人間が、数十年を待たず神としてあがめられるに至ったのか。
人間が本心から求める同伴者。それが神の存在。その心がキリストを呼び、人間の救いの希望になっていった。
08/8/17
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この作品も、読んだのはハードカヴァーで二十歳のころ。
タイトルのとおり、イエスの死後、弟子たちによって<誕生させられたキリスト>の背景。
すなわち、新約聖書の「使徒行伝」をベースに、キリスト教成立の物語である。
田川氏もコチラはそれなりに評価している。
(この項、書きかけ)
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読み終えました。
キリスト教団が初期からそんなにバラバラだったなんて・・・・。
驚きました。
信仰に対するすさまじいエネルギィが伝わってくるようです。
ユダヤ教とキリスト教の違いもよくわかります。
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アンドリュー・ロイド・ウェバーの「JCS」にはまって読んでみました。
キリストの今までのイメージが変わりました。
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イエスを見捨てて逃亡した弟子たちが、なぜイエスをキリストとして信仰するようになったのかを描く『イエスの生涯』の続編。弱く優柔不断な弟子たちの、それゆえの人間らしさが光ります。
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死後、キリストとなったイエス。弟子たちや信仰の問題。聖書に書かれなかった使徒たちの最期の秘密。
ポーロの布教活動と協会同士の対立。
イエス「復活」とキリストの「誕生」
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「イエスの生涯」の続編的小説。
イエスが十字架上で磔刑に処された後、復活し、キリスト教が生まれ、広まって行く過程を描いた物語。
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無力のまま死んだイエスが、なぜ後世の人々により「キリスト=救世主」と呼ばれるまでに祭り上げられたのか。
釈迦やムハンマドのように、「人間としての理想像」に挙げられる人はいても、それ自体が「信仰の対象」となるようなことは、イエスの他に例がない。それも、厳格な一神教であったユダヤ教のもとで、である。
本書では、イエスが死後に「キリスト」となっていく「過程」が描かれる。しかし、なぜイエスだけがここまで高められたのか、という「理由」については、未知のものとしている。おそらくこれは永遠に世界史の謎として残るだろう。
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「イエスの生涯」の続編。
イエスの死からユダヤ戦争辺りまでの原始キリスト教団における使徒(主にパウロとペテロ)の心理を中心に描く。
盲目的なキリスト賛美でなく、冷静に、人としてのキリスト教団を描いているので、非キリスト教徒の人間にもあまり抵抗なく読み進められる。
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烏兎の庭 第三部 7.26.08
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03//diary/d0807.html#0726
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イエスの死、使徒たちの死、そしてエルサレムの陥落。葛藤と絶望に満ちた原始キリスト教団の姿と、解けない「謎」を提示して、遠藤周作の語りは終わる。もしかしたらエルサレム陥落後、なぜ神は救いに来てくださらないのか、という疑問が蔓延したからこそ、その答えとして、原始キリスト教においてグノーシス主義が一定の勢力を持ったのかもなぁ。という仮説。
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『イエスの生涯』と合わせて読むとより深くキリストを理解できると思う。
なぜ神はキリストを見はなしたのか、弟子はなぜキリストを裏切ったのか、ユダヤの王はなぜキリストを恐れたのか。
全ての謎はこの小説に繋がると思います。
それでもなお、その姿を隠すことなく人に晒したイエスの心。
真実を通すには、時として醜く孤独で、耐えようのない漆実を味わうのだと。
それを受け入れられる自分を持てるのかが、問われている。
自分と向き合う勇気を持てるのかが、強く心に残る一冊です。